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僕と彼女と彼女

作者: 法将寿翔

高校の授業は、それまでとは一変してどこか小難しくなり、一度理解の範疇を越えてしまうと例え目の前で人が話していようが眠気が急激に襲ってきてしまう。僕は、高校に入ってから明確に数学というものに苦手意識を持つようになった。

文系と理系で人類が分かれるはずなんかないと思っていたが、どうも僕の周りの数学が好きな人間はどこかしら自分とまるっきり違う部分を持っていて、そういう人間の分け方もあながち間違ってはいないのかなと感じ始めていた。

数学Iと数学Aが分かれている理由も特に分からない僕にとって、今、黒板で展開されている数字と記号の羅列が数学のIとAどちらの授業なのかを判別できる手段は先生の違いしかない。

目の前の教壇に立つのは熱心な指導で有名な重岡先生であるが、数学の苦手な僕にとってその熱心さはむしろ余計なのである。

筆圧の強さから、チョークの欠片が時折パラパラと教壇へと散っていく様を眺めていると、先生がパッと振り返り、言う。

「じゃあここの例題、誰かに解いてもらおうか。今日は13日だから・・・13番、白川」

重岡先生の指名が僕に入る。

しかし心配はない。日付通りの番号の人間に当ててくるのはある程度予想済みなので、あらかじめ回答を用意しておいたのだ。

とはいえ、緊張がどんどん心臓の方からせり上がってきて、血の流れが緩やかに加速していき、頬を温めていく。

僕はそんな緊張を周りに感じさせないように、あくまで毅然と答えたつもりだった。

「x=5です」

「違う。ここはちょっと難しかったか?じゃあもう少し詳しく解説していこう」

声は裏返り、答えも間違い、恥ずかしくてたまらなかった。

僕は一番後ろの席なのでそれとなく他の生徒の様子は分かるのだが、実はみんなニヤニヤと自分のことを笑っているのではないかと不安になってたまらなくなり、左隣の大野リコをふと見てみると、彼女は重岡先生が回答権を隣の席の生徒にずらす習性を警戒してか、机の上のノートや教科書とにらめっこしていた。


今日は、朝にいきなり局地的な雨が降った。どの天気予報でも予想していなかった突然の雨に、運の悪い一部の生徒たちはなすすべもなく濡れてしまっていた。

1時間目というのもあり、彼らは髪や服をうっすらと濡らしたままだ。

そのせいで、今日は前に座る桜井さんの背中の透明感が凄まじかった。目を凝らすと、うっすらとピンクの帯が見える。

無機質な言い方をすれば、それは彼女の乳房を覆う下着、またはブラジャーなのであるが、そんなある程度距離を置いた様な冷たい言い方でさえ、僕の脳はその言葉を性的なものであると、しっかりと認識してしまう。

目の前30cmにぼんやりと存在しているピンクの帯に見とれて、時間が止まったかのようにじっと見つめていた。


「じゃあ、2番の問題はどうだ、白川」

重岡先生の再びの指名で、置き去りになっていた自分と、それを取り巻く時間が、跳ね返るように勢いよく進みだす。

一度答えて完全に油断して、さらには桜井さんのブラジャーに思い切り釘づけにされていたのもあって、「重岡先生の場合、当てた生徒が問題に答えられなかった場合にそのまま次の問題も当ててくるパターンもある」、というのを忘れてしまっていた。

全く頭が回っていなかった。

おそらく先生は僕のために解説をしてくれていたのだろうが、僕の頭は猥褻なものでいっぱいだったし、そもそも事前に考えておいた答えが違っている時点で今からこの問題を猛スピードで解いたとしても結局見当違いの答えをはじき出すだろうし、適当に答えてもそれはまた先生の心証を悪くするだろうし、

「よん」


「よん」


最初はどこから聞こえているかも分からない妙な音だと思い、気にしないようにしていたが、それでも聞こえてくる。僕に向けて発せられているように。

次にはそれが囁きだと理解できたが、どこの誰のものか分からなかった。目線をキョロキョロと動かしてみると、左にいる大野リコが右手の指を4本立て、

「4!4!」

と、口を動かしているのが分かった。





「話聞いてなきゃダメだよ、何回も間違えたら重岡先生キレちゃうんだもん」

大野が嫌みの無い微笑みを浮かべながら言う。恥ずかしい話だが、僕は彼を何度か怒らせてしまった前例がある。


「ごめん、ボーっとしてて」


「後でジュース買ってね」


「まあそれくらいなら・・・」


「ファミマに売ってるオシャレなやつだよ?」


「えぇ、確かアレ高いよ・・・」


「まあ自販機のでいいよ、ところで何見てたの?前の方をずっと一生懸命に見てたけど」

僕はギクッとした。まさか大野が僕に意識を向けていたとは思いもしなかったからだ。


「いや、なんかゴキブリがいたような気がしてさ」

僕は無理やりな言い訳をする。

この言い訳を解説すると、女子の苦手なゴキブリという単語を挙げて、意識を別のところへ向けてやろうとしたというだけである。


「ゴキブラ?」


「ブリ!」


「ブ・ラ?」

まさか。


「桜井さんエロいの着けてるよねえ。多分彼氏いるよ。年上の。」

大野は嫌みの無い笑顔を浮かべているが、言葉の中身は嫌みでいっぱいだ。

見られていたのか。僕がブラジャーのシルエットに夢中になっているのを。

ブラジャーをのぞく時、ブラジャーもまたこちらをのぞいているのだ。


「知ってた?」


「知ってた」


「さて、何買ってくれる?」


「ファミマのおしゃれなジュース・・・」


「知ってる?私桜井さんとLINEで友達なの」


「ファミレスでも行こうか」

まんまとやられた。

ちょくちょく弱みを握られて何かを買ってやることはあるが、こんな一気に値段が跳ね上がるとは思わなかった。

悪いのは自分だけど。

問題を間違えたのもブラジャーを凝視していたのも話を聞いてなかったのも。


金属バットがボールを跳ね返す音とか、掛け声とか、自分には無縁な体育会系的な音が窓の隙間を縫って教室の中にも流れ始めてきた。

テスト1週間前の部活動は原則禁止で、ほとんどの生徒はホームルームが終わり次第下校した後だったが、噂では教頭よりも強大な権力を持つといわれるベテラン体育教師を顧問とする野球部だけはグラウンドで練習をしている。

僕と大野は、主に僕の痴態のせいでこのままファミレスでお勉強会を始めることになった。

全額僕の出費で。

あまり近くのファミレスに行くと校則にうるさい教師に見つかって怒られるかもしれないので、ちょっと離れたファミレスに行かなければならない。

蒸し暑いこの季節にわざわざチャリで遠いファミレスまで行くのは億劫だ。

そう思いながら立ち上がると、


「今日は、私もピンクなんだけどね」


大野が何かを言ったのが聞こえたが、外の坊主頭達の野太い声でかき消された。

重要なことでも言ったのかと思い聞き返すと、


「ちゃんと耳掃除しろっ」

尻を軽く蹴られた。

結局何を言ったかは分からずじまいだったが、大野のことなので大したことじゃないんだろう。

足早に教室を出た大野を追って、僕も教室を飛び出した。


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