7 女剣士、怒る
楠屋の店構えは市川屋に負けず、なかなかの豪商にみえる。
しかし、ぐるりと見てまわった初江は、
「くさい」
と、緊張の面持ちを強めた。
「おいらじゃねえですぜ。なあ善の字、お前、やったか?」
思わず律は鼻をつまみ、善八は尻をおさえて首を振る。
「ちがう」
初栄は小声で、
「往来にふたり。路地にもふたり。それ、そこの男も――顔を向けるな。目だけで見よ」
そこには男がひとり、風呂敷包みを背にウロウロしていた。
「あの野郎がなにか」
「袖口に入れ墨が見える」
「あ――なるほど、こいつはくせえ」
律は合点して、
「どうします。ちょいと締め上げますか」
「いや、あやつらはただの見張りだ。相手をしている暇はない」
言いつつ横目で善八を見るが、
「いけません。今度は肩も駄目です」
と、彼にしては珍しくきっぱり断った、そのとき――。
「ぐあっ」
善八がもんどりうって倒れた。
一瞬、身構えた初栄と律だったが、相手の姿をみとめると、
「おぬしか」
そう言って、初栄は緊張を解いた。
それは大小を差した若い女だった。
しかも精悍な顔つき、隙のない佇まい、さらには動作のひとつひとつが機敏でムダのない《もののふ》である。
ただ、散々、走り回ったとみえて、さすがに肩で息をしていた。
もちろん、老同心・佐々木のひとり娘にして、神林流抜刀術の達人、千冬にほかならない。
そんな彼女が、陽炎のような怒気を全身からたちのぼらせている。
「千冬。不意打ちは、さむらいのすることではないぞ」
「初栄さまをかどわかす、不埒な輩には、これで充分」
「私が連れだしたのだ。千冬の当て身をまともにもらっては、善八も堪るまい」
「禽獣のごとき奴と思えばこそ。相手が人間なら、斬り捨ててござる」
千冬は、地べたで身悶える善八をひと睨みすると、律に目をうつした。
殺気を感じて、さすがの親分も身をすくませている。
「こやつは?」
「置網町の親分だ。手伝ってもらっている」
「同心のマネゴトはやめて、お屋敷に帰るのです」
「そうはいかん。件の押し込みまであと一歩なのだ」
「お戯れを」
「そうだ。どのみち善八が頑固なので、どうやって入り込むか思案していたが、千冬がいるなら話が早い」
そう言った初栄がくるりと白目を剥いて、
「あれえ――」
と、その場に倒れ込んだ。
「は、初栄さま」
悶絶していた善八が、よろめきながら駆け寄ったが、
「ええい、貴様は手を触れるな!」
「姫さん!どうしたんですかい」
初栄は喘ぎながら、
「走り回ったせいで、どうも立ち眩みのようだ」
「いえ、走り回ったのは私――痛てて」
内股をつねられた善八が口をつぐむ。
「千冬。少し休めば大丈夫だから、そこの薬屋で休ませてくれるよう、頼んでくれんかの。できれば気付けを少々、調合してくれると助かる」
「初栄さま。本当に気分を悪くされたのでありましょうな?」
「これも、千冬の言いつけを守らなかったせいだ。反省しておる」
あからさまな懐疑の目をむける千冬に、
「少し休めばきっと帰るが、このままでは帰らぬ人になるやもしれん。思えば、みじかい人生であった――」
「こいつはいけねえ。おい善の字、そっち持て。おさむらいさん、こういう場合によくねえのは、お天道様の下に放っておくことですぜ」
「さらばだ、千冬――父上と母上には、会いたかったと伝えてたもれ。では、達者でな」
「ああ、もう!」
憤然としながらも、千冬は立ちあがって、
「半時ほど休んだら、きっと帰るのですぞ!」
そう言い残して、橘屋の暖簾をくぐっていった。
「へへ、うまくいきましたね。おさむらいに頼まれちゃあ、店のもんだって断れませんぜ。おまけに商売が商売ときてやがる。店先の病人を放っとくわけにゃ、いきませんや」
律が、こっそり舌をだした。