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鬼姫吟味書付  作者: あしき わろし
2/12

1 男と少女と餡掛け豆腐

 善八は仕込みに入っていた。


 彼は本所で小料理屋をいとなんでいる。

 料理屋といっても土間に椅子が三脚だけ。

 その奥に寝床をかねた四畳半の小座敷がある、ごく小さな店だった。


 鈍重にみえる善八だが、見かけによらず、ちまちまと手が動いて、ありあわせの材料で、それなりの料理をこしらえてしまう。



「皿が上等なら、日本橋の料亭でも通用する」



 か、どうかはわからない。


 なにしろ客は、日銭をにぎって呑みにくる職人ばかりで、料亭の味など誰も知らないのだ。

 常連はそんな職人ばかりだが、ひとり、例外がいるといえばいた。



「善八。善八はいるか」



 昨夜からの雨もあがった昼下がり、その例外がやってきた。

 いるもいないも、この店は善八がひとりでやっているので、いないことには店があかない。

 彼女なりの挨拶なのだろう。


 彼女―――といっても、齢は十の前後といったところか。

 今日は町娘の姿をしている。



初栄はつえさま―――また、そのような格好をされて―――」


「にあうであろう?」


「お父上がお嘆きかと」


「にあわぬと申すか?」


「い、いえ、そんなことは」


「ならば、よい」



 初栄はつえと呼ばれた少女は、土間の椅子に腰かけた。



「何をつくっている?」


「へえ。豆腐にかける、くず餡でして」


「たべる」


「は、初栄さまの、お口に入れるようなものでは」


「いいから出せ。空腹なのだ」



 やむなく善八は、土鍋に豆腐を入れた。

 別の小鍋に、細切りの筍と三河島の菜、唐辛子を少々、それに酒、みりん、醤油で薄味をつけ、溶いた葛粉でとろみをつけた餡がある。

 頃合いみて、くず餡を豆腐にかけまわし、おろしショウガをそえて、なるべくヒビが入ってない小皿にのせ、両手をそえて差し出した。



「ふむ。ウマい」



 初栄はもぐもぐとやりながら、



「濃厚な豆腐の滋味もさることながら、唐辛子のぴりりとした刺激がまた心地よい。善八、また腕をあげたな」


「へえ。おそれいります」


「酒などあれば、もっとウマいのだが」


「そ、それだけはいけません」


「わかっておる。酔って帰れば、さすがの母上もゆるすまい」


「お父上に知れれば、私の首がとびます」



 善八が首をすくめたのも、大袈裟ではない。

 初栄の父親である池田播磨守は、ときの南町奉行をつとめているのだ。

 奉行所は八丁堀にあるが、家族は郊外の本邸でくらしている。

 しかし娘の初栄には、しょっちゅう窮屈な屋敷を抜け出すという困ったクセがあった。



「千冬さまも、おかわいそうに―――」



 池田播磨守の配下に佐々木典十郎という同心がおり、千冬はその娘だった。

 父と同じく神林流抜刀術のつかい手であり、その達人だという。


 彼女は池田播磨守より、本邸にすむ家族の警護をおおせつかっている。

 その目を盗んでほっつき歩く初栄が、職務上、千冬の悩みのタネだった。

 なにしろ、初栄の身に《万一のこと》でもあれば、父娘ともども切腹を覚悟しなければならない。


 善八は、初栄をさがして市中を駆けまわる女剣士が、気の毒でならなかった。



「千冬には悪いが、やむをえぬ理由があるのだ」



 初栄はすまして、そんなことを言う。



「それは、もしかして」


「ちと母上のお申し付けでな」



 やはり―――。


 この娘にして、この母あり。

 町奉行の奥方は、やんちゃ娘がそのまま成人したような人柄だった。

 さすがにみずから出歩くようなことは慎むが、何かあると娘にあれこれと指令をだして、こっそり屋敷から送り出してしまう。


 母娘ともども、困った女たちではあった。



「お調べごとでございますか」


「置網町の十手持ちが、ちと面白そうなハナシをもってきたのだが、同心がとりあわなかったそうでな」


「そこに、首をつっこんでいかれると」


「いちいち、勘に障る言い方をするやつだの。いいから一緒に来るのだ」


「えっ、私もでございますか」


「あたり前だ。私になにかあれば千冬は切腹だぞ。それでもよいのか」


「そんな、ご無体な―――」



 善八は半べそをかいて、



「初栄さまが、初栄さまをお護りする千冬さまを人質にとって、関係のない私をつかまえて脅すなんて、もう頭がこんがらがって、何が何やら」


「ええ、つべこべと女のような。来るのか、来んのか」


「ああ、もう、いきます、いきますとも。ああ、でも、仕込みがもったいない。せっかくこしらえたのに、もったいないなあ」


「心配いたすな。あとで同心をまとめてよこす」


「ええッ!」



 いかつい同心が、狭い店にあふれては、ほかの客が寄りつかなくなる。



「それはあまりに、あんまりで―――」



 とうとう泣き出してしまった。

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