銀竜
汗ばむような陽気の中、黒衣を纏い、川に釣り糸を垂れる。
竿ではなく、木刀の先に糸を結んだだけの、いい加減な釣り具である。
こんな陽気の中でも、シャドウ自身は全く汗をかいてはいない。この体は仮初めの物……よって、この世の理にも縛られる事はない。
ぼんやりと川を眺めつつ、シャドウは考える。
……勇者殿。行動を起こすのが早すぎませんかね?
まだ、『魔王』が真に目覚めるまで時間が必要だ。それは勇者も知っているはずだ。もっとも、勇者としては早く行動を起こしたいところだろうが。
……百年近く待ってたわけですから、一年二年早まったところで、勇者殿には誤差と言える範囲なんでしょうけど。
「シャドウ……暑くない?」
「いえ、私は冷血ですので」
不意に声をかけられても、シャドウは動じない。イーファに似た声ではあるが、大人びた雰囲気……だから、イーファではない。
「ホントに冷血なのかしら?」
楽しげに問う声。
百年前、シャドウが何度か刃を交えた相手……勇者リーファである。
「そうです……かつて勇者殿に冷血と罵られた事は、私は忘れてまいせん」
「忘れて良いわよ……と言うか忘れて欲しいわね」
「無理ですね……私は深く傷つきました」
感情の籠もらない……と、言うより、むしろ棒読みに近い口調のシャドウ。
シャドウの言葉を聞き、リーファは苦笑する。
イーファと良く似た顔つき……だが、歳は違う。イーファは、まだ十代前半であるのに対し、リーファは二十歳前後に見える。
「お詫びに、あたしが慰めてあげましょうか?」
「私は魔王様、一筋でございますので」
勇者リーファに抱きつかれても、シャドウは表情一つ変えない。
「あら、服は暑くなってるのに、身体は水みたいに冷たい……」
だから体温を上げるべく、こうやって日を浴びているのだ。
この体も、この命も仮初めの物にすぎない。だから生き物の理に縛られる事もない。
内心、そんな事を考えつつもシャドウは無表情で通す。
「勇者殿。まだ機は熟していませんが、一体どういった風の吹き回しで?」
「アナタの顔を見たくなったのよ」
抱きついたままリーファは言う。
「今は魔王様の時間です」
素っ気ないシャドウの言葉に、リーファは苦笑いしてシャドウから離れる。
「アナタの盟友だった銀竜シルドラが不穏な動きを見せている。魔王の力を狙ってるみたいね……正直に言って、アタシじゃ止めきれない」
表情には一切出さなかったが、シャドウは驚いていた。
「あのシルドラが?」
シルドラとは不戦の盟約を結んでいたはずだ。故に、魔王と勇者の争いに介入した事はない。
「銀竜シルドラ……何百年か前から神竜シルドラとも呼ばれてたわね。あの千年魔王を倒した千年勇者。その騎竜としても知られた最後の竜……って、アナタの方が詳しいか」
意味ありげにリーファは笑うが、シャドウは気づかないフリをする。
久しく顔を合わせてはいないが、シルドラとの付き合いは長い。シャドウが本物の命、本当の身体を持っていた頃。あのシルドラが幼竜だった時期からの付き合いなのだ。
「世界が、新たなる魔王を求めている……そう言う事でしょうね」
だから、魔王の卵が現れた。そして新たなる魔王候補にシルドラを立てたわけだ。他にも、まだ魔王候補が控えている、そう考えた方が良さそうだ。
制御された魔王は不要。世界は、そう判断したのだろう。
「それじゃ都合が悪いんでしょ?」
リーファの言葉にシャドウは無言で通す。だから、早く魔王を覚醒させろ。リーファは、そう言いたいのだろう。
「先も言った通り、まだ機は熟していません」
「機が熟してなくとも、勇者と魔王。そして、その影。三人がかりで挑めばシルドラは止められるんじゃない?」
その言葉に、シャドウは溜め息を吐く。
シルドラの排除。リーファは、それを促しているのだ。
「私は勇者様の仰る通り、冷血ですからね……」
だから、必要とあらば盟友を討つことも厭わない。
竜に寿命はない。
歳を経るほど大きく強く賢くなってゆく。千年魔王の数百年前には、老竜が魔王となった事もあったらしい。
竜を殺す事のできる者など、竜以上の力を持つ者しか有り得ない。魔王となった老竜は、力ある竜を皆殺しにし、そして最後に勇者によって討たれたそうだ。
人間が千年魔王となったのは、力ある器である老竜が軒並み殺されたためだろう。そして生き残った竜達も老竜となる前に千年魔王の手によって、シルドラ一頭を残し皆殺しにされた。
そのシルドラが、魔王となる。
元々シルドラは、魔王を制御下に置く事には否定的だった。
魔王が世界を滅ぼそうとする事には意味がある。魔王が世界を壊す事で、世界は常に生まれ変わり続ける事ができるのだと。制御された魔王では、魔王本来の目的が果たせなくなる。それでは世界を維持する事などできないのだと。
「世界など、滅んでも構わない」
シャドウは呟く。
世界は新たなる魔王を求めている。
制御された魔王は、世界にとって不都合な存在なのだ。だが、知った事ではない。
「じゃあ、どうする?」
銀竜シルドラは、世界が立てた次代の魔王、最有力候補だ。つまりシャドウが補佐する魔王、その対抗馬である。
「シルドラを討ちます」
シャドウは宣言する。だが、イーファには話さない。
機は、まだ熟していない。
だから、まだ、イーファには、この醜い世界のカラクリには気づいて欲しくはないのだ。例え、いずれ気づくと解っていても。




