朝
勇者は天を仰ぎ、そして叫んだ。
「世界など滅んでしまえっ!」
それは、心の底から発せられた絶叫だった。
王座から、その叫びを聞き、魔王は立ち上がる。
勇者と対峙したことで、ようやく正気に返ることができた。体に貯め込んだ歪みによって、長らく正気を無くしていたのだ。
勇者の言葉。
それが嬉しく、同時に悲しい。
勇者は、世界を守りたかったわけではない。ただ、たった一人を救いたかっただけなのだ。
単に世界は、その一人を内包しているだけに過ぎない。
だから、その一人を救えないのであれば、勇者にとって世界には何の価値もないのだ。
勇者と魔王。
それは世界が生み出した対となる存在。
世界から生じた様々な歪み。その具現が魔王。その歪みを取り除く抗体が勇者。
ここで魔王が勇者に討たれなければ、歪みの具現たる魔王は世界をも滅ぼす。
それでは拙い。勇者によって取り除かれるべき歪み、それが魔王なのだ。
そして勇者によって討たれるべく、魔王は世界中の歪みを体に貯め込んだのだ。
世界を守る為に……いや、大切な人を守る為に。
だから魔王は口にする。
「けれどわたしは、この世界を守りたい」
魔王も世界を守りたいわけではない。勇者同様、世界が内包する、ただ一人を守りたいだけだ。
その、たった一人を守るために世界は必要だ。単に、それだけである。
「こんな醜い世界に何の価値があるっ!?」
「アナタが居る……アナタが生きて居てくれる。それだけで、世界には代え難い価値がある」
世界が滅びれば自分は疎か、勇者も死ぬのだ。
自分が死ぬのは構わない。世界が滅びるのも構わない。でも、勇者には生きていて欲しかった。
だから自分が討たれよう。
この体に貯め込んだ歪み諸共に……
少年の面影を残した勇者。その手から剣が落ちる。
この剣に、イーファは見覚えがあった。
勇者リーファが自分の胸を貫いた聖剣である。だが、勇者リーファは少女だった。
……つまり、これは自分の記憶ではない?
疑問を抱いた途端、夢から覚めた。
起き上がり、イーファは記憶を辿る。
魔王は世界の歪みの具現化である。正しくは、世界の歪みが依り代を得て具現化した存在なのだ。
よって、魔王の性質は、その依り代に左右される。
千年に渡って続いた平穏。その裏で蓄積された歪みは膨大な物だった。依り代を得て具現化した場合、抗体たる勇者では仕留めきれない強大な魔王を生み出してしまうほどに。
その魔王こそが、千年前、世界を滅ぼす一歩手前まで追い込んだ千年魔王である。
「今の夢。あの記憶……これって千年魔王の記憶?」
キメラと対峙した際、唐突に甦った記憶のことだ。
イーファは百年魔王だ。
百年単位で人知れず現れ、そして人知れず討たれる魔王。
百年前のイーファも、人知れず勇者に討たれたのだ。
「茶番劇……仮初めの終わり。終わりであると同時に始まりでもある」
百年魔王であった頃の記憶。そこから勇者と自身の言葉を思い出して呟く。
全然わからない。
魔王であった頃の記憶は断片的すぎて、全く要領を得ないのだ。シャドウならば詳しいことも知っているだろうが、何故だか尋ねることが憚られる……怖いのだ。本当の事を知るのが。
百年前の勇者との対決。
記憶にはないが、自分は、あえてシャドウを勇者との戦いに介入させなかったそうだ。シャドウが正しいことを言っているかは判らないが、疑う理由もない。
シャドウは自分と命を共にする存在だ。魔王たる自分が滅びれば、その影たるシャドウも滅びる。だから、イーファの害になることはしないはずだ。
「シャドウ……出て来なさい」
シャドウは魔王の影。呼べば声は届くはずだ。
だから呼んだ。窓を開けて。
窓から差し込む朝日。それによって浮かび上がったイーファの影、その影が長く伸びると起き上がってシャドウが現れる。
魔王の影。だからシャドウ。
にも関わらず、イーファはシャドウを詳しく知らない。
でも、大好きだ。
だからイーファはシャドウに抱きついた。
イーファは魔王。シャドウは魔王の影……つまり自分の影のはずだ。
だけど影ではない。自分の大切な相棒だ。
お節介で、世話焼きで、口うるさくて、何でもお見通しで……シャドウが居てくれれば、それで良い。
シャドウの胸に顔を埋めるイーファ。
そのイーファが、唐突にシャドウを見上げた。
気配を感じたのだ。魔王と対になる存在の。
「来た……!」
「ええ、来ましたね」
イーファの言葉に、シャドウは楽しげに応える。
勇者の気配である。
この村へと向かってきているのだ。
百年前、魔王イーファを討った、勇者リーファである。魔王イーファが持っていた『永遠』を手に入れたのだ。老いることなく、全盛期の力を維持しているだろう。
……アタシは力の大半を失ったというのに。
心の中でイーファは呟く。
「今度は負けないわよ……」
「ええ、今度は勝ちましょう」
イーファの言葉にシャドウは同意する。そして、優しく頭を撫でてくれた。
心地よい感触に、しばし、うっとりした後イーファは我に返る。
子供扱いされたことに気づいたのだ。
確かに力の大半を失った上、転生で子供の姿になってしまったが、イーファは魔王なのだ。その魔王たる自分が、影たるシャドウに子供扱い。
唐突に沸き起こる怒りと気恥ずかしさに、突き飛ばすようにシャドウから離れる。
「まだ、戦いの時ではありません。機が熟すまでは……魔王様が力を取り戻す、その時まで、勇者殿との戦いは控えてください」
「わかってるわよっ!」
そう言うと、枕をシャドウへと投げつける。
枕を受け止めると、シャドウは楽しげに笑い溶けるかのように霧散した……帰ったのだ。
後に残された枕を広い、そして抱きしめる。
……歪みを貯め込んだ事で、千年魔王は正気を無くしていた。百年前、自分が勇者と相対した際は、正気を保っていた……そう記憶している。
そして、魔王は世界の歪みの具現。歪みが依り代を得て具現化した存在だ。
だとすれば、いずれ自分も正気を無くすのだろうか?
そう思うと、魔王としての力が、酷く恐ろしい物に思えてくるのだ。




