魔王の卵2
イーファの全身に鳥肌が立った。
こいつは、明らかに危険な相手で、それが事もあろうにイーファ自身に敵意を向けている。
持っている武器は、木刀が一本に鉈が一降りのみ。
鉈は家を出る時、こっそり持ちだしてきた物だ。
様子を見にシャドウが集団を離れた、その隙を突いてイーファも別方向に偵察に向かい、そしてキメラと鉢合わせしたワケだ。
キメラは確かに熊の身体を持っていた。だが、もはや熊ではない。
肩には狼の頭と山羊の頭を持ち、背には大きな翼が四つ。カラスと鷹の翼である。
取り込まれたらしいカラスと鷹の頭が、背中から他の頭同様、イーファに視線を向けていた。
醜い生き物だった。
熊の身体から、全く役に立たないだろう、狼と山羊の足まで生えている……しかも生え方には規則性もない。
その八本の足は、地面に届く事もなく時折、思い出したように空を掻いていた。よく見ると鳥の足と……他にも小さな足が幾つかある。
自分に向けられる視線には、純粋な憎悪が感じられる。
イーファ個人に向けられる憎悪ではない。イーファを内包する、世界そのものに対する憎悪である。
キメラと相対した瞬間から、イーファは無意識の内に右手に魔力を集めていた。
千年も昔、世界を滅亡寸前前に追い込んだ魔王……千年魔王も得意とした紫電の魔術である。
全力で紫電を放ったが、魔王だった頃の威力には遠く及ばない。だが、並の生き物なら十分に仕留められる威力があったはずだ。
爆音が轟くが一瞬である。
キメラの魔力が暴発した……そう言い訳は考えてある。シャドウは騙されないが、自分の味方だから問題はない。上手く話を合わせてくれるだろう。
キメラは地面に突っ伏し微動だにしない。
「魔王の卵って言っても、本物の魔王には勝てないわよ……」
息を切らせながらイーファは呟く。
キメラを倒したという爽快感はない。
あるのは、全力ですら、この程度の力しか振るえない不甲斐なさだ。
かつては万の軍勢をも、この紫電の魔術で焼き払った。それも全力すら出さずにである。
「……え?」
思わず声が漏れた。
魔王だった頃、軍勢と戦った事などないはずだ。
記録に残っている限り、魔王が戦った相手は勇者のみだ。
かつて魔王だったイーファも、その前の百年魔王も、その更に前の百年魔王も……
「この記憶……何?」
呟きイーファは俯く。
記憶の中では、まるで畑に沸いた害虫を駆除するかの如く、淡々と軍勢を焼き払ってゆく。そこには何の感情もない。
壊走し兵たちは我先にと逃げ出すが、それでも何も感じない。
なぜならば、この程度では世界は揺らぎもしないからだ。
『だから……世界を滅ぼすためには、更なる力が必要なのだ』
唐突に浮かんだ、その言葉に、イーファは思わず顔を上げる。
……キメラの、熊の頭と目が合った。他の頭もイーファに視線を向けている。
『汝ニ魔王足ル資格ハ無シ。ソノ力、我ニ与エヨ……』
キメラの言葉だった。
耳で聞いたのではない。心で聞いたのだ。
キメラは全ての頭で咆吼する。小さな……虫や小動物の頭を含めれば、その数は数十にも達していた。
とりわけ大きな熊の頭、その口の中には、幼い子供の顔があった。その子は、虚ろな視線をイーファに向けていた。
その表情や視線からは何の感情も感じられない。だがイーファは、その子の目に憤怒と軽蔑を感じたのだ。
襲いかかってくるキメラ。それを目の前にしてイーファは動けなかった。
魔王足る資格はない。その言葉と子供の視線でイーファの身体は動けなくなってしまったのだ。
キメラがイーファの身体を捕らえる瞬間、その身体は宙に浮いていた。イーファを抱くシャドウ共々に。
「魔王様。この程度の相手に臆すようでは、いけませんねぇ……」
どこか楽しげなシャドウの言葉。
恐らく挑発を意図した言葉だろうが、感じたのは、むしろ安堵だった。
シャドウはイーファを魔王様と呼んだ。つまりシャドウだけはイーファを魔王と認めてくれるのだ。
だから、安堵のあまりシャドウに抱きつき……そして泣いてしまった。
キメラに視線を向けつつシャドウは内心ぼやく。
……参りましたねぇ。これは本物の魔王の卵ですよ?
腕に抱いたイーファの温もりを感じつつ、シャドウは後ろ向きに飛び跳ねつつ距離を取った。
先程ああ言ったが、今のイーファでは勝てないだろう。
付け加えるなら、このキメラをイーファが倒したからと言って、彼女自身が強くなると言うわけでもないのだ。
だが、このキメラがイーファを食らった場合、冗談抜きで魔王となる可能性はある。
それは困る。
イーファは今のところ、シャドウが守るべき存在だ。
魔王は世界を壊す存在だ。だから制御下に置く必要がある。
制御できない魔王の存在は容認できない。それを認めてしまっては『彼女』が守りたかった世界を守る事ができない。
シャドウの力は、イーファと大差ない。シャドウ自身が魔王と根を同じくする存在だ。魔力の供給源も同じであり、受け取る事のできる魔力も魔王と同等である。
つまり魔法勝負では、このキメラは倒せないわけだ。
溜め息をつき、シャドウはイーファを、そっと降ろす。イーファも素直にシャドウから離れてくれた。
「魔王様の温もり……名残惜しいですねぇ」
「馬鹿っ!」
イーファの声に、シャドウは笑みを浮かべる。
愛おしい……それがシャドウがイーファに対する感情で、嘘や偽りは一切無い。
だから、この身に代えてでも守る。
「魔法では、あのキメラを倒せませんね……」
イーファが渾身の魔力を奮って放った魔術に耐えて見せたのだ。シャドウが魔術を使ったところで結果は同じだろう。
シャドウが魔王と同じくする物は、魔力と命、その二つだけだ。違うのは転生のたびに記憶や経験を失う魔王に対し、シャドウは力以外、何も失わないと言う事だ。
魔王の前で剣を振るうのは本意ではない。勇者をも超える剣技を持つ事を、まだ魔王には知られたくな無かった。だが、背に腹は代えられない。
溜め息混じりにシャドウは剣を抜く。まずは古具屋で買ったなまくらな剣、次いで古具屋の主人に借りた剣。
つまり二刀流である。
「魔王様。紫電の魔術を、お願いします」
シャドウ一人で、このキメラを屠る事はできる。だが、それを実行すれば魔王であるイーファを傷つける事になる。それは看過できない。
だから、あえて、その力を借りた。
イーファの放った紫電を浴び、キメラの身体にある小動物の頭は、ほぼ焼け落ちた。
そして残った頭を、シャドウは割り斬り飛ばして始末していく。
狩人たちと古具屋の主人、そしてウィズが駆けつける前に、キメラは仕留めきっていた。
「どうも、今回は勝手が違うみたいですね……」
シャドウは呟き、しまったと思う。が、イーファに気づかれた気配は無さそうだ。
世界に変化が現れたようだ。それが吉兆か凶兆かは判らない。
だが、シャドウは、それに賭けるしかないのだ。
不安を感じたシャドウは、無意識の内に魔王であるイーファを抱きしめていた。
「魔王様っ、よくぞご無事でっ!」
無意識の行動を取り繕うため、できる限り、わざとらしく言ってやる。
直後に振るわれたイーファの鉄拳に、シャドウは心の底から安堵した。




