魔王の卵
魔王は鏡を見つめる。
鏡に映るのは、前に立つ魔王の姿ではない。まだ、少年の面影を残す若い男の姿だ。彼には、勇者の力、その鱗片が感じられた。
彼が、ここに辿り着いた時、魔王は、この悪夢からようやく解放される。その瞬間を魔王は渇望していた。その瞬間の為だけに、魔王は、これからの命を繋いでいくのだ。
彼を鍛える為に魔物を生み出し、そして差し向ける。
まずは獣たちの命を歪め、力の弱い魔物を、ぶつけるとしようか……
匙加減を間違えなければ、彼は生き残り、より強くなる。そして強くなれば、いずれは、ここへと辿り着く。
その時、魔王は、ようやく、この悪夢から解放されるのだ。
目が覚めると、イーファは泣いていた。
勇者に討たれる前、魔王だった頃の夢だったような気がする……でも、あんな記憶はない。何より、勇者は女だったはずだ……男ではない。
それに夢の中の、あの男。幾分幼さがあったが、シャドウに瓜二つだった。
イーファは溜め息をつく。そして、まあいいかと、思いを振り払った。
あの夢は、何故が嬉しいと思える夢だったのだ。
そう、悲しいけど、嬉しい夢だった……
シャドウが越してきて二ヶ月……つまりイーファがシャドウを呼び出して二ヶ月が経ったわけではあるが、シャドウは村にすっかり馴染んでいた。
基本、便利屋ではあるが、芸達者ゆえ、本当に便利に使えるので村の皆に有り難がられていた。
掃除、料理、力仕事のみならず、大工仕事も本職並みにできた上、薬学の知識も相当なものだったため、医者の代わりまで務まった……だから、シャドウは村で頼りにされる存在になっていたのだ。
……そして昨日、村の近くで魔物が目撃された。村の近くに魔物が現れるのは、およそ五十年ぶりの事である。
目撃された魔物は、キメラと呼ばれる魔物だった。
喰らった相手を自らの体に取り込み力を増してゆく魔物で、熊の体を原型に、狼や毒蛇の頭を幾つも持ち、そして背には大きな翼を持っていたそうだ。
……魔王の魔力で、命を歪められた魔物。そう、教会の神父に言われ、イーファの胸は痛んだ。
かつて魔王だった頃、命を歪め、数多の魔物を生み出した記憶が蘇ったのだ。
魔物を撃つべく集められたのは、猟師が三人。そして、王都で兵士頭をしていたという古具屋の主人と、シャドウの五人……古具屋の主人は、最近、腰を痛めたとかで動きがぎこちない。……たぶん戦力にならないだろう。
ウィズやイーファ達に剣の手ほどきをしていたのが目に付いた為か、シャドウにも声が掛かった。それを便利屋の仕事として、シャドウは安請け合いしたわけである。
そして剣の師匠の付き添いを口実に、ウィズとイーファである。
「カゲさんや。そんな鈍じゃなくて、この剣を使ってくれ」
そう言って、古具屋の主人は、自分の持っていた剣を差し出す。
「いい剣ですね……」
受け取った剣を鞘から抜き放ち、眺めながらシャドウは呟く。
確かに良い剣だった。名剣とまでは行かないまでも、丁寧な仕事で作られた逸品だった。
「ワシが兵士頭をやってた頃、使っていた剣だ。名剣とまでは行かないまでも、それでも良い剣だろ?」
シャドウの言葉に、気を良くしたように主人は言う。
「ホントに兵士頭だったんだ……」
ウィズの言葉に、主人は笑ってみせる。
「実際、弱くは無かっただろが?」
弱くは無い……ではなく、古具屋の主人は実際、腰を痛めた上で、なお強かった。
ウィズやリーファじゃ簡単にあしらわれ、歯が立たないのだ。
その主人ですら、シャドウには勝てないと思っているようだ……もっとも、主人が腰を痛めていた為、二人が手合わせしている様子もなかったが。
「オヤジさんは、後ろに控えてなよ。俺たちとカゲさんで何とかするからさ……」
猟師の言葉に、シャドウは難しい顔をする。
「頭が五個十個あったって話から、手強いと思いますね。キメラは頭の数だけ命を持ってます……ですので、簡単に殺し切れません。取り逃がせば、また他の獣を取り込んで、命を増やします」
魔物の名をキメラと言い当てた神父も、そこまでの情報は持っていなかった。でもシャドウが言うなら、本当の事だろう。
イーファは、魔王だった頃の記憶と知識、その大半を失っているが、シャドウは持ち続けているのだ。この世界には、シャドウより多く魔物の知識を持つ者は居ないだろう。
「カゲさん……アンタ魔物に詳しいのか?」
「ええ、一時期、魔物狩りを、やっていた事がありますので……」
猟師の問いに、シャドウは答える。
魔物狩りとは、その名の通り、魔物を狩る事を生業とする者たちだ。
魔王が、その力を振るった百年前は、多数の魔物狩りが存在したらしいが、今は、御伽話や英雄譚の中にしか存在しないと思われている職業だ。
魔物狩りが姿を消した理由は、単純に魔物が激減した為、職業として成立しなくなったからである。
「魔物狩りって名乗る連中は何人か会ったが、みんな詐欺師みたいな連中だったな……でも、カゲさんは、本物って気がする……」
古具屋の主人は、シャドウの視線を向けつつ呟いた。
魔物狩り……というか、シャドウは魔物の親玉とも言える存在だ。イーファは魔王としての力、その大半を失ったのと同時に、多くの記憶も失っている。だがシャドウは力こそ失えど、技術に記憶と経験を、そのまま失わずに持っているのだ。
だから本人が意図的に嘘を付かない限り、魔物に関しては間違った事は言わない。
「キメラって、比較的、弱い魔物だと思ったけど……」
イーファには勇者を鍛えるべく、キメラを生み出し差し向けたような記憶がある……でも、前世ではない。
「一般的な弱いキメラは頭が多くて三つです。ですが今回は、十に迫る命を取り込んでいるようです。コレは魔王の卵……将来的に魔王になる可能性を持つキメラです。今の内に討っておかないと、後々、面倒になるかと」
その口調は、いつも通り冷静だった。でも、何故かイーファには、驚きのような感情がシャドウの中に感じられた。
……つまり、シャドウですら、滅多にお目にかかった事がない魔物って事ね。
イーファは心の中で呟く。そして手に意識を集中させた。
掌の中に、一瞬だけ紫電が生じる。でも、気づいたのはシャドウぐらいだろう。
シャドウに咎めるような視線を向けられ、イーファは首をすくめる。
キメラと一対一で戦ってみたい。強敵と相まみえれば、魔王だった頃の力が取り戻せるかも知れない。何せ、シャドウが言うには、あのキメラは魔王の卵だというのだ。
今のイーファも似たようなモノだ。どちらが本物の魔王になるのか、雌雄を決してみるのも悪くない。
「いけませんよ、魔王様?」
「……解ってる」
耳元でシャドウに釘を刺され、イーファは不貞腐れたように言ってやる。
シャドウは何でも先回りする。
呼び出して以降、危ない事や、はしたない事をしようとすると、シャドウが先回りしていて止めるのだ。
おかげで両親に怒られずに済んだ……なんて恩恵もあるが、鬱陶しくないと言えば嘘になる。
シャドウは懐から、銀の鎖に繋がれた黒い宝石のペンダントを取り出す。
「カゲさん、それは?」
古具屋の主人に問われ、シャドウが説明する。
「魔物狩りの道具で、獲物の居場所を探す道具ですが……ずいぶん長い事使ってません。ちゃんと動くかどうか」
そう言いつつ、シャドウは鎖を指に引っ掛け、クルクルと回し始める。そして、機転の向きを横から縦に変えた途端、不自然にペンダントが動きイーファに向かっての縦回転……に移る前にシャドウはペンダントの回転を横向きに直した。
たぶん、イーファに反応してしまったのだろう。
シャドウは顔色一つ変えず、そのままペンダントを回し、回転を落としペンダントを止めようとする。
直後に、ペンダントの黒い宝石が、見えない何かに引っ張られるかのように一点を指し示した。無論、シャドウの手は止まっている。
「これって……?」
ウィズが、驚いたように問う。
「つまり、向こうに魔物がいるって事でしょうね……この引きの強さから察し、かなり強い魔物のようです」
シャドウは呟くように言うと、古具屋の主人に渡された剣を腰に差した。
「まるで魔法だな……いや、こりゃ本当の魔法か」
猟師の一人が呟いた。
ともかく、魔物の位置は判ったのだ。
後は仕留めるだけだ。
三人の猟師、そしてウィズと古具屋の主人は緊張した面持ちだ。
対しシャドウは相変わらずの無表情。
イーファは……何処か楽しげな表情を浮かべているんだろうと、自分でも判った。
獲物である魔物……キメラが手強い相手だという事は、直感的に理解できた。
手強い相手だという事は、イーファが本当の意味で全力を出せる相手かも知れない。
残滓とは言え、魔王としての力が振るえる相手なのだ。つまり、自分の力を試せる相手だ。問題は、シャドウ以外の五人を、どうやって遠ざけるかだ。
まあ、何とかなるだろう。
恐らくシャドウは手を貸してくれる。それに、力を存分に振るえたのであれば、魔王だった頃の力を取り戻す切っ掛けぐらいにはなってくれるはずだ。
そんな思いが、イーファにはあったのだ。




