カゲ
向かいの長屋に若い男が引っ越してきたと、イーファの両親が話している。その会話を、イーファはボンヤリと聞いていた。
新しい隣人は、若いのに落ち着いた人で、年寄りみたいな雰囲気があるとかどうとか……
「……シャドウ?」
「そう、シャドウって名乗ったわね……変な名前を名乗るわよね。イーファは、もう会ったの?」
会ったも何も、呼び出したのはイーファ自身なのだ。
というか、シャドウは、ずっと自分の影の中にいると思っていた。
いや待て、百年魔王だった時の記憶では、別にシャドウを影から呼び出していた記憶はない……というか、結構、勝手気ままに歩き回っていた。
勝手に歩き回る、魔王の影……か。
イーファは溜め息をついて立ち上がった。
「そのシャドウさんって、何の仕事をやってるの?」
仕事もせず、ゴロゴロと……は、世間体もあるし悪目立ちしかねない。というか、魔王の腹心中の腹心を穀潰しとして遊ばせておくわけにはいかない。
「便利屋さんやるって言ってたわ。読み書きだって教えられるし、剣も使える。薬学も知識あるって言ってたし手先も凄く器用なのよね……」
「おまけに、木工の腕も良い……剣や薬学は、自己申告で信用できないが、木工の腕は確かだ。あれなら大工も木工職人も、どっちでも務まる」
イーファの母の言葉を、父が悔しげに引き継ぐ。
父は、最近独立し、村へと戻った木工職人なのだ。腕も良く、職人気質で滅多に他人の仕事を褒めない。そんな父が、シャドウを褒めたのだ。
恐らく、シャドウに少しばかり木工をやらせて、その腕を自分の目で確認したのだろう。
父がシャドウを褒めた事を、イーファは自分の事のように嬉しく思う。
「そのシャドウさんに挨拶してくる!」
両親に、そう叫ぶと、イーファは家を飛び出した。
シャドウは、掃除中だったのか長屋にいた。
イーファが呼び出した時の黒衣ではなく、村の古具屋で買ったと服を着ていた。なぜ、それが判ったのかというと、父が数日前に購入を検討し、イーファに相談した服で見覚えがあったのだ。
そして、壁には、古びた一降りの剣が立て掛けられている。
「おや、魔王様。どうなされたので? 掃除の手伝いでしたら不要です。魔王様に手伝わせるわけにはいきません」
……いや、誰が手伝うと言った。
内心そう思うが、イーファは言葉を飲み込んだ。
「シャドウは、ここに住むんだ……」
自分の影から呼び出したのだ。そして影へと押し込む事もできた。
だから、イーファの都合で好き勝手呼び出せる物と思ってたが、そう上手くはいかないようだ。
いや、そもそも魔王だった事、シャドウとは、どう接していただろうか?
記憶が曖昧で、ぶん殴った記憶しか出てこない。その記憶も、単に殴ったと言うだけで、なぜ殴ったのかという記憶はないのだ。
シャドウに視線を向ける。シャドウが近くにいると、イーファは嬉しい。先程、殴った時も、怒りと、照れ隠しはあったが憎悪を込めては殴っていない。
でも、シャドウを殴った数ある記憶の中で、一度だけ、自分はシャドウに憎悪を向けていた……何故だろう?
そんなイーファの思考を、シャドウの言葉が断ち切った。
「ええ、魔王様の影に潜み付き従う事も可能ですが、自然に魔王様と行動を共にするという意味では、こうやって人の世に生活実態を作っておいた方が都合がよいのです」
シャドウの説明に、イーファは納得する。
「成る程。人前じゃ、アナタを呼び出せないからね……それに、ご近所さんなら、アタシと話してても不審には思われない……」
イーファの言葉に、シャドウは頷く。
「ええ、影に潜み、魔王様と行動を共にするのも、湯浴みまでご一緒できるので良い物なんですが……でも、その気になれば、いつでも影に潜めますので、ならば生活実態を……」
シャドウの言葉は、そこで途絶える。イーファが無言で殴り倒したのだ。
羞恥と怒りはあったが、シャドウには憎悪など込めていない。そして、今の一撃を放った事で、イーファの頭の中から先程の思考が抜け落ちた。
「痛いです魔王様」
全く痛そうでないシャドウの言葉。
「全然、そんな風に見えないわよ?」
「魔王様に殴られたら痛いに決まってるじゃないですか」
棒読み口調でシャドウは言うと、ムクリと起きあがって何事もなかったかのように掃除を再開する。
イーファは、壁に立て掛けてあった剣を手にとって抜いてみた。
酷い鈍だった。数打ちの量産品で、何度も研ぎ直したのだろう。刃も痩せ焼き入れされた表面の堅い部分が、ほとんど無くなっている。一度、焼き入れを、やり直さなければ、満足に物も切れないだろう。
「この剣どうしたの?」
「古具屋で買い物をした際、オマケで貰いました」
そう言えば、村の古具屋に置いてあったっけ……
イーファは思い出した。
子供でも買える額ではあったが、店主が厳しく子供に剣なんか売れないと断っていたため、店の片隅で埃を被っていたのだ。
村のガキ大将が欲しがっていたおり、店主と、よく交渉していた……だから、厄介払いでシャドウに渡したのだろう。
「こんな剣、使い物になるの?」
鈍とはいえ、本物の剣なのだ。切っ先も鋭くは無いが、突けば刺さる。子供の玩具には危ないが、本職の剣士だったら見向きもしない。そんな代物である。
「私は達人ですから、並の相手なら、これで十分です」
……自分で達人なんて言うか?
イーファは呆れ返った。
というか、シャドウが剣を使っていた記憶は……それ以前に、戦っているシャドウの記憶もない。
では何故、シャドウは魔王と同等の力があるなどと知っていたのだろう?
そもそも魔王の影とは何なのだろう?
内に沸いた疑問。
イーファは、部屋の片隅の椅子に座り考える。いくら考えても、その答えは出てこない。
頭に何か被せられ、イーファは顔を上げた。被せられたのは、真新しい麦わら帽子だった。
「まだ、夕刻まで時間はあります。少々、わたしにお付き合い願えますか?」
そう言い、シャドウは手を差し出した。その手を、イーファは、そっと握る。
ずいぶん昔、こうやってシャドウと手を取り合ったような記憶がある。それも一回ではない。
この体に産まれる、その遙か昔の記憶で、いつの事かも思い出せないのだけれど。……でも、一番古い記憶は、魔王となる前だったような気がする。
あれは夜。閑散とした暗い夜道。記憶の自分は、もっと背が高く、そしてシャドウは、今よりも二回り幼かった……いや、若かったと言うべきか。
いや、こうやって思い出すのも、これが初めてという訳ではない。勇者に打たれる遙か以前、今と似た経験をした憶えがあるのだ。
「……これ、初めてじゃないかも」
呟くイーファに、シャドウは優しく笑ってみせる。それだけで、疑問は吹き飛んでしまった。
そう、シャドウが傍らにいてくれるだけで、何故か、イーファは幸せになれるのだ。
シャドウと手を繋いで歩いている所を、男友達に見られた。イーファとも、よく一緒に遊ぶ三人組で、半年前まで、一緒に水遊びもしていたのだ。
ただ、次の夏から男友達との水遊びは教会と、そして両親によって禁止された……イーファの胸が膨らみ始めたからだ。
木刀でチャンバラ遊びでもやって、その帰り道だったのだろう。シャドウと手を繋ぐイーファを見て、少年達は、驚いたように木刀を落とした。
「あの男女のイーファが親父以外の男と手を繋いで歩いてる……」
イーファは、父と手を繋いで歩く事すら、友人に見られるのは恥ずかしい年頃だ。それを、家族でもない男と手を繋いでいる所を見られた……
思わず頬が熱くなる。
「イーファさんは、わたしのお嫁さんになる方ですから、一緒に手を繋ぎ歩く事自体、何ら不思議はありません」
この年頃の少年達には、冷やかしを直球で返されると対応できない。シャドウは、それをよく知っていた。ただ問題は、イーファも対処できないという点だ。
シャドウを、ぶん殴ってやりたいが、人前だし殴れない。だから、ただ真っ赤になって俯く事しかできなかった。
少年達の一人が、意を決したようにシャドウへ木刀を差し出す。
「おい、オッサン」
「お兄さん」
少年の言葉をシャドウは即座に訂正する。身に纏う雰囲気は、どこか老成した感があるが、シャドウの見た目は二十歳過ぎの青年なのだ。
「いいじゃないか、オッサンで」
「良くはないから、お兄さんと呼んでください」
シャドウに出鼻を挫かれたが、それでも、少年は引き下がらなかった。
「なら、お兄さん。俺と勝負してみないか?」
「嫌です」
少年の言葉を、シャドウは一言で切って捨てた。
この少年、剣の腕はイーファと、ほぼ互角である。お互い本気を出してない状態なので、実際のところ何とも言えないが、剣士を志せは一角の人物になれるだろう。
そしてシャドウの剣の腕は、イーファも思い出せない。……頼りになるって事までは思い出せるのだが……
「剣の達人って、自分で言ってたわよね?」
だからイーファはシャドウを嗾けてみた。シャドウの実力を見ておきたいのだ。自分の目が届く範囲なら抑えが効く……もっとも、シャドウが暴走するとは、最初から思ってなどいないのだが。
「なら稽古を付けてくれよ?」
少年も、切り口を変えシャドウに食いつく。
「なら、素振りを見せてください」
シャドウの言葉に、少年は木刀を構え直し、大きく振りかぶる……そして踏み込むと同時に、シャドウに打ち込んだ。
驚かせる事を前提とした、避けやすい一撃である。
イーファの脳裏に浮かんだのは、木刀の直撃を喰らっても平然としているシャドウである。……そんな異常な姿、人目にさらすわけにはいかない。
ただ、シャドウも、イーファが思ってたほど非常識ではなかった。打ち込まれる前に、木刀を少年の手から取り上げたのだ。
「えっ……いま、どうやったんだっ!?」
少年の剣は、我流かつ荒削りだ。剣の握り方すらなってない……だから、シャドウは、そこに付け込んで木刀を取り上げたのだ。
「筋は悪くありませんが……基礎がなってませんね。剣は鷲掴みにせず、薬指と小指で握る。人差し指と中指は力を込めない」
シャドウは指導しているつもりだろうが、明らかに少年の神経を逆撫でしていた。いや、シャドウの事だから、意図的にやっているのかも知れない。そんな事をイーファは考える。
ただ、シャドウの剣の腕……いま見せた僅かな動きだけでも、相当なものだと察する事はできる。……少なくともイーファ自身より上だ。
多くの記憶と共に、イーファは積み上げた技も失ってしまったのだろう。だからか、色々ちぐはぐなのだ。もっと上手く剣が使えたはずなのに、今は全くだ。そして他人の評価は出来ても自分を評価できないでいる。
少年は、仲間から木刀を奪うと、再びシャドウに打ち込んだ。
だが、振り下ろされた手には、木刀は握られていなかった。その木刀は、少年の足下に転がっている。……シャドウが叩き落としたのだ。
ようやく、少年も圧倒的なまでの実力差を自覚したようだ。
呆然としたように、空っぽになった自らの手を見つめている。
「まずは剣の握り方からですね……なんでしたら、イーファさんにも、お教えしますよ?」
シャドウに習うのは癪だが……イーファの剣も、少年同様、基礎がなっていないのだ。指導によって基礎を身に付けられたら、今後は、この少年に勝てなくなってしまう。それは、シャドウの指導を受けるより癪に障る。
だから、黙って頷いた。
この少年は、村にいるイーファの、数少ない好敵手なのだ。好敵手が腕を磨くなら、自分も腕を磨く。そのためなら、癪に障るが、シャドウの指導だって受けるつもりだ。
「俺って、強くなれるのかな……?」
「先も言いましたが、筋は悪くありませんね……というか、良いと言わせていただきます。ですので、ちゃんと指導を受ければ伸びますよ?」
少年は、シャドウを見上げる。
「ウチの親は、カゲさんって呼んでたけど、師匠って呼んだ方がいいのかな……?」
「カゲさん……で、構いませんよ」
シャドウだからカゲ……それは理解できるのだが、シャドウ自らカゲと名乗ったのだろうか?
「カゲさん?」
「シャドウは呼びにくいとの事で、カゲさんと呼ばせてと言われましたよ……」
つまりアダ名である。シャドウ自身が気にしてないなら、イーファとしても言う事はない。
「俺、ウィズってんだ。アンタ……カゲさんを目標にさせて貰うよ?」
少年……ウィズの言葉に、シャドウは余裕の笑みを浮かべる。
「イーファさんは目標にしないでくださいね?」
シャドウの言葉に、ウィズは真っ赤になり……イーファはシャドウの足を力一杯、踏んづけた。
恐らく演技だろうが……シャドウは本気で痛がっているように見えた。




