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魅入られ人のにちじょう

魅入られ人のにちじょう 〜雛人形の話〜

 日条にちじょう 四季しきは人見知りだ。本人にとってはかなり重大な悩みである。友達を作ろうにも、まず自分から話しかけるということができない。

 とはいえ彼の悩みは『友達』には存外理解されない。彼らとしては、自分たちと平気な顔で話せている人間がなにをおかしなことを、という感想をまず抱くのだろう。

 それはそちらが積極的すぎるからだ、という言葉をぶつける勇気は彼にはない。なんにせよ、仲良くしてくれるのはありがたいことだ。

 しかしその日は、そんな彼ですら見ず知らずの人間に声をかけてしまうような出来事があったのだった。

 三月三日、ひな祭り。少年だった四季には関係のないはずだった日のことである。


 ■ ■ ■ ■ ■


 四季はぼんやりと家路についていた。集団下校が決まりであるとはいえ、家が離れている四季は結局こうして一人で帰ることが多い。

 家に近づくにつれ、人影が少なくなっていく。彼の家はそれだけ辺鄙な場所に位置していた。

 が、珍しいことに。とても珍しいことに、彼は道の向こうから歩いてくる人影がある。

 四季は小さく目を見張った。こんなところでなにをしているのだろう。見たところ、自分と同じ……おおよそ十歳かそこらの女の子だ。どこか強張った面持ちで、なにかを抱きしめるようにしてこちらに歩いてくる。

 見たところ、普通の人間らしい。ならばあまりじろじろ見るのも失礼か。そう思った四季は視線を逸らし、その女の子とすれ違う。

 それで縁は終わるはずだった。のだが。


「あのっ!」


 女の子の体がびくり、と震える。彼女は足を止め、おずおずとこちらを見た。

 同じく足を止めていた四季は内心で首を傾げている。なぜだろう。なぜ自分は声をかけたのか。

 二の句が継げず、気まずい沈黙が二人の間に広がる。どうしたものか。困ったように視線を彷徨わせていた四季は、不意に相手の抱えるものに目を留めた。


「それ、どこで拾ったの?」


 四季は落ち着いた態度で尋ねる。先ほどまでの狼狽はどこかへ消えてしまった。

 なんとなく、自分が相手を呼び止めてしまった理由が見えてきた。おそらく、女の子が抱えているものが原因だろう。

 それは雛人形だった。

 お世辞にも大事に扱われていたとは思えない。人形に詳しくない四季でも見て取れるほどに、それはぼろぼろだった。

 色褪せた着物、薄汚れた肌。しかし何より目を引くのはバランスの悪さだ。前髪が右半分だけ伸び、片目を覆い隠している。どころか、隠された側の顔もひび割れているように見える。

 呑気に持ち出していい代物には見えなかった。


「……そ、そんなの関係ないでしょ」

「どこで拾ったの?」


 苛立ちと怯えの混じった視線を受け止め、四季は繰り返し問う。

 女の子は怒鳴ろうとしたのか、口を大きく開き……そして戸惑ったように閉じた。

 四季と手元の雛人形を交互に眺めながら、言う。


「む、向こうのお家からもらってきた」

「お家?」


 四季は首を傾げる。この辺には、自分の家くらいしかないはずだ。そして彼の家に雛人形はない。

 女の子も困惑したように視線を逸らす。


「……あなたのじゃないでしょ? あんなぼろぼろのお家に住んでる人なんていないよ」

「まあ、確かにうちじゃないと思うけど。そんなところから、その人形を拾ってきたの?どうして?」

「どうして、って……それは……」


 彼女は言葉を詰まらせる。困惑がだんだんと混乱へと変化しているように見えた。

 答えを待っていても埒があかない。気がする。そう判断し、四季は声をかけた。


「ちょうだい、それ」

「え?」

「もともとあったところに戻しておくよ。それとも、そんなにその人形が欲しい?」


 その言葉に少女は面食らったようだった。少しの逡巡のあと、ぶんぶんと勢いよく首を横に振る。

 そして足早に近づいてくると、押しつけるようにして四季に人形を渡し、また足早に道の向こうへ歩いていく。

 その背を溜息とともに見送ってから、四季は改めて帰路につく。腕の中に雛人形を収めながら。しかし改めてみるとこの人形、本当にぼろぼろだ。右半身がひどく傷つけられている。これがあったという家の主がやったのだろうか。

 人形をぼんやりと眺めていた四季はふと気づく。人形の右手……と言っても、右手首から先はなくなっているのだが……から、なにか不穏な空気がする。

 足を止め、目を凝らす。すると右手首からうっすらと黒い朧げな糸が伸びているのが見えた。

 糸の伸びる先を目で追う。糸は四季の後方に流れるように続いている。ひたすらに視線でたどる。ふと、目が合った。

 雛人形を持ち出したあの少女が、どこか後ろ髪を引かれた様子でこちらを凝視していた。

 四季は思わず目を丸くする。相手もこちらが振り向くとは思っていなかったのだろうか、慌てた様子で背を向けた。

 糸は彼女の首に巻きついている。

 首を傾げていた四季は元の方向に向き直った。背中に視線。振り向く。凝視していた少女が背を向ける。向きなおる。背中に視線。振り向く。背を向けられる。

 なるほど。友達の言葉を借りれば「魅入られて」いるらしい。

 こっそり溜息をついた四季は、少女がこちらを見ていないことを確認してから右手の人差し指と中指を交差させた。そしておもむろに伸びる糸めがけて振り下ろす。

 ふつっ、と。黒い糸は断ち切れた。

 

『あっ』


 小さな驚きの声がだぶって聞こえたのは、きっと気のせいではないだろう。

 たたらを踏んだ少女がこちらを振り向く。まじまじと四季を見つめていた彼女は、やがて怯えたように駆け去って行った。四季はそれを複雑な気持ちで見送る。

 

「ま、いいか。これも人助けだよね、きっと」

「……口惜しや。せっかく上手く行くところであったというのに」


 自分を納得させるように呟いた四季の耳に、嗄れた女の声が響く。

 眉間にしわを寄せ、声のした方向……自分の腕の中を見やる。首だけをこちらに巡らせた雛人形が、恨みがましい視線を浴びせてきた。

 思わず憮然とした息が漏れる。

 

「やぁーっぱり怪異だった。あの子に憑いてどうするつもりだったの?」

「わかっておるくせに。それをわざわざ説明してやる必要があるかえ?」


 脅すように声を投げかけた雛人形は、左の目を細めて四季を見る。値踏みするかのように。

 

「しかしまあ、小憎たらしい小僧だこと。妾のような怪異モノを見たら、悲鳴の一つでもあげるものではないか?」

「そんなこと言われても……友達にいっぱいいるし」


 四季は正直にそう言った。

 この田舎に来てからというもの、彼にできる友人はもっぱら怪異と呼ばれる存在だ。とどのつまりは、彼が今抱え込んだ雛人形のような。

 はっきり言ってしまうと慣れっこなのだ。むしろそのせいで奇異の眼差しを向けられる方が彼にとってはよほど恐ろしい。

 雛人形が露骨に溜息をつく。

 

「はぁ。せっかくの妾の日、ひとつ人の子をひっかけ遊んでやろうと思うたのに。何故小僧っ子に捕まってしまうか。せめてぬしがの子であれば楽しめたのにのう」

「なに、女の子の方がいいの」

「それはそうだ。妾はの子のためにあるでな。妾のように美しくしてやるのだ。片側を捥いでな。ホ、ホ!」


 鈴を転がすような笑い声。四季は半眼で雛人形を見下ろす。どうやらなかなかたちの悪い怪異であるようだ。

 だとすれば、少し灸を据えておくべきだろう。

 

「……だとしたら、うちにもいるよ。女の子」

「ほう」

「よかったら会わせてあげるけど」


 雛人形は無表情に四季を見上げる。やがて彼の言葉に嘘がないことを見出したのか、その口元に歪んだ笑みが浮かんだ。

 

「ホ、ホ! そうか、そうか。よい心がけじゃの、小僧。仲の悪い姉か妹か」

「……まあ、姉、かな」

「ほう、ほう! それはよい。ならば妾を連れて行け。その姉とやら、可愛がってやるでな」


 四季は答えない。黙って自宅の道を急ぐ。

 雛人形は上機嫌な様子で鼻歌など歌っていた。先ほどの恨み節が嘘のようだ。

 

「しかし、あれじゃの。よく見ればなかなかの男前じゃな、ぬしは」

「ああ、そう」

「つれないのう。嘘でも世辞でもないぞ? 妾の男雛の代わりにしたいほどだ」

「男雛? ……ああ、お内裏様のこと?」

「その呼び方はあまり感心せん。内裏というのは組み合わせのことゆえな」

「へぇ」


 などとつまらぬ話を交わしているうちに、家に着いた。

 四季の家はそれなりに大きい。周囲を生垣で囲まれているため、玄関口以外からは中の様子が伺えないようになっている。

 

「ほほう、なかなか立派な……このあたりの名主の子か、ぬしは?」

「いや、引っ越してきただけ」


 素っ気ない答えを返し、庭へ足を踏み入れる。首筋の毛がちりちりするような錯覚。どうやら『姉』が感づいたらしい。

 普通の人形の振りをするためか、前を向いて黙り込んだお雛様とともに家の中へ。

 そこで彼女が待ち構えていた。赤い着物、几帳面に切りそろえられた前髪。四季が引っ越してくる前からこの家に住み着いていた座敷童、音成おとなり 御影みかげ。四季にとって『姉のような存在』。

 腕の中で雛人形がわずかにたじろいだ、気がした。

 

「おかえり、四季」

「ただいま、御影。早速だけどこれあげる」


 有無を言わせず、四季は雛人形を御影に手渡した。受け取った彼女はそれに冷たい一瞥を向ける。

 四季はあの雛人形が冷や汗を流しているような気がした。

 

「四季。これ、どこで拾ってきたの」

「いや、拾ったのは俺じゃないんだけど」

「ああ、もういい。だいたいわかった」


 無表情に答えた少女の怪異は、どこからともなく黒い寄木細工の箱を取り出しその蓋を開けた。

 瞬間、箱の中から飛び出してきた無数の腕が雛人形を掴む。

 

「ぎゃ」


 悲鳴をあげさせる前に、腕は雛人形を箱の中に引きずり込み、消えた。

 何事もなかったかのように、御影は箱の蓋を閉じる。

 

「……早く、手、洗ってきて。おやつ食べよう」

「う、うん。あの、ほどほどにしておいてあげてね?」


 おずおずと四季は言う。呆れたように四季を一瞥した御影は、なにか言いかけた……が、結局溜息を一つつくだけにとどめたようだった。

 

「別に壊してもいいやつだと思うけど。四季がそう言うなら」


 その言葉に内心胸を撫で下ろしながら、四季は靴を脱いで洗面所に向かう。

 箱の中であの雛人形がどのような目にあっているかを、なるべく想像しないようにしながら。

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