第六章 緩やかに近付いていく
多分間違いなく、今の私は限りなく幸せ者だ。毎日がものすごく充実していて、ああこれが順風満帆とか、そういう言葉が似合う状況なんだろうなあ、と、ぼんやり考え出してしまうくらいには。考えている暇なんて、本当は今はないのだけれど。現在、バイト中なもので。
「陽子ちゃーん!コーヒーおかわり貰える?」
「はーい。ちょっと待っててくださいねー。」
駅前のコーヒーショップでアルバイトを始めて、まだそこまで期間も経っていない。の、だけれど、何故だか完全に馴染みきった私は、主に目上のお客様から好かれる傾向にあると把握した。それを店長である田中さんに言ってみたら、曰く、年寄りウケがいい、と。まあ確かに、実家で暮らしていた時は近所のおばさま方からめちゃくちゃ可愛がっていただいていたけれど、それだろうか。とはいえ、いい看板娘っぷり!と、田中さんが満面の笑みだったので、まあ、いいことにする。少なからず私のキャラクターが店の売り上げに貢献しているのなら何よりというものだ。
「お、今日も頑張ってんなあ。」
「本間さん、いらっしゃいませ!」
ここ数日、ノートパソコンを抱えて本間さんは店にやって来る。次の作品の執筆を始めたらしい。それなのに割合に騒がしいここでいいんだろうか、と思ったのだけれど、聞けば、本間さんはある程度何かしらの音がある場所の方が仕事がはかどるのだとか。
「いつものでいいんですか?」
「さすが陽子ちゃん分かってるなー!頼んだ!」
カラカラと笑う本間さんは、店で凄まじく人気者だ。本間さんが来るとそこに何人かのお客様が必ずと言っていいほど寄っていく。すごい人だなあ、そんな風に思いながら、今日も今日とてカウンターに陣取ったのにほかのお客様のテーブルに引っ張られていった本間さんを眺めつつ、カフェモカを用意する。本間さんは甘党らしい、というのは最近覚えた。
常連さんに頼まれたホットコーヒーのおかわりと、本間さんのカフェモカ。両方をトレーに載せて運べば、前者からは笑顔とお礼、後者からはついでに頭を撫でられるというオプションが与えられた。バイト先で凄まじく猫可愛がりされているような気がするのは、多分気のせいじゃないだろう。
「…やれやれ。」
「人気者は辛い、ですか?」
「かもな。」
三十分ほどして先ほど拉致されたテーブルからカウンターへと戻ってきた本間さんは、言葉とは裏腹に笑顔だった。茶化す私の言葉に、カラカラと笑い声を上げる。
「仕事させてくれよ、ってな。」
「いいじゃないですか。それだけ人気者ってことで。」
「まあ、な。ネタにもなるし?」
「そうそう。」
キュ、とグラスを拭きながら本間さんと雑談する。一瞬豆を挽こうとミルの方を向いた合間に、本間さんはお仕事モードに入ったらしかった。カタカタと素早いタイピングの音が店内に響く。気づけば、先ほど本間さんに声をかけた常連さん達は帰っていた。今残っているのは、ゆっくりと午後をコーヒーと共に過ごしたい、いつも長居する常連さんだけだ。
カウンターでお仕事をする本間さん、窓際の席で週に何度か読書しに来る大学院生だといっていたお兄さん、俳句が趣味の駅前の商店のおじさんは、今日もテーブル席に陣取って何やら本を片手に時々筆をとっている。穏やかな時間がすごく好きだった。店内に差し込む日差しの感じも、自分が挽くコーヒー豆の香りも、全部が綺麗なバランスの上に成り立っているようだ。
最近のバイト中のお気に入り時間は、こうして、常連さん達が思い思いにゆっくりとした時間を過ごしているのを眺めながら、豆を挽く瞬間。どうにも和む。そして豆の挽き方を私に伝授してからというもの、私が平日の日中バイトに出ていれば、決まって店長である田中さんはこの時間帯に休憩を取るようになった。まあ、田中さんがいたんじゃあここまで静かな時間にはなるまい。というのは雇い主に対して少しばかり失礼かもしれないけれど。
「笹井ちゃーん、たっだいまー!」
「はい、お帰りなさい。」
「変わったこととかはなかったか?」
「ないですよ。いつもどおり、のーんびりした昼下がりってとこです。」
「そっかそっか。」
田中さんが休憩から戻ってきたのとほぼ同時、豆が挽き終わる。それをゆっくりと淹れながら、田中さんが店を外していた間の報告。ほぼ、報告すべきような事柄なんて起こらないのだけれど。
「陽子ちゃん、無理してその馬鹿に付き合わなくていいんだぞ。陽子ちゃんまで馬鹿になるからな。」
「気をつけておきますね。」
「おいこら!」
本間さんのからかいに声を荒立てる田中さん。それを横目に、挽いたばかりの豆で入れたコーヒーを飲んで一息つく。昼のピークあとの時間帯とはいえ、一人でその瞬間店を切り盛りしているのだから、と、休憩まではいかないものの休めということでコーヒーブレイクタイムを先日より田中さんから指示された。嬉しいのだけれど、どうにも自分で淹れたコーヒーより田中さんが淹れたコーヒーの方が格段に美味しくて、いつも何が違うのかと首をかしげてしまう。
「あれ?笹井ちゃん今日何時上がりだったっけか。」
「今日は六時ですよ。遅番のユキちゃん、授業長引くって。」
「あー…そうだったか。」
いつも早番の時は五時上がり。だけれども五時を過ぎてものんびりと仕事をしている私に、田中さんが首を捻るから思わず笑ってしまった。昨日しっかりと連絡はもらっているはずなのに、まるでネタのごとく忘れているのだから余りにも予想通りでどうしようもない。そんな私のニヤニヤ笑いに、田中さんは居心地悪そうに首の後ろをガリガリと掻いていた。
「今日は善博のお迎えは?」
「なしですよ。林さんも夕方までお仕事みたいで。何時に終わるか微妙、って昨日。だから今日はなしになったんです。」
「そっか。じゃあ俺が残るかな。」
「あらら。…毎回思いますけど、林さんも本間さんも過保護です。」
「仕方ないだろ?陽子ちゃんが心配なんだからな。」
カップを磨く私と、タイピングの手を止めない本間さん。本当に、過保護だ。嬉しいことだし幸せだけれど、時々笑ってしまう。そんな私たちを眺めていた田中さんは一言。
「お前ら、いいトリオだよなあ。」
「へ?」
「いや、本間と善博はいいコンビだなあって昔から思ってたんだが、笹井ちゃんも加わっていい感じだな、と。」
「…そうですか?ちょっと嬉しいですね、それは。」
ふふ、と笑えば、馬鹿二人と同類で喜んじゃまずいだろ、とワザとからかう田中さん。それに反論するかと思われた本間さんはノートパソコンの画面に集中していて、ノーリアクションだった。さっきまで話していたのに、と田中さんは拍子抜けしたのかがくりと膝を折った。やっぱり笑う。
「まあ、冗談抜きで。いいトリオだよ、三人は。」
「ありがとうございます。」
肩をぽん、と叩く田中さんの笑顔は優しい。言葉少なにだけれど多分、すっかりマンションにも馴染んだな、とか、そういうことを私に伝えたかったんだろう。田中さんの少しだけ不器用な思いやりに、俄然やる気も出てカップを磨く速度も上がった。
「お疲れちゃん。」
「お疲れ様です。お先に失礼します。」
「陽子ちゃんごめんねー!ありがと!」
なんだかんだとやっているうちに時間なんてあっという間に過ぎていく。いつもより勤務時間が長かったからそれにかこつけて、思わず排水溝を全力で掃除してしまったりとか。そんなことをしつつ接客もして、とやっていれば、気づけば六時になっていた。私と交代の遅番、ユキちゃんが来たからと交代して、さっさとバックヤードに引っ込む。本間さんは仕事に夢中になっていたからそのまま放置だ。着替えて前に戻ったら、きっと何でもない顔をして、帰り支度をしているのだと思う。
「お!お疲れ様。」
「お待たせしました。」
「全然待ってないけどな。」
案の定着替えて店に戻れば、本間さんはパソコンをカバンにしまったところだった。にかりと笑って、頭を撫でてくれる。
「帰るか。善博が待ちくたびれてるな。」
「そうですね。帰ってささっとご飯作らないと!」
田中さんとユキちゃんにお疲れ様です、ともう一度だけ声をかけて、気をつけて、なんて見送られながら店を出る。そろそろ日が暮れ始めていて、少し薄暗い。そこを本間さんと並んで歩きながら、今日の晩ご飯について考える。昨日、少し多めに買い出ししておいたから今日の買い物は無し。そのかわり何を作るか、というのが目下の議題だ。
「お豆腐と大根があったので、豆腐ハンバーグに大根おろしのソースなんて考えたんですが。」
「それうまそう!それがいい。それ。」
「大根おろしのあんかけにしてもいいですねえ。どっちにします?」
「善博があんかけを推すに一票。」
「じゃあ私は三票くらい追加しますか。」
そこにいないとしても、私と本間さんの会話には必ずと言っていいほど林さんの話題が上る。晩ご飯の話も自然に林さんの煮物好きな傾向を鑑みて、二人で同時に噴き出してしまった。そんなこんなでマンションまであと数メートル。角を曲がればマンションのエントランスが見える。そんなタイミング、だった。
誰かを見つけたのか、小走りの尾形さんの背中を見つけた私と本間さんは、尾形さんが走ってるなんて珍しい、くらいのコメントしか思いつかなかった。最初は。角を曲がって、エントランスが見えた時に、心臓が嫌な音を立てたのを感じた。
「…林さんと、尾形さん…?」
「ん?」
私より一拍遅れて角を曲がった本間さんが、思わず立ち止まった私を訝しげに見やってからエントランスに目を向ける。そこには、林さんと尾形さんがいた。それ自体は普通だ。当たり前の光景だ。だけれど、尾形さんが珍しく眉間にしわを寄せて顔をあからさまにしかめて、林さんに向き合っていた。林さんも少し、難しそうな顔をしている。見たことのない二人の表情と、どこか立ち入ってはいけないような気にさせる、雰囲気。それに思わず、私は足を止めていた。
「善博に千絵ちゃんじゃん。何かあったのか?」
「本間さん、」
思わず停止してしまった私を置いて、本間さんは二人に声をかける。声をかけられた二人は弾かれたようにこちらを見て、尾形さんに微笑んだ。林さんの表情は、ちょうど本間さんの背中と被っていて伺えない。
微笑まれたらもう、足を止めているわけにもいかなくて、おずおずと本間さんに倣い、二人の元へ足を進める。バイト?と問う尾形さんに、そうですと頷きつつ林さんを見遣れば、少し不機嫌そうに顔を歪めていた。何があったんだろう?と小首をかしげる。知りたいような、知りたくないような、少し自分でも測りかねる感情が胸に渦巻いていたけれど、気になるものは仕方ない。どうしたんですか?と問えば、林さんが拗ねたような顔で私を見た。
「…くだらない事。」
「ざっくりしてる…。」
答えてはくれたものの結局何を話していたかは分からないし、答えてすぐに林さんはぷいっと効果音でもつきそうな素振りでそっぽを向いてしまった。なんとなく立ち入ってはいけない空気を感じて、いつもならそこできちんと踏みとどまれるのだけれど、何故だか今日は、少しだけ胸が軋んだ。拒絶された、そう感じてしまったのかもしれない。拒絶ではなくて、ある程度の線引きは当たり前のことなのに。
「知りたい?」
「え?」
「顔に書いてあるわよ。」
肩をぽん、と叩かれ、振り返れば尾形さんがふわりと微笑んでいた。さっきまでの険しい表情はどこに行ったのだろう、と思ったのだけれど、その笑顔に一瞬見惚れたのは内緒だ。だって綺麗なんだもの。
「林さんが笹井さんに迷惑をかけてないか、本人に聞いてたの。」
「…は?」
すごくいい笑顔だった。表情が大きく変わることの少ない尾形さんだけれど、レアとしか言いようのないくらいすごくいい笑顔で爆弾を投下した。驚きすぎて私はぽかん、としてしまう。横で本間さんが全力で噴出した。
「千絵ちゃん、それ、何で?」
くく、とお腹を抱えるようにして大爆笑しながら本間さんが尾形さんに問う。その隣の林さんは不機嫌そうな表情をより濃くしていた。尾形さんの質問の意図を知りたい反面、それに少し、そわそわとしてしまう。
「本間さんが笹井さんを構うのは分かるの。…でも林さんの場合、面倒見るより、見てもらうほうが多そうで。」
この間の晩御飯を一緒に食べている、という話から尾形さんはひたすらそれが気になっていたらしい。それで偶然にも珍しく遭遇した林さんに、聞かずにはいられなかったそうだ。ちなみに林さんの返答は、関係ないでしょ、というすげないものだったらしいが、それに切り込めば、多分、とだけ返ってきたそうで。
「本当に迷惑かけられてないのね?」
「尾形さん、林さんには辛辣だったんですね…。」
まさかの事実に私は目が遠くなる。とはいえ、だ。林さんの多分って反応はなんなんだろう。迷惑だなんて、私が常に迷惑をかけてるのに、そこで多分って。色々とおかしいしつっこまずにはいられない。尾形さんには返事をせず、そのまま林さんに向きなおれば、林さんの肩が少し跳ねた。それは見なかったことにして、林さん、と少しだけ強く呼ぶ。
「多分って、…多分って何ですか?」
「え、や、その、」
「迷惑かけっぱなしなのは私なのに、そんな風に言わないでください!」
もう!と強い口調で言い切れば、林さんは目を丸くしていた。尾形さんが、え?と小首をかしげている。すごく可愛らしい、が、今はそこに言及したりキャーキャー言ったりしている暇はない。
「確かに玄関がたまに開いてたりするのはびっくりしますけど、鍵が開きっぱなしなのは何となく慣れてきたし、どこに私が林さんを迷惑だなんて思う要素があるんですか?最近うっかり甘え癖がついちゃって、林さんはもちろん本間さんにも、お二人に頼りっきりなのは私なのに。私が迷惑って思われるならいざ知らずおかしいでしょう!」
多分、私にしては珍しかったと思う。というかこのマンションに越してきてから今初めて怒っている気がする。早口でまくしたてるように言い切れば、林さんはびっくりしたのか完全にフリーズしていた。尾形さんも。一人だけ、本間さんだけは何かツボだったのかヒーヒー言いながら笑い続けていた。それを目線だけで諌める。ギッと思い切り強い目線で射抜けば、本間さんは小さく、ごめん、と呟いて降参のポーズをとる。
「…あの、その…ごめん。」
本間さんの笑いが収まったのと同時、林さんが小さく声を上げる。でもその言葉は、今の私に対しては火に油だ。とはいえきっと、思わず、だったのだろう。言い切ってから林さんは、あ、という顔をする。本当はもう少し怒ろうかと思ったのだけれど、でもなんだか、分かってくれているならいいや、と思えてしまった。だから怒った顔を作りたいけれど微妙に笑っている、というなんとも微妙な表情で、わざとらしくビシッと林さんに人差し指を突きつけた。
「謝られたくないです!」
「うん…、ありがとう。笹井さん。」
微笑みながらの林さんの言葉に、私は作っていた表情を解いて笑う。それから、こちらこそありがとうございます、と軽く頭を下げた。その仕草に林さんは慌てたようだったけれど、そこにようやく笑いから復活した本間さんが割り込む。お互い様だよな、と。それに私も頷けば、林さんも、それはそうだと笑みを深くする。
「…本当、仲が良いのね。」
林さんの笑顔を見てなのか、私たちのやりとり全体を聞いた上だからこそなのか。そこは定かではないけれど、尾形さんはしみじみと呟いた。それから、余計な心配してごめんなさい、と少し寂しそうな笑顔を浮かべる。その表情に私は、何故?と疑問符を浮かべた。だって、何故。
「…なんかその言い方だと、尾形さんと私がそんなに仲良くないみたいに聞こえて寂しいんですが…気のせいですか?」
私としては尾形さんとも仲良くなっている、つもりだったのだけれど、勘違いだったんだろうか。都合のいい解釈かもしれないけれど、尾形さんの言い方は、表情は、どことなく自分は仲間外れ、みたいな意味をはらんでいるように感じた。だからそれを否定するように言葉を紡げば、尾形さんは目を丸く見開いて、それから一つ、小さく笑ってくれた。
「ん…ありがとう。」
ふわり、と笑う尾形さんはきれいだ。その表情に私がきゃっきゃとテンションを上げれば、後ろで本間さんがひたすらに馬鹿笑いしていた。解せぬ。
「尾形さんも今度一緒に夜ご飯いかがですか?皆で食べましょう!」
「いいの?」
「俺は歓迎するぞ?」
「…僕も別に良いけど。」
尾形さんの白い手を取って笑ってみる。するとそこに本間さんと林さんも加わって、なんだか温かい空気がそこに生まれた。尾形さんは少し恥ずかしそうに笑って、それから、今度ね、と頷いてくれたから、瞬間、私がガッツポーズを力強く決めたのは言うまでもない。
「陽子ちゃんは千絵ちゃんのこと好きだよなあ。」
「そりゃあ!だって尾形さんお優しいし、綺麗だし、初めてお会いしたときから憧れです!!」
「…笹井さん、ちょっと恥ずかしいからやめて…。」
尾形さんを取り囲んできゃっきゃと騒いでいれば、私にとって本心なのだけれど面と向かって褒め倒されたと感じたらしく、尾形さんが頬を染めて居たたまれないという表情をする。顔を隠そうとする手を本間さんが奪って、照れない照れない!とある種追い打ちをかけていた。ほんわかした空気感に、思わず林さんと顔を見合わせて笑った。
結局その晩の夜ご飯はいつもの三人だけとなった。今度、と約束はしたから、近い内にいつにするか決めるつもりだ。その日は私と尾形さんの二人でご飯を作ろうという話になった。
「林さん、これ運んで貰っていいですか?」
「ん、わかったー。」
「本間さんはこっちを!」
「おう。」
バイト先から帰るときに本間さんに提案したとおり、今晩は豆腐ハンバーグに大根おろしのあんかけを添えたものがメインだ。あときんぴらごぼうとレタスと卵のスープ。割りと珍しくヘルシーなメニューだ。ちなみに林さんに、豆腐ハンバーグにかけるのはソースかあんかけかどちらがいいか聞いたら、案の定あんかけになった。
「珍しく肉がない!」
「本間さんどんだけ肉好きなんですか…たまにはいいじゃないですか。」
ねえ林さん、と同意を求めれば、きんぴらをもぐもぐとしながら林さんがこくりと頷く。それを見て本間さんはまだ不満なのか、むう、と口を尖らせるから、わざと満面の笑顔を浮かべてみせる。
「無理して食べないでもいいですよ?」
「いやいやいや!食べる、食べます!!」
美味しいんだろうけどね、やっぱり肉がね、とブツブツ言いながらも本間さんはハンバーグにお箸を刺した。結構出来はいいから、油っこくないハンバーグぐらいの味にはなってると思うのだけれど。豆腐っぽさはそこまでないはず。そう思いながら本間さんを見やれば、一口食べて驚いたように無言で目を見開いていた。ちょっと面白い顔になっている。
「どうです?」
「…うまい。」
「でしょう?」
びっくりしたようにこちらを見てから、ばくばくと本間さんはすごい勢いで食べ始める。それを笑いながら自分も箸を進めれば、本間さんの様子を眺めていた林さんがスープを飲みながら首をかしげている。それにどうしたのだろうと視線をやれば、お碗を置いた林さんが、心底不思議だと言わんばかりの表情で口を開いた。
「…笹井さんが作ってくれるのはなんでも美味しいのに、なんでそこまで肉にこだわるかなあ。」
「っ!?」
今度は本間さんではなく私が驚いてしまう。お茶が上手く飲み込めなくて、げほごほと咳き込んでしまった。
「え、笹井さんどうしたの!?大丈夫?」
「陽子ちゃんしっかりしろー。」
突然の褒め殺しに死にかけている私に、原因である林さんは気づいていないらしい。気づいた本間さんはお腹を抱えて笑いながら私に声をかけてくるのだけれど、心配していないのがバレバレだ。涙目でキッとにらめば、ごめん、と手を合わされた。
「…林さん、」
「うん。落ち着いた?」
「落ち着きました。…じゃなくて!」
「何?」
「突然褒め殺しするの本当に心臓に悪いのでやめてください!!!」
「無駄だ陽子ちゃん、こいつ天然タラシだからな。」
「やっぱりですかああああああああ。」
「え?え?なんのこと?」
状況をやはり把握してくれないのは林さん。本間さんは、私が初対面の頃林さんに抱いていた印象が間違いでなかったことを今更になって爆弾として投下するから、思わず頭を抱えてジタバタと身悶えてしまう。それを眺めながら爆笑する本間さんに今度こそ苛立って、思わず横っ腹に軽くパンチをお見舞いする。
「痛い!暴力反対!!」
「誰のせいですか誰の!元を正せば本間さんのせいでしょう!」
「俺なの!?」
「あー…二人共、落ち着いて。」
状況把握を諦めたらしい林さんに、肩をぽんっと叩かれて、動きが止まる。ちら、と見やれば、苦笑いが返される。
「えーっと…ごめん、ね?」
「…そうじゃないです…。」
謝ってほしいわけではなくて。でもうまく言葉にならなくて。ぐっと言葉に詰まった私の頭を、林さんがぽんぽんと撫でてくれる。それに、モヤモヤとしていた胸の内が、なぜだかすっと楽になっていくのを感じた。
「あー…まああれだ。もういいじゃんか。な?」
「…です、ね。」
林さんが天然タラシなのが確定した時点で、ある程度理屈抜きでいろいろ考えないといけないのかもしれない。だって他意はない、というか無意識にこちらのことを照れさせる、というか褒め殺してくるというのなら、それにいちいち恥ずかしがって身悶えていても仕方がない。恥かしいには変わりないけれど。とはいえ、だ。ある程度流せるようにならないと自滅するのは多分私なんだろう。
そんな風に思いながら、溜め息と一緒に豆腐ハンバーグを咀嚼した。