page39 終末へ向かって
……その刃は、フィアの顔の真横に刺さっていた。
魔力が霧散する。誰もいない荒野に、一瞬の静寂が降り立った。
フィアは笑みを収め、表情もなくクロナを見上げた。
クロナは剣を握り締め、フィアに馬乗りになったまま、呆然としていた。
「……何故だ」
クロナがぽつりと漏らす。その問は、とどめを刺せなかった自分と、目の前にいる少女の両方へと向けられていた。
「殺してはくれないのね」
フィアはどこか残念そうに言った。
「わからない……お前は仇のはずで……殺すのに、なんの躊躇いもいらないはずなのに……」
肩を震わせ、続ける。
「声が聞こえた……。あの子の声が……」
「そう。何て?」
「生きろ、と……。もう一度会うためにも、生きろと……。どうして……」
「そう……」
フィアの声は、母親のそれのように柔らかく響いた。
「……ワタシは、あの子の魂を持っているから」
「……わかっている」
「この姿も、声も、全部、この子から借りたものよ」
「わかっている……!」
「アナタを癒せたのも、この子の力があったから。アナタに想いを伝えたのも、この子の魂が……」
「わかっている!」
クロナはついに悲鳴を上げる。
「だから、あの子の仇であるお前を……殺そうと……。ティアの魂を囚えるお前を殺して、あの子を、解放してあげようと……」
「……それは違うわ」
フィアは困ったように笑う。
「何……?」
怒りとも困惑ともつかない感情を抱えて問い返すクロナに、フィアは小さく溜息を吐いて、
「ワタシは、ティアを殺していないの」
そして、告白する。
「な……?」
その意味がわからず、クロナは更に困惑の色を強めた。
「ワタシは、死にきれないでさまよっていたこの子の魂を、拾っただけ。ほんの気まぐれのつもりだったのだけれど、ね」
「じゃあ、お前は……」
「そうね、直接の仇ではない。……まあ、どうせ取り込んでしまうつもりだったから、結果は同じかもしれないけど」
「な……!」
「けれど、思いの外厄介だったわ、この子」
クロナの言葉を遮って、フィアは続けた。
「ワタシは最初、この魂を取り込んでしまうつもりだった。けれどね、そうするには、この子の想いがあまりにも強かったの。……簡単に取り込めないほどに、強い未練を抱いていた。結果、ワタシとティアの魂は不自然な同居状態になってしまったわけね」
「……そんなことが……」
「ワタシだって信じられなかった。……問題なのはその後のことよ」
フィアは、自らの胸に手を当てる。
「ワタシはティアを取り込めなかった。けれど、ティアにもワタシを取り込むような力はない。どちらも互いを取り込めず、一つの器に二つの魂が混在している状態。……このままだと、バランスがおかしくなって崩壊するわ」
「崩壊、だと?」
「一つの入れ物に二つの魂が宿っているから。最終的には壊れて弾ける。……で、ワタシじゃどうすることもできなかったから、この子の想いを消化して弱体化させようとした。それがアナタのところに来た最初の理由」
「……そう、なのか……」
複雑な気分だった。
彼女は、ティアの直接の仇ではない。しかしティアを取り込もうとしている。だが、理由はどうあれティアの未練を叶えようともしてくれていたというのだ。
「じゃあ、ティアはもう……?」
「いいえ」
首を振る。
「アナタも見たでしょう。魔力に宿った想いを。……アナタに会って満足すると思ってたのに、あろうことか、余計に想いを増したの。結局取り込めずじまい。それどころか……」
フィアは、忌々しげに歯を噛み締めた。
「この子の強い想いが、ワタシの心まで侵蝕を始めた。段々とわけがわからなくなっていったわ。今考えているのが、自分の意志なのか、ティアの意志なのか。……守ってほしいとか、最初は単なる口実のつもりだったのに、いつの間にか……」
「フィア……」
「オカシイでしょう? 取り込むつもりだった相手に、取り込まれそうになってるの。そして一番厄介なのが……」
正面から、じっとクロナの目を見つめる。そして、皮肉な笑みを浮かべて。
「……ティアの一番強い感情、クロナへの愛情が、……ワタシにも感染ってしまったこと」
「え……?」
「わからない? ……ワタシも、アナタに好意を抱くようになってしまったということよ」
「な……!」
突然の告白に、クロナは困惑する。フィアはなお忌々しげに笑った。
「好意といっても、そんな可愛いものじゃないわ。……ただ、アナタがワタシを『ティアの代わり』として見るのが気に食わない、ワタシを見てほしい、『フィア』に気づいてほしい。……そんな、嫉妬みたいなものだったわね」
「お前、まさかそれで……」
「ええ。正体を現したのはそのためね」
「……なんだ、それは……」
わけのわからない告白に力が抜けてしまう。あのような残虐な行動に出てきたきっかけが、自分への好意であったと?
「……勘違いしないで欲しいのだけれど」
と、一方のフィアは真剣な様子で言う。
「酷く、不快なものよ。自分のものでない感情に侵されて、わけのわからない好意を抱かされるというものは」
「……そう、か」
「ええ。……そこまでおかしくなっている以上、きっともうどうしようもなくて、器も、お互いの魂も限界だから……、適当に嘘を吐いて、どこかへ消えてしまっても良かった。調度良く、強いドレッドが現れたから、これを口実に消えるつもりだった。それなのに……感情がごちゃ混ぜになって、アナタと離れがたくて……だからこうしてアナタを待ったの。この不快な感情の侵蝕に決着をつけるために」
フィアは真剣だった。クロナが思っている以上に、感情の侵蝕とは不快で、恐ろしいものなのだろう。
と、そこまで考えて、クロナはフィアが何気なく言った言葉に気づく。
「限界、なのか……?」
器と魂が限界だと、確かにそう聞こえた。つまり、もうすぐフィアは消えてしまうと……。
フィアは今までの不快そうな苦笑にすこしだけ喜びを滲ませた。
「そうね。ようやく消えることが出来る。不本意だけど、このわけのわからない感情から解放されると思えば安いものよ」
「そんな……」
呆然としてしまう。……ティアはもちろんのこと、フィアが消えてしまうことも、今となっては聞き捨てならなかった。
このドレッドも……人間と同じように感情を持ち、悩み、苦しんでいると知ってしまったから。
「……ねえ、そろそろどいてくれないかしら」
複雑な表情を浮かべるクロナを見て、フィアはため息混じりに言った。
「もう戦う気なんて残ってない。いつまでもアナタの下なんて嫌よ」
「あ、ああ……」
クロナが退くと、フィアは苦しげに、やっとの思いで半身を起こす。クロナは不意に、その背中を支えていた。
「……なんのつもり? アナタがワタシを労るだなんて」
「……さあ、な」
フィアが混濁する感情に迷っているように、自分もまた困惑していた。こうしてフィアのことを支えてしまうのも、やっぱり彼女の中に眠るティアの魂の影響なのではないか、と。
ただ。
「ただ、そうだな……」
「何?」
一つだけ、今決めたことがあった。
「……お前とティアが消えてしまうその時まで、私はお前の傍にいたい」
「え……?」
「残りが短いというのなら、その時までお前の傍にいる。それが、ティアの姉として、そしてお前を知る人間としての責務だ」
「…………」
フィアは呆けていた。クロナも、自らの発言に自分で呆れていた。
だが、今はそうしようと思ったのだ。今はわからなくても、こうして真実を知った上で近くにいれば、何かが解るのではないかと。
フィアはじっとクロナの顔を覗きこんだ後で、深々と溜息を吐く。
「呆れたわ」
「そうだろうな。……私も少し、自分に呆れている」
「でも、まあ、そうね」
フィアはクロナに支えられてふらりと立ち上がる。
「ワタシもこのまま終わらせたくはないし……」
そしてクロナを見つめ、くすりと笑った。
「もう少し、傍に居させてもらうわ」
「……そうか」
二人はぎこちなく頷き合う。
人間とドレッドが、決して相容れないはずの存在が、お互いを理解しようとし、求め合い、支えあう。それはもしかしたら、満月に煽られた狂気の沙汰かもしれない。
しかしそれでも、それが二人の選択だった。
罪の償い方を探し続けるクロナと、只の気まぐれから運命を突き動かされたフィア。
今は亡き一人の少女を中心に、二人の物語は動き出して行くのだ――。




