page37 満月の下で
満月は、狂気を掻き立てるという。
今、空には満月が昇っていた。クロナは隠し切れない殺意を抱いたまま、あの荒野へ向かう。
そこにいる。何故かそう直感していた。武器を握りしめたまま、人気のない町を迷うこと無く進む。
しかし荒野に近づいた頃、狂気に動かされているクロナでさえ、ある異常に気づいた。
「……静かだ」
ルインはまだ殺されていないはず。そう簡単に殺せる相手ではない。だから、こんな"無音"は有り得ないはずなのだ。
違和感を抱きながらも、クロナは荒野に足を踏み入れる。
……そこには、クロナの殺気が掻き消えるまでに、なお狂気的な光景が広がっていた。
「なんだこれは……!」
満月が映しだした黒い塊。それは、群がる死体の山。無数のスケイルが、全て無残に切り裂かれて積み上げられている。地面を埋め尽くすほどおびただしい数が居たはずなのに、全て荒野の中心に向かって山を為していた。
「他の奴らはどうした……?」
これほどの敵が討たれていながら、リリーフ達の姿は一切見当たらない。戻ってきてもいないはずだが……。
「……いや、そんなことはいい」
クロナの目は、真っ直ぐと山の頂上へ向う。……誰がやったかなど、火を見るよりも明らかだ。
硬い鱗を踏みつけ、死体の山を登る。中には死してなお足を蠢かせているものもあった。そんな姿は蟲によく似ていて、得も言われぬ嫌悪感を醸し出す。
「ごきげんよう。月の綺麗な夜ね」
山の頂点に達しようとした時、頭の上から声が聞こえた。
そこにはルインの亡骸があった。首も、翼も、足も、跡形もなく切り刻まれて。
「まだこんな所にいるとはな。……フィア」
果たして、彼女はその骸の上に座していた。全身に返り血を浴びながら妖艶に微笑む姿を、月光が照らし出す。激しい戦いの名残かマントや服はボロ布のように傷ついている。その姿は、返って神秘的で、どこか蠱惑的な魅力を放っていた。
「良かった。生きていたのね」
「お陰様でな」
どの口が言う。そんな本音を込めて皮肉に返すと、彼女はくすりと笑った。
「これは、お前が一人でやったのか」
「ええ。アナタの仲間は、みんな眠っているわ。うろちょろされると邪魔なんだもの」
くすくすと笑う。その言葉は暗に、「守ってほしい」と言う言葉が嘘であったことを証明していた。
「何が狙いだ」
「そうね、ワタシにも色々あるのだけれど……」
問いかけると、彼女は静かに目を閉じた。
直後、その姿が掻き消える。
「"今は"、アナタの命が狙いかしら、ね」
耳元で聞こえた声に、クロナは銃剣を振るう。鋼の交わる音がして、再びフィアの姿が消えた。
「やはり、私が狙いだったのか。……最初から、そのつもりで!」
再び骸の上に現れたフィアに叫ぶ。彼女はやはりいつものようにくすくすと笑うばかりだ。
「さあ、どうかしらね」
「しらばっくれるな! あの子のフリをして、私に近づいて……!」
切っ先を突きつける。
「どうしてお前がティアの魂を持っている! お前がティアの仇か!」
「…………」
問いかけに、フィアは何故か一瞬諦めたような顔つきになる。が、すぐにまた微笑を浮かべた。
「そうだったらどうする?」
「答えるまでもない!」
跳躍。迫り、刃を振るう。鎌の柄に受け止められ、鍔迫り合いになった。
「今ここであの子の仇を討つ。お前の望みどおりになどさせるものか!」
渾身の力で弾き飛ばし、距離が生じる。飛び退いたフィアに、一瞬の隙もなく飛び込んだ。
斬り込んだ瞬間、その姿が黒い羽になって消える。
前は翻弄された変わり身。しかし今は冷静な判断力を持って戦っている。それどころか、追い求めていた仇を前にして、クロナの精神は限界まで研ぎ澄まされていた。
微かな風圧。本体の出現を察知して、脊髄反射で剣を振るう。
左手に現れたフィアが、斬り裂かれて掻き消える。そのまま振り抜き、背後に銃を放つ。
「ッ、やるじゃない……!」
現れていた本体の肩を魔弾が掠める。予想外の反応速度に焦っているようだった。
「けれど……!」
フィアが手をかざす。咄嗟に背後を振り向くと、霧散しかけていた羽が再び集まり、分身となって切りかかってきていた。
「クッ!」
鎌を受け止める。分身とあれど、その力も重みも本体に劣らない。
身動きの取れないクロナの周囲に真紅の魔槍が現れる。目を見開くクロナの背後で、本体がパチンと指を鳴らした。
瞬間、全てが一斉に殺到する。
「小賢しい真似を……!」
クロナは分身の刃をいなし、そのまま引き金を引く。銃口の近くで爆風が起こり分身もろとも正面の槍を吹き飛ばす。
今度こそ掻き消える分身。しかし吹き飛ばした槍は再びその切っ先をこちらに向けて襲いかかってきた。
「邪魔だ!」
側面と背後から迫る槍を剣で弾きながら正面の穴から包囲網を抜ける。同時に発砲、正面の槍を砕くと同時、槍の中に魔弾を放つ。中心で爆発、全ての槍を粉々に砕く。その向こうにフィアの姿はない。
周囲を探る。背後にも、側面にも、現れる気配はない。
「どこを見てるの?」
「!?」
声がした次の瞬間、あろうことか真正面の虚空から本体が姿を現す。不意打ちに判断が遅れ、フィアの鎌に左肩を裂かれる。
「チィッ!」
次の攻撃をかわして斬りこむ。脇腹を突くが、浅い。
そのまま斬り抜け振り向いて対峙。死体の斜面で、フィアの方が上を取っていた。