page20 夢の終わり
「クロナももう一度チャンスを貰えて嬉しいでしょう? 守れなかった妹を守るチャンスを、もう一度……」
「や……やめ……ろ……っく……」
恐怖だった。少女の言葉の一つ一つが、忌まわしい記憶を抉り返していく。少女に与えられる感覚に、少女に囁かれる言葉に、体が痺れ、瞳が揺れた。
「今日はね、アナタを徹底的に試してみたかったの。今までの戦いも十分おもしろかったけど、そろそろ限界が見たくなったのよ」
「……どういう、ことだ…………」
「ふふ、気づいていたんでしょう? あの蝙蝠を呼んでいたのは、ワタシなのよ」
「…………」
やはりかと、定まらない思考でクロナは思った。
フィアが現れて以来急激に増加したケイブバット。そして、クロナを狙うかのようにして集中して現れたその変異種。
最近、クロナ以外の相手と戦闘をしなかったのは、それでも彼女なりに下僕の消耗はしていたから。フィアを狙わなかったのは、彼女の下僕だから。
時々思い出したかのように彼女を狙うことがあったが、恐らく自分を試していたのだろう。
疑ってはいた。しかしクロナは無意識のうちに、それ以上考えることから逃げていた。
疑いたくなかった。それはひとえに、クロナがその少女を妹と重ねていたから。
その少女は今、ついにその本性を露わにした。……露わにしてしまった。
「残念ね。夢の時間はおしまいなのよ」
「っ……!」
思考を読んだかのような言葉。
夢。
そう、夢だ。夢の時間は今、終わりを告げたのだ。亡き妹と再び共に過ごし、守れなかった者を再び守る、甘い夢の時間が。
「もう、わかっているのでしょう? ワタシが誰なのか。"ティア"ではなく、"フィア"が一体何ものなのか」
まるでクロナの全てを切り裂く刃のように、フィアの瞳がギラリと輝く。その光に感じる力は、クロナが常に戦い、憎んできた相手のそれと、同じ物を感じられた。
言わずともわかる。彼女の正体。それは――。
「……ドレッド」
口にする。
それはすなわち、認めるということ。
自らの言葉が自らに対象の認識を強いる。対象を認識した思考は、いつもと同じように、目の前の敵に殺意と警戒を向け、心は同時に、強い憎しみを抱き始める。
しかし、その思考も、感情も、いつものそれとは異なっていた。
この化け物は、自分を踏みにじったのだ。過去も、記憶も、プライドも、愛情も。
……いいや、それだけではない。踏みにじられたのは、自分だけではない。
そう考えた所で、目の前の化物は、また思考を先回りする。
「くすくす。ねえ、どんな気分かしら? 目の前にいる、最も憎むべき敵が、最も愛するべき妹の姿をしているのよ? ねえ、どうするの、クロナ? くすくす……」
「お前……!」
……この化け物は、あの子をも踏みにじった。
そう思った瞬間、今まで感じたこともないような怒りと憎しみが、溶岩のようにグラリと沸き立つ。
「ティアを……侮辱するなッ!!」
傷も痛みも、爆発した感情が忘れさせた。
目を血走らせ、クロナは目の前の敵に掴みかかろうとする。が……。
「ふふ、無駄よ」
「クッ!?」
あっけなく腕を捕まれ、捻り上げられ、そしてそのまま地面に押し倒されてしまう。
「こんなに傷だらけで、戦えると思ってるの?」
「この程度の傷など……」
「くすくす、そんなに強がって……。でも、全力じゃないアナタと戦っても意味はないわ」
クロナを片手で抑えつけ、笑いながら、もう片方の手を虚空にかざす。
「どうせ戦うなら、アナタの本気を感じたいの。この手で、直接」
その手に、血のように真っ赤な魔力の光が収束し、一振りのナイフに形を変えた。
それをおもむろに、先ほどのドレッドの攻撃で切り裂かれ露わになっていたクロナの胸元へあてがう。
「な、何をする気だ……」
「治してあげるわ。アナタのケガも、失った魔力も……」
真紅の魔力光が形作るナイフの切っ先が、クロナの胸元に食い込む。一筋の血が溢れ、伝っていく。
「ちょっと痛いかもしれないけどね。くすくす……」
「やめろ、放せ! クソッ!」
必死に抵抗するクロナを不気味な笑みを浮かべて見下しながら……。
魔力のナイフを、深々と心臓に突き立てた。
「っ! ――――――――!!」
声にならない悲鳴。
心臓を、熱く灼けた鉄で貫かれるような激痛。その痛みは、全身に伝い、侵食していく。
溶けだした魔力が、全身に侵食していく。その魔力……ドレッドの魔力は、本来人間にとっては猛毒にしかならない。
クロナは悲鳴を上げ続ける。今までの戦いの中ですら一度も感じたことのない、全身の神経が焼き切れるような激痛。いくら歴戦のリリーフと言えども抗えるはずなどなかった。
フィアはナイフを突き立てたまま、クロナに顔を近づけた。
「どう、ワタシの魔力は? 痛い? 苦しい?」
「くっ、ぅ、あ……!」
「くすくす……。かわいいわ、クロナ……」
サディスティックな笑みを浮かべながら、声も出せずにもがき苦しむクロナの頬を撫でる。
「ふふ、そろそろかしら」
フィアは、クロナの首筋にできていた傷を、つつっと指でなぞる。
それを合図にしたかのように、クロナの全身の傷から、まるで血がにじみ出るように、魔力光があふれる。
「あぁぁああああ!?」
再びの悲鳴。
毒として作用するドレッドの魔力が傷口に触れ、まるでその全てを抉り返されているような激痛が走る。
魔力は傷を包み込むように広がり、傷口を完全に覆い尽くす。
そして光が消えた瞬間には、そこにあった傷が跡形もなく癒えていた。
「人間にとって毒だろうが何だろうが、それを使って傷を癒すくらいはできるのよ。どう? 楽になったかしら」
不自然なほどに爽やかな笑顔で問いかけられるものの、クロナは焦点の合わない瞳に涙を滲ませながら、肩で呼吸をするだけ。屈強な彼女の精神といえど、今や擦り切れる直前だった。
「全く、仕方ないわね……。さあ、最後の仕上げよ」
フィアが突き立てたナイフを軽く押しこむと、それは完全にクロナの体内に沈み込む。クロナは全身に電撃が走ったようにビクンと体を震わせた。
ナイフは完全に魔力に戻り、クロナが先ほどの戦いで使い果たした分の代替として、彼女の体を満たしていく。
「ほら、早く起きなさい。傷も癒えたし、魔力を満ちた。これでアナタの真の力を見せてもらえるというものよ。……戦いなさい、クロナ」
「はぁ……はぁ……」
定まらない瞳。傷はふさがったが、心は壊れてしまったような、そんな顔をしていた。
「やっぱりこの程度なのね……。ワタシの魔力の痛みに耐えられなかったのかしら?」
フィアは、折角新しく買ったおもちゃを壊してしまった子供のように、残念そうな顔をしながら、虚空に手を伸ばす。
「その程度でしか無いのなら、残念だけどおしまいね。せめてワタシが、一思いに逝かせてあげるわ」
地と水平に伸ばされたその手を中心として、血に染まったような赤い鳥の羽が無数に現れ、暴風に巻かれているかのように渦巻く。
そしてそれは、地面とは垂直に、一直線に伸びていく。伸びた棒の先端では、羽が三日月のように弧を描く。
棒状に伸びた羽は収束すると、真紅の光を放ち、そして物質化する。
「これがワタシの武器、アセンション(死)」
ヒュッと風を切って振るわれたそれは、彼女の身の丈の倍はあろうかという大鎌。
鈍く照る銀色の刃に、血で塗られたような真紅の魔力文字が不気味に光りを放つ。大きく弧を描く切っ先は、見るものを死の快楽へと甘く誘惑する。
「誘ってあげるわ。アナタを、底無しの"死の快楽"に……」
緩慢な仕草で鎌を振り上げると、死神の少女は冷たく彼女を見つめ、そして、一思いに刃を振り下ろした。
真紅の残影を残す刃が、クロナの心臓へと降り注ぎ……。
直後、地面に突き刺さる。
「あら……?」
鎌は垂直に振り下ろされていた。
外れたのは刃の方ではない。……クロナの方だ。
「はぁ……はぁ……。つっ、くっ……!」
「あら、まだ動けるんじゃない。そうでなくっちゃね。くすくす……」
「はぁ……はぁ……ぜぃ……はぁ……」
肩で息をしながら、クロナは銃剣を拾い上げる。
「ハァ……ハァ……!」
「あら……?」
フィアはすぐ、彼女の様子がおかしいことに気づいた。
目は限界まで見開かれ、相変わらず焦点の合わないまま。
まるで獣のように、ギラギラと殺気を滲ませ、目の前の獲物だけを捉えていた。
「……てやる…………」
獣が唸るように、体の奥底から声が響く。
「こ……てやる……! 殺してやる……!」
怒りと屈辱と憎しみとで態度を豹変させたクロナは、ディスフィアを振りかざす。彼女自身の魔力にフィアの魔力が混じったためか、その刀身に迸る魔力文字は乾いた血のように赤黒い。
「あら……。ふふ、あははははっ!」
ついさっきまでとは変わり果てたその姿に、フィアは心底おかしいと言った様子で笑い声を上げる。
「いいじゃない、それ! 純粋な怒りと憎しみのまま、暴れるだけの化物! ドレッドと変わらないわ!」
「黙れ! 消してやる、消してやる!」
「どうやら予想以上に"効いてる"みたいね! いいわ! 理性の枷を取っ払って、本能のままに戦ってみて! あははは!」
「殺す……! 殺す!!」
「あはははは! ほら、かかって来なさい! アナタにワタシを守るだけの力があるかどうか、試してあげる!」
「消してやる、このバケモノが! 死ね、死ねぇ!」
激情のままに、クロナは銃剣を振りかざして突進する。