page9 少女との出逢い
クロナの目を覚まさせたのは、カーテンの隙間からの光でもなく、鳥のさえずりでもなく、階下のざわめきだった。
日が昇って間もないこの時間は店もギルドも営業時間外である。営業時間に合わせて活動する『漆黒の祝歌』の住民は、朝は大抵静かにしているはずである。
酒に呑まれたガウスが何か騒ぎでも起こしているのだろうかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。もしそうなら、もう少し床が揺れたり、雄叫びが響いたり、破砕音が聞こえてきたりしているはずである。
普段と違う様子が気になったクロナは、念のために仕事用の黒衣に着替えて一階へ向かった。
雰囲気から察するに、喧嘩の類のトラブルではない。ただ、普段の営業からすればイレギュラーな事態ではあるようだ。
近づくにつれ、騒ぎの中にいる人物が声で特定できてきた。
何やら困っている様子のレノンと、少し気を荒げている様子のリリア、そしてもうひとつ、知らない少女の声。
廊下から静かに覗き込む。声で確認した通り、フロアにいるのは三人だ。ガウスはなんとか部屋に戻るに至ったらしい。今頃は寝床で唸っているだろう。
カウンターにレノンが、向かい側にリリアと少女がいるようだ。カウンターは大人が肘を置く高さにあるため、少女の姿はここからでは頭の先も見えない。
「レノン、何があった?」
頭に手をやってため息をついているレノンに声をかける。クロナに気づいた彼は、リリアにその場を任せて廊下の方へ入ってきた。
「いえ、少々迷惑なお客が……」
「どっちだ?」
「ギルドの方です。営業時間外というだけで迷惑だというのに、依頼の内容がひどく曖昧で、しかも何を言っても帰ろうとしないんですよ……」
「なるほどな……」
料理屋や酒場への客は営業時間外であればお断りだ。しかしギルドへの客は時に営業時間外でも受け付けることがあった。「お堅い公式ギルドよりも融通が利いて、何でもやる」が多くの自立ギルドの信条であり、売りである。『漆黒の祝歌』も例外ではない。
ただし、その依頼内容が緊急性を問われるものでなかったり、その場の者だけの判断で行動できないものであれば、対応は営業時間を待ってもらうことがある。今回はそのパターンのようだった。
「クロナからも何か言ってやってくれませんか?」
「どんな依頼なんだ?」
レノンの頼みに応える前に、それを確認する。レノンは溜息をつき、頭を掻きながら答えた。
「"わたしを護ってほしい"だそうです。期間も対象も場所も理由も報酬も詳細も何の情報もなく」
「ふむ……」
それを聞き、クロナは少し考え込む。
リリーフに憧れる子供は少なくない。特に自立ギルドともなると、模造刀片手に「ギルドに入れてほしい」と懇願してくる子供や、英雄に助けてもらうお姫様のおとぎ話に憧れて今回のような依頼をしてくる子供も多くいる。
しかし、営業時間外に無理やり店を開けさせ、頑なに依頼をし続けているともなると、勝手が変わってくる。何か見過ごせない事情があるのかもしれない。
「少し話を聞いてみよう」
「お願いします。僕はもう……」
相変わらずの苦労者であった。
クロナはレノンと代わって店内に入る。
「私にも依頼内容を聞かせてくれないか?」
カウンターから覗き込むようにして声をかけると、リリアと言い争っていた少女がこちらを向いた。
「あ……!」
途端、少女はぱぁっと顔を輝かせ――。
「え……?」
クロナは……まるで、魂の抜けたような表情を浮かべた。
「やっと見つけた! お姉ちゃんが、わたしの探してた人だ!」
椅子を踏み台代わりにして、自分の身長より高い位置にあるカウンターに身を乗り出す少女。
闇色をした無敵の戦士は、そんな少女を見て、ただただ呆然としていた。
そんな彼女の様子に少女は首をかしげながらも、人懐っこい笑みを浮かべ、更に身を乗り出した。
「やっと見つけたよ。……"お姉ちゃん"」
その言葉が、クロナに強烈な既視感を感じさせる。……いや、そんなものではない、確かな記憶を引きずり出していた。
「そ、そんな……、バカな……」
頭の横で二本に結われた、絹糸のような長い髪。
穢れを知らない、大きな瞳。
灰色の髪に紅の瞳。それぞれの色こそ違えど、それは確かに、"同じ物"。
間違えるはずなど無い。それは、彼女が何よりも愛し、想い、そして、失った者。
……"死んだはずの妹"が、そこにいた。
昨夜突然抉り返された過去の記憶。消えない傷痕が、またこじ開けられようとしている。
たった一人でドレッドの群れを殲滅する無敵の戦士が、一人の少女を前に怯えている。レノンもリリアも、これほどまでに狼狽えるクロナを見るのは初めてであった。
「お姉ちゃん」
少女はクロナに微笑みかける。
閃光が駆けるように、クロナの脳裏にそれと"全く同じ"微笑みがよみがえる。
(や、やめてくれ……)
普段の彼女からは想像もつかない、恐怖に塗りつぶされた表情。更に後ずさり、背中を壁にぶつけた。
記憶が閃く。少女は微笑んでいた。
(私は、護れなかったんだ……!)
ただ、自分を信じて。
(私は、私は……)
守ってくれると、信じて。
(やめろ、これ以上は、もう……!)
ただただ、微笑んでいたのだ。
――魔物に喰われる、その瞬間までは。
「――――っ!」
刹那。クロナは何かを叫んだ。
それは、人の名のようで、仇を憎む怨嗟のようで、意味のない悲鳴のようで。
喉が擦り切れるほどに、叫びを上げて――。
彼女の世界は、真っ白な闇に閉ざされた。




