表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

第2話 畜生道

 蒼い夕闇が山里の景色をゆっくりと覆い始めた。

 半時ほど前に降り出した雨は今は霧雨となって、周囲に濃密な森の匂いを漂わせている。

 昼間は何の変哲もなかった東西に伸びる雑草だらけの畦道は、薄墨色に霞んだとばりに侵食され、どこか幻想的で禍々しいものに変貌しつつあった。

 そんな寂れた一本道を、一本の傘に身を寄せ合うように男が二人、並んで歩いている。

 しばらく前、一緒にお堂を出た外套の男と薬売りだった。


「あの、少しいいですか?」


 やや背の低い薬売りは、外套の男を見上げるように顎を上げた。


「ずいぶん暗くなってきましたし、提灯に火を入れましょうか?」

「それはあとで。今は先を急ぎましょう」


 先を急ぐ理由でもあるのか、お堂を出てからしばらく経つが、外套の男は歩みを緩めることなく歩き続けている。

 薬売りは灯りを点けることを一旦諦め、先を急ぐ男に、大事なことを打ち明けておいた。


「お堂では言いそびれてしまいましたが、実は湯治場には行けないんです。この先一里ほど行ったところで道が塞がれていまして」

「ええ、知ってますよ」


 その返答に薬売りは眉をひそめた。

 さらに外套の男は、頭半分ほど背の低い薬売りに目を向けて、おかしなことを言った。


「あなたがお堂でその話をしなくて良かった。もしそのことを口にしていたら多分まずいことになっていたと思います」

「どういうことですか?」

「まあ、道すがらお話ししましょう」


 道が塞がれていることを知りながらも、外套の男は水溜りだらけの一本道をそのまま進んで行く。

 やがて歩みを緩めることなく、外套の男は奇妙な話をし始めた。


「お気づきでしょうが、あの男は湯治場から来たんじゃありません。だからこそ私たちがどこから来てどこへ行くのかを知っておかなければならなかったんです。お堂であの男に行き先を訊かれた時、私は村の方に続く道を指さしましたよね」

「ええそうでしたね。それが何か?」

「今朝がた、その村で葬儀があったはずなんです」


 男の話を聞いていた薬売りは再び眉をひそめた。

 外套の男はその村の反対方向から来た。つまるところ、葬儀が行われたことを男が知っている道理はない。

 その矛盾を薬売りは率直に尋ねた。


「どうして今朝あった葬儀のことをあなたが?」

「連絡があったんですよ。詳しくは言えませんが、そういう情報網を持っていましてね」


 男が言葉を濁したため、それ以上の詮索を薬売りはせず、逸れかけた話を戻した。


「では、その村からあの人は骸を運んでいたんですね」

「ええ。でも、それがおかしなところなのです」

「おかしいとは?」


 まだ話の見えていない薬売りに、外套の男は丁寧に解説をしていく。


「この辺りは宗派が二つに分かれておりましてね。仏さんの埋葬の仕方がそれぞれ違うんです。大概の村は骸をそのまま土葬するんですが、あの村では骸を樽の中に入れたまま埋葬するのが慣例でしてね」

「ほう、それで?」

「墓場は村のすぐはずれの山の中にあるんです。つまり、樽の棺を担いであの男が別の墓場へ向かう道理はないんですよ」


 ようやく矛盾を理解した薬売りは、成る程と感心した。


「墓場に埋まっている筈の樽を我々はあのお堂で見てしまった。それはあの男にとって大変まずいことだったんでしょう」


 外套の男は話を続けながら、周囲が相当暗いのにもかかわらず、不思議と足元の水たまりを避けながら器用に歩を進めていく。


「それで、まずいこととは?」

「ええ、あのとき我々を湯治場に行くよう勧めたのは、村に向かわせたくなかったからでしょう。もし村で誰かに樽の話をされたら、骸はどこへ行ったのかと大問題になる」

「骸を盗んだと……いったい何のために……」


 異様な行動が理解できず、薬売りが首を傾げながら歩いていると、外套の男は突然脚を止めた。


「こっちです」


 外套の男は一本道を外れて、暗がりの森へと続く、道とは言えない獣道へと足を踏み入れた。

 薬売りは草だらけの足元に不快感を覚えながら男の背中について行く。そしていつのまにか男が傘をたたんでいるのに気付いて、すっかり暗くなった空に目を向けた。


「雨、上がりましたね」

「ええ、そうですね」


 そして外套の男は一度立ち止まると、薬売りに提灯を点けるよう促した。


「この先で森に入ります。灯りを点けましょう」


 それから外套の男は提灯を薬売りに持たせ、よくよく足元には気を付けるようにと念を押し、深い森の中へと入って行った。

 しばらく歩くと、道はやがて山道となり、さらに奥へ進むにしたがって、岩だらけのつづら折りへと変わった。

 外套の男は少し歩みを緩めて薬売りを先導していく。

 提灯の灯りで浮かび上がるのは男の背中だけで、薬売りからはその先がどうなっているのか、まるで見通せなかった。


「あなたが提灯を持った方が良いのでは」


 前を歩く男が足を踏み外すのではないかと心配になった薬売りは、沢の音が聴こえる暗い山道で、そう提案した。


「いえ、結構。夜目が利きましてね」


 殆ど漆黒ともいえる闇の中。

 頼りない提灯をかざす薬売りの前で、外套の男の背中が暗い森の中をゆらゆらと進んでいく。

 まるで何かに化かされてでもいるようだ。

 現実感を伴わないその背中に付いて行きながら、薬売りはどこか醒めた頭の中で、森に入る前に中断してしまった話を整理しようとした。

 しかし、いくら考えても、男が骸を盗んだ理由が分らなかった。


「教えてください。あの男はどうして骸なんかを?」


 頭にこびりついた疑問を外套の背中に投げかけると、意外とあっさり答は返って来た。


「喰らうためですよ」


 ゾッとするようなひと言を、外套の男は振り返ることなく平然と言ってのけた。


「死体を……そんな馬鹿な……」


 周囲の混沌とした闇のせいもあるのだろう。薬売りは氷に触れたかのように身震いした。


「普通はそう思うでしょうね。でも見方を変えればどうでしょう。共食いというのは自然界では珍しいことじゃない。人間は獣を狩って食う。その肉が獣か同類かという、それだけのことではないですか」


 冷静に、かつ淡々と男は人食いについて語った。

 お堂で会ったあの不気味な男とはまた異質な何かを、薬売りは前を歩く男から感じ始めていた。

 

「人食いなんて……いけませんよ。私には割り切れません」

「そうですね。倫理に縛られた()()()()なら、そう考えるのが当然でしょう」


 その返答に薬売りは違和感を覚えてしまう。

 理屈はとおってはいる。だがそれは主観的なもの言いではなかった。


「倫理に縛られずとも、人は獣とは違います。私にはとても……」

「では、仮にあなたが見境が無くなるほど飢えに苦しんでいて、そこに唯一同類の肉があったとしたらどうなさいます?」

「それは……」


 提示された究極の選択肢の前で、薬売りは口ごもる。


「それを選択しなければいけない不幸な状況なら、私は同類を糧にしたとしても生きるべきだと思います。でも……」


 男は一度話を区切った。そして、嫌なものを吐き出すように続きを口にした。


「あれは根本的にそんなものじゃないんですよ。あそこで出会ったあれは、とても邪悪で危険なものです」


 それは抽象的な言い回しだった。

 男はそれの正体を知っている。だが、それを明確にすることを避けているようだった。


「教えて下さい。いったいあれは何だったんですか?」


 その問いかけに、男は僅かに間を置いた後、こう応えた。


「あれは畜生ですよ」


 そして外套の男は、そのまま歩みを進めていく。


「人の姿をした人では無いもの。あんなものに出くわしてしまったのは災難でしたな」

「人ではない……あれが?」


 確かに全身を蓑で覆われていたし、角笠のせいで口元だけしか見てとれなかった。

 しかし、人間ではないというのは、とても容認できない。


「本当ですか。私にはただ何となく不吉で不愛想な男だとしか……」

「人間に見えたのは言葉を話していたから。でもあなたも感じたんじゃないですか? お堂を出た後に貼り付いてきた、あの恐ろしく冷たい視線に」

「確かに……」


 あの時確かに、何か恐ろしいものの気配を背後に感じた。

 実際に目にしたわけでは無いが、あれが人ならざるものであったのは、きっと真実なのだろう。


「あれは、かつては人であった醜悪なものです」


 この男の話は偽りではない。薬売りは不可思議なことを頭の中で整理しながら、ここでもう一つ疑問を投げかけた。


「あの男、私たちに湯治場に続く行き止まりの道に行くよう仕向けましたね。一時的に注意を逸らせたとしても、我々が引き返して村へ向かえば、あの男のしていることは露見してしまいますよね」

「いいえ、そうはさせないでしょう」

「どういうことです?」

「今頃、あの男は私たちを始末するために、行き止まり辺りに到着している頃合いです」

「始末って……」


 血生臭い光景を想像した薬売りは、ぶるっと身震いした。


「お堂は三つの道が交差していたでしょう。血の跡が残るでしょうし、あそこで人殺しは面倒だと思ったんでしょう。地元の村人は道が閉ざされていることを知っているから湯治場へは行かないし、そこから来る者もない。逃げ場のない一本道に誘導してゆっくり始末してやろうと考えていたんですよ」


 薬売りが生唾を飲み込む音が暗闇でゴクリと鳴った。

 即興で作った話だとは到底思えない。信じがたい話ではあったが、今まで聞いた話は全て辻褄が合っていた。


「一体あなたは何者なんですか」


 謎多き外套の男の正体を、気がつけば薬売りは尋ねていた。


「私ですか……」


 外套の男は僅かに間を置いて、薬売りの質問に応えた。


「私はああいったものに関りを持つのを生業としている者でしてね。依頼を受けて、それがうつつのものなのか、そうでないものなのかを判別して、適切な対処をしているんです」

「聞いたことがあります。確か、ヌイとかいう生業なりわいだとか」

「よくご存じですね」


 ヌイ。それは行商で全国を周るうちに、何度か耳にした名だった。

 ヌイの語源は「縫い」からきているものらしく、うつつとそうでないものとの間に立ち入り、解けた因果を縫い合わせ、また、場合によっては、絡み合った因果を解くことを生業としている者だという。

 説明のつかない事象の解決の裏には、必ずヌイの姿があるのだと、薬売りは口づてに聞かされていた。


「では、あそこへいらしたのは」

「ええ。あれを調べていたんです」


 あのお堂にこの男が現れたのは偶然ではなかった。

 必然の中で、偶然の存在は薬売りだけだったということだ。


「対処すると仰ってましたが、どうするおつもりで?」


 好奇心で口に出したその問いかけは、これまで一度も足を止めなかった男を立ち止まらせた。

 僅かに振り返った男の顔が、提灯の明かりで浮かび上がる。


「ここから先はあまり人様にお聞かせするようなもんじゃありません。絡み合ったものを元に戻す。ヌイとして、私は仕事を終わらせるだけです」


 言葉を濁した男の背中には、もうそれ以上の質問を許さない何かが在った。


「もうしばらく気味の悪い道を行きますが、我慢してください」


 再び歩き出した男はそれきり口を閉ざしてしまった。



 それから半刻ほど山道を歩き、ようやく辺りが見渡せる平原へと出た。


「ここまでくればいいでしょう」


 いつの間にか雲が切れて、月光が野山を照らしていた。

 男は背中に背負った鞄を降ろすと、そこから艶のある竹製の水筒を取り出して薬売りに勧めた。


「一口どうですか」


 差し出された水筒の栓を抜き、薬売りは鼻を近づける。


「お酒ですか?」


 独特な匂いのする飲み口に、薬売りは恐る恐る口を近づける。


「サトウキビを蒸留した酒に、疲労回復に良い生薬を調合したものです」

「では、少し」


 ひと口飲み込んですぐに薬売りは熱い息を吐いた。


「私の知らない生薬の味がします。しかし、随分強いお酒ですね」

「西洋の酒でね。味はまあまあですが、とにかくきついんです」


 喉が焼けるような強い酒をもう一口ゴクリといった薬売りに、今度は外套の男が質問をしてきた。


「私から一つ訊いていいですか?」

「ええ、何なりと」


 薬売りは一度口を拭ってから男と向き合う。


「あなたは湯治場から引き返して来たといいましたね。それなのに何故、あの男はあなたが私と同じ方角からやって来たのだと思い込んでいたのでしょう」

「私もそれが不思議だったんですが、多分……」

「多分?」


 自分でも疑問に思っていたことに、矛盾のない答を見いだした薬売りは、その頭にあるものを外套の男に聞かせた。


「実はお堂に着くなり用を足したくなりましてね。うちは商売をやっているせいか信心深い家系でして、お堂には地元の神様がいらっしゃるので、神様が不快な思いをなさらないよう、少し離れた大きな木の影まで行って用を足したんです」

「それが私の通って来た道の脇にあったと」

「そうゆうことです」


 月明りの下で、外套の男は口元を若干ほころばせた。


「それで、あなたの来た方角を、あれは見誤ったという訳ですか」

「ええ、まあ、そうなんですかね」

「きっと神様があなたを助けてくれたんですよ」


 本当にそうだったのかも知れない。

 厳しかった父の顔が、薬売りの頭に浮かんだ。

 水筒を返すと、外套の男はそれを鞄にしまった。


「ここでお別れです」


 再び鞄を背負った男は、外套の隙間から腕を上げて、ある方向を指さした。


「真っ直ぐにいけば街道に出ます。そこから北へ半里も行かない所に村の入り口があります。今晩はそこで宿を探しなさい」

「じゃあ、あなたは?」

「私は戻って仕事を終わらせます。ああ、そうそう」


 言い忘れていたことを思い出したかのようで、男は少し真面目な顔をした。


「今日あなたの身に起こったこと、あまり口外しないほうがいいですよ。では」


 外套を翻した男を月明りが照らす。

 月光を頭上に戴くその姿はどこか儚げで、どこか現のものではない様相を帯びていた。


「あの……」


 薬売りは男の背中を追いかけるように声を上げた。


「私は与平と言います。良ければあなたのお名前をお聞かせ願えませんか」


 外套の裾を揺らして、男は僅かに振り返った。


「シナトと言います。では」


 そうして男は、月明りの届かない深い森の中へと消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ