第2話 使い
朝から、村は土の匂いだった。
焼けた柱を引きずり出し、畑の畝を直し、崩れた柵を立て直す。
皆、口数が少ない。手は動くが、目が落ち着かない。
朔兵衛は、鍬の柄を握り直した。
助かった。だが、それで終わりじゃない。次が来る。
それが分かっているから、誰も笑わない。
村外れの道に、砂埃が立った。
小人数の一行が近づいてくる。先頭の男が止まり、一礼した。
「突然、失礼する。榊原弥平と申す。柘植宗直さまの使いだ」
朔兵衛が前に出る。
「何の用だ」
弥平は、言葉を荒げない。だが目を逸らさない。
「この村を守った者がいると聞いた。力を借りたい」
「借りるってのは、連れていくってことか」
「そうなる」
弥平は合図し、荷を下ろさせた。
米俵。塩。布。鍬。種。
村の女が息を呑む。子どもが米俵を見て固まる。
「礼は持ってきた。村に要る物を選んだ。足りぬなら、後で宗直さまに掛け合う」
朔兵衛は唾を飲んだ。
礼はありがたい。だが、交換みたいで腹が立つ。
「守ったのは、あいつだ。俺らじゃねぇ」
「分かっている。だから会わせてほしい」
その時、村の奥から少年が戻ってきた。
刀を下げ、歩きは静か。
村人が道を空ける。
弥平は少年を見ると、短く言った。
「お前が、その者か」
「用は」
少年の声は平たい。怒りも嬉しさもない。
「宗直さまの領内で、街道が荒れている。野盗を討ってほしい」
「……野盗」
弥平の後ろで、供の男が固まった。
顔が青い。口が開いたまま、声だけが漏れる。
「……おにまる?」
朔兵衛がその男を睨む。
「何だ、お前」
男は少年を見たまま、震え声で言った。
「生きてたのかよ、鬼仁丸……」
少年は何も言わない。目も動かさない。
朔兵衛が詰める。
「知ってるのか」
男はようやく朔兵衛を見る。
「昔、野盗狩りで一緒だった。鬼仁丸って呼ばれてた」
「今は弥平の手先か」
「雇われてるだけだ」
そこで弥平が一歩前に出た。声は低いが、乱れない。
「早川。話はあとだ。今は用件が先だ」
早川甚兵衛は口を閉じた。だが目は少年から離れない。
少年が弥平を見る。
「場所」
「宗直さまの領内だ。ここから二、三日。川沿いの街道で出る」
「人数」
「一団だ。十や二十じゃない。もっと居る」
弥平は一息おき、続けた。
「野盗だが、中に数人、刀の使い方に慣れてる者が居るみたいだ」
「いつ」
「分からん。出る時が読めない」
弥平は少しだけ言いづらそうにしたが、逃げずに言った。
「だから、しばらく領内に留まってほしい。無理を言う。だが今はこちらにいてくれ」
少年は迷わない。
「分かった」
朔兵衛の胸がざわついた。
行くのか。村を離れるのか。
そのざわつきの上に、少年がもう一言落とした。
「俺だけじゃない。数人、連れていく」
村がざわついた。
「畑はどうする」
「男手が減る」
「死ぬぞ」
朔兵衛も思った。だが、口に出す前に自分で止めた。
次が来たら、畑ごと全部奪われる。
弥平が少年を見る。
「……構わん。助かる」
弥平は村の方にも向けて言った。
「礼の品は置いていく。畑が回らぬのは分かる。だが街道が荒れれば、米も塩も入らん。ここだけの話じゃない」
村の者が黙った。
言い返せない。
その日の夜。
村外れの空き地で、鬼仁丸が男たちを並ばせた。
月が薄い。火は小さく焚く。声は出さない。
鬼仁丸は、指で短く示した。
「朔兵衛」
朔兵衛が前に出た。
「弥助」
若い男が一人。
「権六」
もう一人。
「市蔵」
年のいった男が一人。
それだけ。
村の年寄りが一歩出る。
「畑が……」
朔兵衛が言った。
「残った方が皆死ぬ。行く」
年寄りは拳を握ったが、言葉が出なかった。
鬼仁丸はそれ以上、何も言わない。
「明け方に発つ」
それで終わりだった。
夜が明ける前。
四人は荷を背負った。弥平の手勢も支度を終える。
村人が集まり、黙って見送った。
女が朔兵衛の袖を掴む。
「……死ぬなよ」
「死なねぇ」
朔兵衛は言った。自分に言い聞かせるみたいに。
早川甚兵衛が、村の男たちを横目で見て言った。
「……百姓の目じゃねぇな」
弥平が答える。
「生き残った目だ」
鬼仁丸は振り向かない。
ただ前に歩く。
村は小さくなっていく。
畑の匂いが遠くなる。
代わりに、街道の土と、人の争いの匂いが近づく。
朔兵衛は背中の荷を直し、鬼仁丸の後ろを追った。




