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「第1話 荒餓鬼」

「……坊主。お前、何者だ」

少年は答えなかった。

刀を下ろさない。だが斬りかかりもしない。

首領は唾を飲み込み、声を荒らげた。

「俺たちはな……最初から野盗じゃねぇ!

百姓だ! 畑を耕してた!

年貢で米は持っていかれ、戦で畑は踏み荒らされ、家は焼かれた。

生きるために、こうするしかなかったんだ!」

それは言い訳ではなかった。

怒りだった。

そして、どこか誇りを守ろうとする声だった。

少年は初めて、首領の目を見た。

その目に宿るものは、飢えと恐怖と——それ以上に、諦めだった。

少年はしばらく黙った。

遠くで烏が鳴いた。

戦場を渡る風が、腐臭を運ぶ。

少年は刀の切先を、ほんの少しだけ下げた。

「……奪う相手が違う」

首領が眉をひそめた。

「村を荒らす獣を斬れ」

少年の声は低かった。

命令というより、事実を告げるような声。

「次に斬るべきは、女を探すやつだ。米を奪うやつだ。

人の家を焼くやつだ」

首領は理解できないという顔をした。

それでも、何かが揺れた。——死ぬ恐怖ではない。言葉が刺さった痛みだ。

少年は一歩近づく。

首領の刀がわずかに上がる。

だが、少年は斬らない。

「死にたくなければ、従え」

それが、少年の最初の命令だった。

首領の喉が鳴った。

刀が、落ちた。

土に膝がついた。

そして、首領の背後にいた者たちも、次々に膝をついた。

少年は刀を納める。

その動作ひとつで、彼らは理解した。

自分たちは“殺されない”。

だが、二度と勝てない。

「あんた、名は…」

「名は等に捨てた」

「荒餓鬼…それじゃあんた、今日から荒餓鬼だ!?」

「名に意味は無い…好きにしろ…」


数カ月後。

野盗だった一団は、野盗ではなくなっていた。

昼は畑を耕し、夜は刀を握る。

畑の畝が伸びるたびに、少年の周りの空気は変わっていく。

最初は怯えだった。

次は従属だった。

そして今は——期待と、恐れと、少しの誇りが混じっている。

彼らの手の癖は覚えた。

歩幅、呼吸、視線の動き。

何度も何度も、夜の稽古で見た。

「合図は短く。叫ぶな」

「一人で前に出るな」

「逃げ道を残せ。追い詰めるな」

彼は教えた。

それは武士の教えではない。

戦の教えだ。

そして——何よりも強く言った。

「無駄に殺すな」

少年の一番近くにいるのは、あの日首領だった男…名は朔兵衛。

「殺さなきゃ終わらねぇだろ…」

「終わらせるために殺すのはいい」

少年は淡々と言った。

「殺すのは手段であり、目的じゃない…」

村の外れに、火が上がったのは、月が半分だけ光る夜だった。

鳴き声。泣き声。

風に混じる怒号。

「落ち武者狩りだ!」

畑から戻った百姓が叫ぶ。

少年は火の方を見た。

目が変わらない。

ただ、肩が少しだけ沈む。

「……行く」

それだけ言って、少年は走り出した。

畑を耕していた男たちが、鍬を捨てる。

女たちが息を呑む。

子どもが泣く。

暗がりから、木槍と鎌と、欠けた刀が集まってくる。

誰もが怖い。

それでも——少年がいるから動ける。

火の元には、五、六人の武士崩れがいた。

鎧は半分だけ。刀は本物。

村の家に押し入り、女の髪を掴み、笑っている。

「米を出せ!」

「黙れ、百姓風情が!」

少年は止まらない。

正面から斬り込む気配ではない。

彼は一度、暗がりに身を沈めた。

指が二本、立つ。

——左右から回り込め。

三本。

——退路を切れ。

短い合図。

声はない。

土の匂いと草の擦れる音だけが動く。

武士崩れの一人が、何かに気づいて振り向いた瞬間、背後から木槍が刺さった。

鎧の隙間。腋。

刺した男は震えていたが、槍は抜かなかった。抜けば血が飛ぶ。抜けば相手が暴れる。

「っ、てめ——!」

叫びが上がる。

そこに少年が入った。

刀は、一閃。

早い。

腕が落ちる。刀が落ちる。

次の瞬間、少年の足が相手の膝を蹴り、身体が沈む。

「……やめろ」

少年の声は、炎より冷たかった。

武士崩れの頭目が、刀を抜き直す。

だが、左右を見る。

退路がない。

草むらに、畑の男たちが立っている。震えながら、歯を食いしばっている。

「百姓が……!」

頭目が叫んだ。

その叫びの中に、恐怖が混じった瞬間——少年の刀が喉元に止まった。

止まった。

斬らない。

ほんの指一本分だけ皮膚が裂け、血がつ、と流れる。

頭目は動けなくなった。

少年は低く言う。

「村から出ていけ」

頭目の目が揺れる。

「次に来たら、斬る」

それだけで足りた。

頭目は、仲間を引きずりながら逃げた。

炎だけが残った。

村の女は泣き崩れ、百姓たちはその場に座り込んだ。

勝った。

生き残った。

だが、誰も笑わなかった。

少年は燃える家の前に立ち、しばらく火を見ていた。

炎は、勝ちも負けも関係なく燃える。

命を飲み込み、何も残さない。

背後で、朔兵衛が言った。

「……あんたがいなきゃ、もっと死んでた」

少年は振り向かなかった。

「……それでも死んだ」

自分の声が、思ったよりも幼く聞こえた。

少年は刀を拭く。

布はすぐに赤くなる。

拭いても拭いても、赤は消えない。

彼は、刀を鞘に納めた。

その仕草が、誰かを安心させた。

誰かを泣かせた。

誰かに「次も生きられる」と思わせた。

少年はそれらを見ない。

見ないまま、背を向けた。

遠くの山の向こうに、また別の火が見えた。

次の戦場の匂いがする。

戦が終わった土地の匂いではない。

戦が始まる前の、冷たい匂い。

少年は歩き出す。

旗を持たぬまま。

だが、確かに人を動かし、地を変える刃として。

そして、その背中を追う者たちもまた、鍬を肩に担ぎ、槍を握り直して歩き出した。

——荒ガキの物語は、ここから始まる。

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