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序章

天正十年六月。

鈴鹿の山並みは、むせ返るような緑と、死の臭いに満ちていた。

「神君伊賀越え」と後に語り継がれる、徳川家康、生涯最大の窮地である。

「……ここまでよ」

岩陰に腰を下ろした徳川家康は、脂汗にまみれた顔を歪めた。

信長が死んだ。頼みの綱であった秩序は霧散し、かつての同盟者は明智の追手か、さもなくば略奪を狙う「落ち武者狩り」へと変貌した。

「腹を切る。もはや、首を晒すよりは武士の矜持が守れよう……」

家康が刀に手をかけたその時、背後の闇が揺れた。

「矜持、とおっしゃいましたか」

低く、枯れた声。

そこにいたのは、家康が三河で拾い、十年来「戦友」として連れ歩いてきた無名の男だった。地侍とも浪人ともつかぬその男は、今は返り血を浴び、野盗の首を無造作に足元へ転がしている。

「放っておけ。お主も、今のうちに逃げよ。信長公亡き後、この国は再び終わりのない乱世に逆戻りだ。もはや救う手立てはない」

家康の弱音を、男は冷笑で断ち切った。

「乱世に戻るのではない。信長公という『個』に頼り切った仕組みが、初めから脆かったのです。殿、貴方は将門という男をご存知か」

家康は眉をひそめた。

「承平天慶の乱……坂東の覇者、平将門公のことか。それが今、何の関係がある」

「我が一族に伝わる教えがあります」

男はゆっくりと家康に歩み寄り、その前に膝をついた。その瞳には、家康がこれまで見てきたどの武将とも違う、深く、底知れぬ「虚」が宿っていた。

「将門は、自ら『新皇』と名乗り、旗を立てた。己を太陽として掲げた。ゆえに、その光が陰った瞬間に全てが瓦解したのです。個の力、個の武名、個のカリスマ……そんなものは、人が死ねば終わる。将門の首が京まで飛んだのは、彼が『制度』ではなく『己』を売ったからです」

「……何を言いたい」

「旗を立ててはなりませぬ。神を名乗ってはなりませぬ」

男の指が、家康の胸元を強く突いた。

「殿。貴方がなすべきは、誰がその座に座っても、誰が死んでも、二百年、三百年と揺るがぬ『巨大な機械からくり』を作ることだ。将門が成し遂げられなかった、東国の永久なる安寧。それは、一人の英雄によってではなく、血の通わぬ『制度』によってのみ完成する」

家康は呆然と男を見た。死を覚悟した男の目に、新たな光が宿り始める。

「制度……。だが、人は制度だけでは動かぬ。何をもって、この荒ぶる武士たちを縛るというのだ」

男は静かに笑った。その笑みは、後の世で「黒衣の宰相」と恐れられる怪僧・天海の片鱗を覗かせていた。

「配置です。城の向き、街道の曲がり、寺社の位置、そして民の心に植え付ける『象徴』。これらを呪術的に、かつ合理的に配置し、逃げ場のない結界を敷く。一度その中に組み込まれれば、たとえ凡庸な者が跡を継いでも、国は勝手に回り続ける……。貴方が表の『将軍』となり、俺が裏の『配置』を担う。それでようやく、将門の無念は浄化されるのです」

遠くで、明智の捜索隊が鳴らす法螺貝の音が響いた。

家康は、ゆっくりと立ち上がった。刀を抜き、それを切腹のためではなく、目の前の藪を切り開くために握り直す。

「面白い……。平将門の末裔が、この私に『神』ではなく『歯車』になれと説くか」

「生き延びてください、殿。貴方の命は、もはや貴方の物ではない。千年の静寂を買うための、最初の部品なのですから」

男は再び闇に溶け込み、家康の先駆として走り出した。

後にこの男は剣を捨て、名を捨て、南光坊天海と名乗る。

家康が築いた江戸の町が、異様なほどに風水と結界で守られ、将門の首塚がその結界の急所に配置されることになるのは、まだ先の話である。

だが、この伊賀の山中で、戦国の終わりは「予感」から「確信」へと変わった。

一人は覇道を歩み、一人はその影を縫う。

将門の血が、徳川の骨となった瞬間だった。


この時より遡るは幾数十年前、ココよりこの新たな戦国絵巻は始まる…!


戦は、すでに終わっていた。

折れた槍、踏み潰された旗、血に濡れた土。

その戦場を、一人の少年が彷徨っていた。

年の頃は、十二か十三。

甲冑もなく、ただ刀を一振り携えている。

そこへ現れたのは、戦場荒らしの野盗の一団だった。

死体を漁り、武具を剥ぎ、女を探す獣たち。

「生きてやがったぞ」

笑い声と共に、刃が振り下ろされる。

次の瞬間、地に倒れていたのは――彼らの方だった。

少年は血を払うこともなく、首領の前に立つ。

「死にたくなければ、従え」

それが、少年の最初の命令だった。


コレは戦国の荒波に呑まれながらも己の志を貫いた荒ガキの物語…ここに開幕!!

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