8 小さな来訪者
翌朝起きたアリーチェは驚いた。
「すごーく育ってる……?」
もさもさと緑の塊が見えた。
外に出てもぎとってみる。
つるんとした皮の上に、青空を突き刺すようなイボが尖っている。
新鮮さの証だ。
ひとつ齧ってみる。
「んおぉぉぉっ……おいしいッ!」
思わず叫んだ。
なんとも言えない瑞々しさだ。
「これは! 結構いいんじゃない!? 初めてにしては上出来よっ」
元気が出てくる気がする。
よし、おすそわけだ、と思い当たったアリーチェは呟いた。
「あ! そうだわ。ピクルスにしよう」
そのとき、ガサッと家の門の脇から音がした。
「ん?」
耳をすませると、茂みの脇から小さな声が聞こえた。
「にぃに、ぴくるすってなあに」
「シッ静かに!」
「伏せろッ」
アリーチェはくるりと畑の方を向いて、キュウリを眺めた。
頭上をピーヒョロと鳥が飛ぶ。
「おいしそうに育って良かったわ。あら? 金色のキュウリがあるわね。思ってたのとは違うけど、きれい。どうしようかしら、サラダにしようかしら。それともピクルスにしようかしら」
わざと大きな声で呟く。
「にぃに、きんいろのきゅうりだって」
「よし、行こう」
「今のうちだ、走れ!」
背後に気配を感じて数秒待つ。
そして、一気に――グルンッと振り返った。目をギョロリとひん剥いたアリーチェは、どすの利いた声で叫ぶ。
「そこにいるのは……誰だあぁぁぁ!」
小さな影たちが飛び上がった。
「わああああっ」
「うわぁぁぁっ」
「ウギャァァァ! わーん!」
はずみで茂みから、どさっと何かが転げ落ちた。
「あら……子ども?」
尻餅をついて転がったのは三人の子どもだった。
内の二人の男の子はよく似ている。背格好も同じだ。
兄弟か、双子だろう。もう一人は小さな女の子で、まんまるい瞳に大きくし、涙をいっぱいにしてこちらを見ている。
「ルーラ、おまえだけでも逃げろッ」
「にぃにたちをおいていけないよ」
「くそっ」
「あなたたち、逃げるだなんて良い度胸ね……?」
ゆらり、と三人の上にアリーチェの影が落ちる。
「最近、家の中のものが動いているような気がしたのよね。まさか三匹もネズミが入り込んでいたなんて、思わなかったけど。不法侵入、って知ってる?」
にっこりと微笑むアリーチェを見上げ、子どもたちは言葉の出ない口をはくはくと動かした。
かわいそうだが、仕方ない。
「私に言わなきゃいけないこと、あるよねぇ?」
「うっ……ううううっ」
「泣いてちゃわかんないわよ」
「お前ッ! ルーラを泣かせるなんて大人げないぞ」
「お前ッ! 今はやりの悪役令嬢ってやつか!?」
アリーチェはキャンキャンと吠え立てる犬のような少年たちを一瞥した。
「あのね。私は聖女よ。元だけど……それに、大人だから言っているの。泣いたら問題が解決するなんて、間違って覚えてしまったら、そっちのほうが困るわよ。いい、ルーラちゃんっていうの? あなたね、泣いたって気持ちがすっきりするだけで、どうにもならないわ。どうして勝手に私の家に入ったの? 悪いって分からなかった?」
「う、う……ごめんなしゃい」
「ほら、妹が謝ってるけど。あんたたちは?」
「……ごめんなさい」
「……ごめんなさい」
子どもたちはしょんぼりと肩を落とした。
ルーラと呼ばれた小さな女の子が、ずぴ、と鼻水をすすった。
「おなかがすいて、さむくて、がまんできなかったの。それに、ここ、だれもつかってないとおもって……かってにはいったの、よくなかった」
「そうね。いいわ。ボロやだったのは本当だもの……おうちの人は?」
少年たちが目配せし合った。
「僕らは父さんと一緒に丘の向こうの街で暮らしてたんだけど……いなくなっちゃったんだ」
「いなくなった?」
「うん。父さんはいてもお酒ばっかり飲むし、ときどき帰ってこないこともあったんだけど、ずっと帰ってこなくなっちゃって」
ルーラが首を傾げて言う。
「しゃっきんとりっていうおじさんたちがいっぱいきて、にいにたちといっしょににげてきたの。あ、あの、おねえちゃん? だいじょうぶ? どっかいたい? いたいのいたいの、ないない! いたいのいたいの、ないないっ」
話を聞きながら、今度はアリーチェが鼻水をすすっていた。
少年たちが汚いものを見る目で見ている。
「じゃあ、お邪魔しました」
「ご迷惑、おかけしました。僕たちはこれで」
「待ちなさい」
アリーチェは鼻水をすすり上げた。
ズピズピッ。
「このまま行かせるわけ、ないわよね……?」
「え……」
「えっと……」
ルーラを抱えたアリーチェは少年二人を目で威圧した。
子どもたち三人は、蛇ににらまれた蛙のように、すごすごと石造りのボロやに連行される他なかった。




