16 キュウリを持って
兵士の訪問から数日経った。
ヴァル・ドルナは平和になったかのように思えたが――。
アリーチェがルーラと一緒にさやえんどうの筋取りをしていると、玄関の扉が勢いよく開く音がした。直後に、双子の片方が鼻血を出しながら家の中へ駆け込んできた。
見分けがつくようになったアリーチェは驚いた。
「シェロ、どうしたの」
「いや、どうしたってほどの話じゃないんだけど」
と、へらへらしている。
後ろから白い目をして、マーレが入ってきた。
「ものすごくおっぱいのおっきいお姉さんが来たんだ」
「ちがうちがうちがう」
「ちがわないだろ。シェロ、ちょっと話しかけられたからって調子に乗りすぎだ」
「お姉さんって」
アリーチェが外に出てみると、ちょうどその問題の『お姉さん』と畑仕事中だったラウルが、小松菜の畝の隣で喋っていた。
たしかに、スタイル抜群であり、なおかつ可愛い。
これはシェロが鼻血を出すのも分かるような気がする。
アリーチェは本能的に危機を察知した。
双子はともかく、ラウルは……?
もしもこの人が、ラウルが久々に会う幼なじみなどであれば、勝ち目はないかもしれない。
見たところ楽しそうに喋っているようだ。
アリーチェは胸が苦しくなった。
「あっ、アリーチェ!」
と、ラウルが気付いて手を振る。
ぎこちなく微笑みながら、アリーチェは駆け寄った。
「ラウル、こちらは……?」
「ポーリーヌさんだよ。アリーチェに会いに来たんだって」
「初めまして。ポーリーヌと申します。大司教様の元で小間使いをしております」
アリーチェは、クビ宣告のあの日を思い出した。
「あっ!」
大司教が鼻の下を伸ばしながら、ポーリーヌちゃんが来るぞ、うへへへと言っていた気がする。
それがこの女性なのだろう。
アリーチェは、ひきつりそうになる顔で挨拶をした。
大司教はともかく、ラウルを王都に持って行かれたら、心の支えが無くなってしまう。
「ええと……今日はどうなさったのでしょう?」
と、アリーチェは尋ねた。
ポーリーヌ嬢は、大きな目を瞬かせて、案外に淡々と言った。
「実は、大司教様からアリーチェ様を王都へお招きせよとのことでして」
「えっ? 私、王都には……」
「ピクルスが食べたいと」
「は?」
「ヴァル・ドルナ産のキュウリで作ったピクルスが食べたいとのことです」
「……キュウリの、ピクルス?」
思わず聞き返すと、ポーリーヌ嬢はこくりと頷いた。
「はい。ヴァル・ドルナ産のものは歯ごたえが別格だとかで。最近はそればかり仰っております」
「そんな理由で……?」
アリーチェは思わず脱力しかけた。
何やら不穏な想像をしていた。
王都に行って、聖女として何かさせられるようなことがあるのかもしれないと。
それが、ピクルス。
「まあ、それなら私にもできますけど……」
大司教様仕込みのピクルスの才能ならあるかもしれない。
確かに、ラウル一家にも子どもたちにも、ご近所さんにも好評なのだ。
「それで、キュウリを持ってきていただいて、アリーチェ様ご本人に王都で漬けていただきたいと」
「ええぇ……」
「え、すごいじゃんアリーチェ」
後ろでシェロが目を輝かせた。
「王都って都会だろ? 馬車で行くの? すげぇ」
「シェロ、鼻血拭いてから言えよ」
マーレが正論を言った。
アリーチェは少し考えて、ゆっくり口を開いた。
「もし……行かないって言ったら? キュウリだけ送ってもいいわよね?」
ポーリーヌは表情を変えずに、淡々と答えた。
「その場合は、大司教様が大変しょんぼりなさるかと」
「しょんぼり……」
ポーリーヌ嬢は指を折って考えた。
「漬け込み期間を含めて、三日ほどです」
「三日……」
それくらいなら、畑もなんとかなるかもしれない。
だけど、もし王族に利用されるようなことがあったら嫌だ。
あの王子たちとはもう関わり合いになりたくはない。
だしぬけに、ラウルが言った。
「キュウリは馬車で持って行くのか?」
ポーリーヌは頷いた。
「はい。大司教様は馬車の荷台に載りきるだけ、たくさんと言っていました」
大司教のくせに、そんなに欲張りでいいのだろうか。
アリーチェがため息をつこうとしたとき、ラウルがすっと口を開いた。
「大量なら俺が運ぼう」
「え」
「えっ」
アリーチェと双子、シェロの声が見事に重なった。
ポーリーヌ嬢は無表情に言った。
「それは心強いです。大司教様もきっとお喜びに」
「ちょっと待って!」
シェロが割り込んだ。
「ラウルまで王都に行くって、それ、そんなのッ……完全に、デートじゃん!」
そうだそうだ! と拳を突き上げたい。
アリーチェも同じ気持ちだった。
「違う」
「違わないッ! こんなお姉ちゃんと二人きりで馬車に乗るなんて……僕も行く」
「シェロ、遊びに行くんじゃないんだぞ」
「僕らだって手伝える。アリーチェと一緒に仕込み作業もしてるんだから」
眉を寄せたラウルと視線を合わせた瞬間、アリーチェは直感的に喋っていた。
「みんなで、行きましょう」




