心理試練とワープ訓練
第一次試験の合格認定後の翌日、候補生たちは黒い壁に囲まれた広大な施設に案内された。
彼らの胸の内には、一次試験の興奮の余韻がまだ生々しく残っている――それは表面上の沈黙の下でじわじわと膨れあがり、誰もが次の試練を前に心を揺らしていた。
そんな中、空気を切り裂くようにして、扉の前に立った瞬間、AIシグマの声が響き渡る。
《次の段階は『心理試練』。ここからは君たち自身の内面を映し出し、恐怖や後悔に向き合うことが課題となる。逃げず、克服せよ。》
その言葉に、列の中でざわめきが走った。
「心」――候補生たちにとって最もごまかしの利かない領域だ。
壁の内側には、それぞれの心を投影する空間が広がっていた。
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リクの試練
リクが「試練の扉」を踏み越えた瞬間、世界は一変した。
目の前の光景が一気に暗転し、視界を飲み込むような闇が広がる。
鼻を刺すのは焦げた煙の重苦しい匂い。
耳をつんざく轟音が次々と襲いかかり、鼓膜を容赦なく揺さぶる。
気がつけば彼の足元には瓦礫が散乱していた。崩れ落ちた家々の残骸が折り重なり、街全体が赤黒い炎に包まれていた。
炎は夜空を真っ赤に焦がし、舞い上がる灰が無数の黒い雪のように降り注ぐ。
あちこちから響く悲鳴と絶叫。
「助けて……! 誰か……!」
「逃げろ! 火が……火が迫ってくる!」
混乱の叫びが波のように押し寄せ、リクの胸を締めつけた。
息を吸うたび、喉が焼ける。目は涙で滲み、視界は揺れる。
そのときだった。
瓦礫の影から、小さな影が姿を現した。
その顔を見た瞬間、リクの心臓は止まりそうになった。
──それは、幼い頃の自分自身。
泥にまみれ、ボロボロに泣きじゃくり、膝を抱え込む小さなリク。
赤く腫れた瞳で、こちらを睨みつけるように見上げてきた。
「助けてよ……!」
掠れた声が、しかし鋭く突き刺さる。
「君は、強くなるって言ったじゃないか!」
リクは息を呑む。胸に蘇るのは、あの日の記憶。
戦争の残滓が村を襲い、ただ立ち尽くすしかできなかった無力な自分。
必死で守りたかった家族の笑顔が、炎の中に飲み込まれていった光景。
拳が震え、歯が軋む。
胸の奥に、どうしようもない悔しさと自己嫌悪が広がっていく。
「俺は……」
言葉を発しようとした瞬間、幻影の少年リクがさらに叫ぶ。
声は嗚咽に震えながらも、容赦なく鋭く突き刺さった。
「結局、また逃げるんだろ!? 強くなんて……なれてない!」
その一言は刃だった。
胸の奥に突き立ち、心臓をえぐり取るような痛みを与える。
リクは膝が崩れそうになるのを必死にこらえた。
──逃げてきたのか?
──本当に、何一つ変われていないのか?
耳の奥で幻影の声が反響し、内側から心を砕こうとする。
だが、その瞬間。
リクの脳裏に浮かんだのは、ユウマたちの姿だった。
ユウマの豪快な笑い声
ミカの小さな背中、必死に食らいつこうとする姿。
アオトの冷静な眼差し、冷たいが頼りになる声。
そして――サナの、不安を抱えながらも優しく寄り添おうとする微笑み。
その光景が、リクの心を再び奮い立たせた。
「……俺は、もう逃げない」
リクは深く息を吸い、胸の奥から震える声を絞り出す。
燃え盛る炎の中で、拳を固く握りしめ、全身で叫んだ。
「一人じゃできなくても……仲間と一緒なら前に進める!
俺はそのために、ここに立ってるんだ!」
声が大気を震わせると同時に、不思議な変化が起こった。
轟々と燃え盛っていた炎が、突如として風に吹き消されるように消えていったのだ。
赤黒い火が霧散し、崩壊しかけた街並みが静寂に包まれていく。
そして――幻影の少年リクの瞳から、涙がすっと止まった。
険しい表情が和らぎ、静かに笑ったように見えた。
次の瞬間、幻影は光の粒となって舞い上がり、夜空へと溶けて消えていった。
残されたのは、重くも確かな決意だけ。
リクは胸の奥で静かに呟いた。
「俺は、もう……あの日の俺じゃない」
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サナの試練
サナが一歩、扉を越えた瞬間、視界はゆっくりと歪み、次の瞬間には見知らぬ光景に飲み込まれていた。
そこは、果てしなく続く宇宙船の廊下だった。
白く無機質な壁はどこまでも同じ模様を繰り返し、まるで彼女を閉じ込める檻のように思えた。灯りは最小限しか点いておらず、淡い光が冷ややかに床を舐めるだけ。照らされない影が深く伸び、底知れぬ闇が廊下の奥へと誘っている。
「……みんなどこにいるの?」
声を絞り出した。けれど、その声は壁にぶつかって反響し、幾重にも重なりながら消えていった。返事はない。どこにも仲間の気配はない。
聞こえてくるのは、自分の声の残響と、コツ、コツと響く自分の足音だけ。冷たい空気が肌を刺し、心臓の鼓動が嫌になるほど大きく胸を叩く。
──孤独。
その二文字が、刃物のように胸を切り裂いた。
サナは知っていた。これこそが、自分の最も深いところに潜む恐怖。仲間を失い、誰にも必要とされず、ただ一人きりで無限の闇に取り残される未来。
「……いや……そんなの、いやだ……」
震える声が漏れた。喉が詰まり、吐く息さえ白く冷たく感じる。
そのときだった。
背後から、耳を這うようにして声が忍び寄った。
「君は役立たずだ……」
心臓が跳ねた。サナは振り返ったが、そこには誰もいない。あるのは、果てしなく続く白い廊下だけ。
「リクにも、仲間にも……必要とされていない」
今度は耳元で囁かれたように感じた。冷たい、氷の刃のような声。全身が粟立ち、膝が折れそうになる。胸がぎゅっと縮み、呼吸が浅くなる。
「ち、違う……違うもん……」
サナは首を振った。両手で耳を塞ぎ、声を振り払おうとする。けれど声は執拗に追いかけてきた。
「仲間は君なしでも進める。君がいても、いなくても同じ……」
「やめて……!」
堪えていた涙がにじんだ。視界が揺らぎ、廊下の先が霞む。足がもつれ、床に崩れ落ちそうになる。だが、サナは奥歯を噛みしめ、必死に自分を支えた。
「……違う!」
声が震えていたが、それでも精一杯の力を込めた。
「私は……役立たずなんかじゃない! 一緒に未来を創るためにここにいるんだ! 絶対に、一人にはならない!」
その瞬間だった。
重苦しい空気がわずかに揺らぎ、廊下の奥から柔らかな光が差し込んだ。白い壁に次々と影が映り、誰かの笑い声が響いてくる。
振り返ると、そこにいた。
リクが真っ直ぐな瞳で彼女を見つめていた。ユウマがにやりと口角を上げ、ミカが小さく手を振り、アオトが静かに頷いていた。
幻なのか現実なのか、サナには分からなかった。けれど確かに、温かさが胸を満たしていく。
「……みんな……」
頬を涙が伝う。けれど、その涙は恐怖ではなく、安堵と確信のしずく。
サナは拳を胸に当て、まっすぐ前を見据えた。
その顔には、もはや迷いはなかった。
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ユウマの試練
ユウマが試練の扉を跨いだ瞬間、視界は一気に広がり、そこに現れたのは果てしなく続く大湖原だった。
空は鉛のように重く曇り、太陽の光は一片も届かない。どす黒い雲が低く垂れ込み、大湖は牙を剥く獣のように荒れ狂っていた。波がうねり、轟音と共に高くそびえ立ち、叩きつけられるたびに湖全体が怒号を放つ。
その中心で、ユウマの操縦する潜水艇は翻弄されていた。艇体は大きく傾き、警告灯が赤く点滅し、耳障りな警報音が鳴り響く。まるで海そのものが艇を沈めようと牙を剥いているかのようだった。
「ま、待ってくれ! 制御が効かねぇ!」
ユウマは汗に濡れた手で操縦桿を必死に握りしめる。腕に力を込めても、波はあざ笑うかのように艇を上下左右に叩きつける。
船体のきしむ音。床を滑る荷物。絶望的な揺れ。
艇内からは仲間たちの悲鳴が響いた。
「ユウマ! どうにかして!」
「沈むぞ! 早く!」
その声が、鋭い刃のようにユウマの胸を切り裂いた。
――俺のせいで……みんなが……。
胸が潰れるように苦しい。息が詰まり、肺が湖水に満たされていく錯覚さえ覚える。
「……俺のせいで……!」
額から汗が滝のように流れ落ち、視界が霞む。操縦桿を握る手が震え、指先から力が抜けそうになる。
その時だった。
荒れ狂う波の合間から、低く響く声が轟いた。
「お前は楽観的すぎる。責任を背負う覚悟などない」
ユウマの目の前で、湖水面が割れるように揺れ、そこからひとりの姿が浮かび上がった。
それは――幻影のユウマ。だが、その表情は今の彼とは正反対だった。顔は暗く沈み、笑みは消え、瞳には諦めの色が滲んでいる。
「……俺?」
幻影は冷たく言い放つ。
「お前はいつも笑ってごまかす。『大丈夫だ』と軽口を叩いて、みんなを安心させたつもりになってる。でも本当は、逃げてるだけだ。責任からも、恐怖からも」
ユウマの胸に、鋭い痛みが走った。
自分の奥底に隠してきた思いを突きつけられた気がした。
――そうだ。俺はいつも笑ってた。けど……怖かったんだ。もし、自分のせいで誰かを失ったら? 仲間を傷つけてしまったら?
艇はさらに大きく揺れた。波が天を衝くように高くそびえ、艇を丸ごと呑み込もうと牙を剥く。仲間の叫びが、鼓膜を突き破るほどに耳を刺す。
「ユウマ! 早く!」
「助けてくれ!」
ユウマの心臓が乱打する。全身が震える。操縦桿が鉛のように重く感じられ、握る手が痛みで痺れる。
だが、仲間の声を聞いた瞬間、ユウマの中で何かがはじけた。
震える両腕に力を込め、奥歯を食いしばる。
「……俺は能天気かもしれねぇ! 責任感なんて足りねぇのかもしれねぇ!」
叫びながら、ユウマは操縦桿をぐっと引いた。
「でもな……! 仲間を守りたい気持ちだけは……誰にも負けねぇんだ!!」
声は咆哮となり、海鳴りとぶつかり合った。
瞬間、荒れ狂っていた波が嘘のように静まり、空を覆っていた雲が裂ける。鉛色の闇の中から黄金の光が差し込み、湖水面を照らした。
潜水艇はゆっくりと浮上し、重くのしかかっていた水圧が消えていく。
「……助かった……!」
「ユウマ……!」
仲間の安堵の声が、艇内に温かく響いた。
ユウマは大きく息を吸い込み、肺の奥まで光を満たすように呼吸した。そして胸を張り、口元に力強い笑みを刻んだ。
今度こそ、その笑顔は偽物ではない。
仲間を守るという覚悟を宿した、本物の強さだった。
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ミカの試練
ミカの目の前に広がっていたのは、かつて生命で満ちていたはずの広大な宇宙船内の農園だった。
しかし、そこに息づくはずの作物は一つ残らず枯れ果て、見る影もない。
茶色に変色した大地には深くひびが走り、砕け散った葉が風に乗って舞い上がる。緑のはずの景色は、無惨な灰色の荒野へと変わり果てていた。
命の気配はどこにもなく、ただ乾いた風が笛のように鳴り響くばかりだった。
「……こんな……」
ミカの小さな胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
彼女にとって植物は仲間と同じ存在だった。幼いころからずっと、草花に語りかけ、水を与え、芽吹く小さな命に励まされてきた。
だからこそ、目の前に広がる枯死の光景は、ただの荒廃ではなかった。
それは、自分が誰の力にもなれず、命を救えず、仲間にすら背を向けてしまった未来を突きつけられているように思えた。
そのとき、冷たい声が背後から忍び寄る。
「君は弱い。仲間を守れるはずがない。生命を育む力など、君にはない」
ぞくりと背筋が凍りつく。
ミカは振り返った。そこに立っていたのは――自分自身。
幻影のミカが、冷ややかな瞳で彼女を見下ろしていた。唇は硬く結ばれ、声には一片の温もりもない。
「小さな君に、何ができる? 何も変えられない。誰も救えない」
胸に突き刺さるその言葉に、ミカは唇を強く噛みしめた。
確かに――自分は小柄で、力もない。仲間と並べば、いつも一歩後ろを歩いてしまう。怖がりで、人前に立つのも得意じゃない。
そんな自分が本当に仲間の支えになれるのか。いつも不安で、足がすくみそうになる。
だが、そのとき。
ふと視線を落とした先に、土の割れ目から小さく顔を出していた一本の苗が目に入った。
枯れ果て、色を失い、今にも崩れそうなほど弱々しい苗木。
ミカは迷わず膝をついた。小さな体で前のめりに、両手を土に差し込み、苗をそっと抱きしめる。
乾いた大地の感触が冷たく、胸にずしりと重くのしかかる。涙が頬を伝い、ぽとぽとと苗の根元へと落ちた。
「……私は……弱いかもしれない」
声は震え、涙で詰まりながらも、かすかに前へと進む力を帯びていた。
「でも……命を見捨てたりなんて、絶対にしない!」
その瞬間だった。
ミカの手の中で、枯れた苗の葉先がほんのわずかに緑を取り戻した。
小さな変化に、ミカの目が驚きで大きく開かれる。
「……!」
光を取り戻したのは苗だけではなかった。
やがて、農園の隅々で次々と草木が息を吹き返していった。砕けていた葉が瑞々しさを取り戻し、枯れた幹が新しい芽を伸ばす。茶色い荒野は、瞬く間に鮮やかな緑へと染め直されていく。
風はもう乾いた悲鳴ではなかった。木々のざわめき、草葉の揺れる音、命のささやきが農園全体を包み込む。
ミカはしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて静かに微笑んだ。
涙で濡れた頬に、やわらかな光が射し込む。
「私の役割は……たとえ小さくても、命を繋ぐこと……」
その声は震えていなかった。
「……それで十分だよね」
農園全体がまばゆい光に包まれる。
緑のざわめきが天へと響き渡り、その中心に立つミカの瞳には、確かな決意の輝きが宿っていた。
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アオトの試練
アオトが試練の扉を踏み越えた瞬間、空気が重く絞られるように変わった。
目の前に広がるのは、薄闇に満ちた制御室——無数のモニターが壁一面を埋め尽くし、ぎっしりと並んだ数字とグラフが不安定に瞬いていた。警告灯が赤く点滅し、断続的なアラームが耳を引き裂く。空気は金属の匂いと焦げた電気の匂いが混ざり合い、まるで機械が苦しんでいるかのように呼吸している。
「……制御不能だ」
アオトの声は最初、かすれていた。額に汗が滲み、細い筋が額を伝う。指先は冷たく、だがキーを叩く手は止められない。数千のデータ列が矢のように飛び交い、演算の羅列は絡まり、計算式が崩れていく。彼が打ち込むコマンドは次々に弾かれ、画面が赤に染まるたびに胸の鼓動が速まる。
「リセット、キャッシュクリア、演算優先度切り替え……何だ、これが……!」
アオトは必死だった。冷静な自分であるほど速く、正確に、論理的に動けるはずだと信じてきた。しかし今、目の前の数字は彼を嘲るかのように崩れ去る。手元のキーボードがただの板に思えるほど、世界の重心が揺らいでいく。
その時、暗闇の奥から低く、抑えた声が響いた。音は人の耳を通るのではなく、心の深いところを直接なぞるように届いた。
「君は冷静だが、孤独だ。理屈だけで、人の心を動かすことなどできない」
アオトはふと動きを止めた。背後に、見慣れた輪郭が浮かび上がる。そこに立っていたのは――冷たい瞳を持つ自分自身の幻影だった。表情は無機質で、口元に感情のひとかけらも残さない。かつて彼が自ら築いてきた“整然とした鎧”が、今、目の前で皮を剥がれるように露わになる。
「君は理屈と数式の盾で人を切り捨てる。効率という名のもとに、弱さを切り捨てる」と、幻影は淡々と告げる。
言葉は冷たく、刃物のように胸を抉る。アオトの内側で、何かがきしんだ。
彼は思い出した。つい先刻までの自分の態度を。議論で相手を論破して満足した夜。仲間の不安を計算値で押し流した瞬間。感情を「非効率」と見なし、距離を置くことで自分を守ってきた日々。理屈は正しかったかもしれない。だが正しさだけでは、誰かの手を引き上げることはできない。誰かの孤独を埋めることもできない。
胸に鋭い痛みが走った。喉が詰まり、志を貫くために築き上げた冷静さが、同時に自分を孤立させていた事実が、突きつけられる。
だが、闇の中でアオトの脳裏に浮かんだのは、数字でも解析でもない。色褪せぬ仲間たちの表情だった——
前を突き進むリクのまっすぐな眼差し。
静かに耐え、時に不安を胸に抱えながらも歩き続けるサナの姿。
怒鳴りつつも仲間を笑わせるユウマの豪快な笑い。
小さな体で必死に命を守ろうとするミカの真摯さ。
一人一人が、アオトを信じ、頼ってくれる——その確かな事実が、胸の奥で小さな火花を散らした。
「……僕は確かに、理屈ばかりだったかもしれない」
アオトは震える声で呟いた。指先はまだキーに触れている。だが、その口調には迷いの殻が割れ、温度が戻り始めていた。
「でも、その知識は――誰かを見捨てるためじゃない。仲間を支えるためにあるんだ」
言葉が切っ先になって、暗闇の幻影へ向かう。彼はもう、数字だけの世界に閉じこもらないと決めた。理屈と情を、どちらも捨てずに併せ持つのだと、胸の奥で静かに誓った。
すると、変化が起きた。乱れ狂っていたデータが、まるで意思に呼応するかのように整列し始める。壊れかけていたグラフが小さな規則を取り戻し、赤い警告が一つ、また一つと消えていく。モニターの海に安定が戻り、警報音がひとつ、ふたつ止まる。
「回復プロトコル、順次復旧。制御保持値、再確立」
冷たく機械的に流れていた報告が、次第に規則正しい調べを奏でるようになる。制御室の光がゆっくりと戻り、壁のモニターが落ち着いた青色へと染まり直す。船体全体の振動が収まり、かろうじて揺らめいていた世界が安定を取り戻した。
アオトは肩の力を抜いた。深く息を吸い込み、吐き出す。胸の奥底に、今まで封じてきた声がふっと滲み出した。自分の声が、今まではただの論理の結び目だったのに対し、今は人の温度を帯びた言葉へと変わったのを感じる。
「……僕は、孤独になるためにこの知識を磨いてきたわけじゃない。仲間と共に生きるために、使うんだ」
その宣言は小さかったが、彼の中で確かな柱になった。冷静さに、初めて“想い”を伴わせる。その先端に、仲間を抱き止める力が宿ることを、彼は知った。
制御室の光の中、幻影はゆっくりと消え去っていった。残されたのは静かな静寂と、整然と並ぶ数字たち。アオトは画面の前で手を組み、初めて心の底から湧き上がる声を胸に刻んだ。論理だけでなく、感情も。数字だけでなく、信頼も。この二つを抱えて、彼は再び仲間の元へ戻る準備を始めたのだった。
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こうして7班の五人はそれぞれの恐怖を乗り越え、心理試練を突破した。
炎の街、静寂の廊下、荒れ狂う海、枯れた農園、暗い制御室──
扉の外で再会したとき、互いの顔には涙がにじんでいたが、試練を超えた彼らの胸には、以前よりも強く、仲間を信じる思いが刻まれていた。
「……もう、お互いの弱さは隠さなくていいんだな」リクが呟く。
「うん。だって、それを乗り越えられる仲間なんだから」サナが微笑んだ。
ワープ訓練
心理試練を突破した候補生たちの前には、次なる試練が待ち受けていた。
その名も――「ワープ訓練」。ただの訓練ではない。実際に小型宇宙船を操作し、ワープ跳躍を成功させるという、候補生としての真価が問われる究極の課題だ。失敗すれば船体は分解され、訓練は即座に終了。恐怖と期待が入り混じる中、五人は訓練用ブリッジに座った。
シグマのホログラムが静かに告げる。
《第7班は、模擬宇宙船“ホライゾン号”を使用する。任務は地球軌道から月軌道までのワープ。失敗すれば船体は分解され、試験は終了する》
五人の胸の鼓動は一気に高鳴った。額に汗が滲む者、握りしめた手が震える者もいた。しかし、誰も目を逸らすことはない。全員の目が真剣に前方のスクリーンと操縦桿を見据えていた。
船内での役割は明確だ——
リク:船長役。全体の指揮を執り、判断を下す責任を背負う。
サナ:副操縦士。リクを支え、操縦補佐として冷静に対応。
ユウマ:推進制御担当。バリアの安定化と出力調整を任される。
ミカ:生命維持担当。船内環境を管理し、酸素・圧力・温度を調整。
アオト:ナビゲーションとAI補助連携。計算と演算で航路を確保する。
互いの役割が確認されると、ブリッジ内には緊張感が張り詰めた空気が流れる。
「出力、50%……安定しています!」ユウマの声が震えながらも確かに届く。
「航路計算、完了。揺らぎ値、許容範囲」アオトの声は冷静だが、指先が微かに震えている。
リクは深く息を吸った。胸の奥で鼓動が跳ね、全身に血が駆け巡るのを感じる。仲間たちの顔が視界に浮かぶ。ユウマの豪快な笑み、ミカの小さな背中、アオトの冷静な瞳、そしてサナの不安げながらも強いまなざし。彼らを信じることで、初めて自分も恐怖に抗える。
「行くぞ……第7班、ワープ開始!」
リクの声がブリッジに響き、瞬間、船体を包む光が鋭く輝いた。空間が歪み、景色が溶けるように消えていく。五人の目の前で、宇宙の法則がねじれる——ワープの始まりだった。
だが、次の瞬間、船体が激しく揺れた。
「出力が乱れてる! このままじゃ船が崩壊する!」ユウマの叫びが響く。
「酸素濃度が急低下! 環境システムに異常!」ミカの声も震える。
揺れる船内、モニターの赤い警告灯が点滅する。心臓が破裂しそうなほど早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。五人はそれぞれの任務を必死にこなしながらも、内心では恐怖と不安に押し潰されそうになっていた。
リクは仲間を見回す。目が合うたび、心の中で問いかける。
「……信じるんだ、みんなの力を」
ユウマは制御棒を叩き、荒れる出力を必死で補正する。
アオトは即座に新しい数式を投影し、航路を再計算する。
「右舷のフィールドを0.3度傾けろ!」
「了解!」リクとサナが操縦桿を握り直し、ミカは環境システムのパラメータを調整する。
船体を覆う光が徐々に安定し、空間がねじれる感覚はより滑らかになった。五人の息が揃い、まるで一つの心臓のように鼓動を合わせる。
そして――瞬間。窓の外に広がるのは、紺碧の宇宙。そして、その中で青く輝く地球、灰色の月が並んで浮かんでいた。光景はあまりに鮮明で、胸が熱くなる。
「……成功したのか……?」
静寂の後、ブリッジ内は歓声に包まれた。
「やったぁぁぁぁぁ!」ユウマが拳を突き上げ、飛び上がる。
ミカはこぼれ落ちる涙を手で拭いながら、震える声でつぶやく。
「本当に……私たちで成功できたんだ……」
リクは深く息を吐き、仲間の顔を順に見渡した。
「俺たちは……もう、本物のクルーだ」
訓練後、宿舎に戻った第7班は屋上に集まり、夜空の星を見上げていた。宇宙の深淵が、目の前に広がる舞台となる。
「心理試練で見た自分の影も……もう、怖くないな」ユウマが笑う。
「うん……だって、隣に仲間がいるから」ミカが静かに微笑む。
アオトも珍しく口元に笑みを浮かべた。
「これからも、僕たちは互いを補い合える」
リクとサナは目を合わせ、互いに頷いた。
夜空に瞬く星々はもはや遠い憧れではない。今や、それは彼らが踏み出すべき未来への舞台であり、共に歩む道標となって光っていた。




