第1話「奇襲」
境界地域の荒野に、朝霧が立ち込めていた。
薄暗い霧の中を、12名の兵士が静かに前進する。テクノス連邦軍第7偵察部隊。全員が軽装備で、足音を殺しながら慎重に移動していた。
軽装備といっても少数であれば十分に対応できる高威力の武装だ。
偵察という最前線に出つつも何十回と任務を遂行してきた部隊にとって必要十分な装備だ。
「全員、警戒を怠るな」
隊長の田村が小声で指示を出した。35歳のベテラン軍人。日焼けした顔に刻まれた皺は、数々の戦場を生き抜いてきた証拠だった。
「今日の任務は簡単な偵察だ。敵の動向を探って帰還する。余計な戦闘にならないように気をつけろ」
部隊の後方で、13歳の黒田仁は無表情に田村の言葉を聞いていた。
戦争孤児として軍に拾われ、2年間様々な戦場を転戦してきた。
13歳とは思えない冷静さで戦況を分析し、的確な判断を下せる少年。だが戦場という死地で感情を表に出す余裕などない。
「仁、お前は後方支援だ。前に出るなよ」
佐藤が振り返って声をかけた。19歳の先輩兵士で、仁のことを本当の弟のように可愛がっている。両親を失った仁にとって、数少ない心の支えだった。
「分かってます、佐藤先輩」
仁は短く答えた。いつものように感情を押し殺した声。でも、佐藤への信頼は言葉の端々に滲んでいた。
「相変わらず堅いな」佐藤が苦笑する。「たまにはガキらしく笑ってもいいんだぞ?」
「戦場で笑う余裕なんかないですよ」
「そう言うなって。戦争が終わったら、俺がお前を故郷に連れて行ってやる。綺麗な海があってな、魚が美味いんだ」
佐藤の故郷話を聞きながら、仁は少しだけ表情を和らげた。戦争が終わったら、か。そんな日が本当に来るのだろうか。
部隊は霧の中を1時間ほど進んだ。目標地点まであと少し。いつもと変わらず順調な偵察任務…
…のはずだった。
霧の中だというのに巨大な影が動く。
「敵影っ…」
先頭を歩いていた兵士が小声で伝えつつ全員に身を屈めるように指示する。
目標地点にはあとわずかであったが敵の予想位置から考えると随分と手前のポイントでの接敵だ。
予想外の状況だが部隊は冷静さを保つ。
隊長の田村は即座に後退のジェスチャーをし音を殺しながらゆっくりと後退する。
武装はあるとは言え敵の数は未知数だ。
6機ぐらいであれば先制攻撃で何とかなるだろう。
だがそれを超えれば対応は難しい。
息を、足音を殺しながら後退するも嫌な機械の駆動音が聞こえる。
先に気づかれたら殺される。
全員がその緊張感を持っている…が突如閃光が走った。
破裂音と同時に部隊の先頭を歩いていた兵士を何かが貫いた。
今まで機械の音だけしか聞こえなかったこの場所の静寂さは破られた。
霧がかっている向こうから現れたのは、冷徹な金属の塊が整列していたのであった。
「AI軍!」
田村の声が戦場に響いた。
十数体のAI兵士が、完璧な陣形で部隊を包囲していた。人間の2倍はある巨体、黒くどこを見ているかわからない単眼、感情のかけらもない機械的な動き。殺戮のためだけに設計された兵器。
AI軍のリーダー機と思われるの単眼が赤く明滅した。
機能として必要なのか分からない光は恐怖のどん底に突き落とす恐怖の演出には十分すぎた。
一斉に統率の取れた動きで機械たちが動き始める。
「散開!各自戦闘態勢!!」
田村の指揮の下、部隊は恐怖を押し殺し応戦を開始した。AI軍に対抗するために開発された特殊弾頭が放たれる。
しかし、圧倒的な戦力差と物量差は明らかだった。
AI軍の攻撃は正確で冷酷だった。人間の動きを完璧に予測し、最も効率的な方法で排除していく。
必要十分な装備だったとはいえ敵は十数体。味方はもう数名しか残っていない。圧倒的な数と力の差。
仲間が次々と倒れていく光景を、仁は応戦しながら冷静に見つめていた。
叫びたくなる感情を殺して、状況を分析する。敵の数、武装、配置、攻撃パターン。
「…逃げれない」
仁の口から、小さく言葉が漏れた。圧倒的な戦力差。このままでは部隊が全滅する。
「仁!こっちだ!」
佐藤が仁の腕を掴んで引き寄せた。AI兵士のレーザーが仁のいた場所を焼いていく。
霧の中で視界は悪いが死角になる位置に二人で身を寄せ合う。
「ありがとうございます」
「礼はいらん!お前だけでも生き延びろ!」
佐藤は語尾は強かったが明らかに様子がおかしい。
おそらくどこか負傷しているのだろう。
それでも佐藤が仁を庇いながら撃ち続け、AI兵士を倒す…が数があまりにも多すぎた。
「くそ!」
佐藤の弾倉が空になった。リロードしている隙を、AI兵士は見逃さなかった。
接近され佐藤の胸を機械の腕が貫いた。
「佐藤先輩っ!!!!!」
仁の叫び声が戦場に響いた。感情を抑えていた仁が、初めて戦場で感情を露わにした瞬間だった。
しかし、佐藤の優しい笑顔が、一瞬だけ仁に向けられた。
「仁...生きろよ」
それが、佐藤の最後の言葉だった。
目の前の惨劇に仁は頭の中が真っ白になった。
周りでは辛うじて戦闘が続いているが一人また一人と心無い攻撃に命の灯が消えていく。
「仁!危ない!」
交戦していた田村隊長の叫び声が響いたが、間に合わなかった。
赤い光線が仁の左肩から脇腹にかけて掠め、激痛と共に血が噴き出した。
「いっああぁっああああぁぁぁぁああああ!!!!!!」
仁は経験したことのない激痛に倒れ込んだ。意識が朦朧とし、視界が霞んでいく。血が地面に広がり、体温が急速に奪われていく。
生き残りは、田村隊長ともう一人の兵士だけ。そして瀕死の仁。
仁の意識が薄れていく中で、怒りに震えていた。
『ザケんなぁああああ!!!!!』
唇はもう動かず胸の奥で、怒りと絶望が混じり合った、これまで感じたことのない禍々しい感情が彼を支配した。
左肩から脇腹にかけて裂けた傷から、生温かい血が絶え間なく流れ出している。霧に湿った地面が、仁の血で赤黒く染まっていく。
視界がぼやけて、耳鳴りが止まらない。でも、戦場の音だけははっきりと聞こえていた。
銃声。爆発音。そして仲間たちの断末魔。
断末魔が聞こえるほど部隊はそもそも残っていない。幻聴であろうが仁の耳にははっきりと聞こえていた。
「ああ...あ...」
仁は起き上がろうとしたが、肩が抉れて力が入らない。出血がひどすぎる。
追撃されなくとも、自分の命が尽きるのは目に見えている。
目の前では、田村隊長ともう一人の兵士が必死に応戦していた。しかし、AI兵士の数は減るどころか、霧の向こうからさらに増援が現れている。
『隊長...!!!』
仁は声を出そうとしたが、かすれた呻き息しか出なかった。
田村隊長の軍服からも血が流れている。
いくら歴戦の猛者と言えども、この数をひっくり返す手段など持ち合わせていなかった。
相手は電波も感知するため通信機も持っていない。この危険な状況を誰にも伝えることも出来ずに全滅するの時間が刻一刻と迫っている。
隊長が何か叫んでいるが痛みで聴きとる事も、視界も霞んで見えない。
銃弾がもう一人の兵士を貫き、残ったのは田村隊長のみであった。
一人でAI兵を倒しては逃げ隠れはするも限界だった。
光線が田村隊長の胸を貫いた瞬間、仁の心の中で何かが決定的に壊れた。
視界がぼやけているはずなのに。考える余裕もないはずなのに。
状況は嫌というほど理解出来た。
追い打ちの銃撃を受け、田村隊長は地面に沈んだ。
戦場に響くのは、AI兵士たちの機械的な駆動音だけ。12名の部隊で生きているのは、瀕死の仁だけになった。
周りを索敵して生き残りがいないか探しているのだろう。
自分が死角にいるだけで、とどめを刺されるのも時間の問題だ。
まして自分にはもう追撃が無くとも命が尽きるのを待っているに過ぎない。
AI兵士たちがゆっくりと仁に近づいてくる。
機械の動く不気味な音と足音が、死刑へのカウントダウンのように徐々に近づいてくる。
「許さない...」
佐藤先輩の笑顔。田村隊長の背中。仲間たちの最後の瞬間が、次々と仁の脳裏を駆け巡る。
「絶対に...許さない...」
仁の瞳に、今まで見たことのない黒い光が宿った。深い憎悪と絶望が混じり合った、深く深い深淵の光。
「死んでも...絶対に...!!許さない!!!!」
その瞬間、辺りの霧が黒く染まり始める。
彼の絶望が一面を覆いつくすように。
叫ぶ体力など無いはずなのにケダモノのような咆哮が漏れ出す。
仁の絶叫と共に、黒い霧が仁の体からも溢れ出る。
それは魔法だった。
しかし、治癒や防御といった穏やかなものではない。ただただ彼の怒りが生み出した、純粋な破壊魔法。
黒い霧は瞬く間に戦場全体を覆い尽くした。
霧に触れたものは全て削り取られて黒い砂へ、霧へと姿を変えていく。草は跡形もなく、岩は削がれ、大地は黒く彼の絶望の深さを表すように。
仲間の死体も跡形もなく黒く消えていったのだ。
感情が無いはずのAI兵士たちでさえ、この異常な現象に動揺しているように見える。
統制を保ったまま即座に撤退をしようとするも、そもそもの彼の怒りの対象はAI兵だ。
黒い霧はあっという間に金属製の装甲を削ぎ、最新のAI兵が持つ軍事技術すら、この絶望の魔法の前では無力だった。
あれほど居たはずのAI兵は一機たりとも残ることはできず周辺は黒く染まりあがった。
怒り、憎悪、絶望、悲しみ。全ての負の感情が魔力となって暴走し、周囲一帯を破壊し続ける。
仁の魔法は制御できていなかった。
半径500メートルはあろうかと思われる土地が完全な黒い焦土と化した。
金属片すら残らずただの黒い砂になったのだ。
「なんだよ...これ...」
仁は自分の手を見つめた。まだ黒い霧がうっすらと立ち上っている。
しかし、その代償は大きかった。
慣れない魔力の使用と重傷の相乗効果で、仁の体は限界を超えていた。
魔力を使い果たした体は、もはや意識すら保つ事ができない。
意識が薄れていく中で、仁は己の行為に、自分に絶望していた。
自分が使ったこれは何なのか。
そして、この制御不可能な破壊力。
これは本当に自分なのか。人間なのか。それとも...
血の海に沈む意識の中で、遠くから美しい鈴のような声が聞こえてきた。
暖かくて、優しい声。
『大丈夫や...もう大丈夫やで...』
現れたのは半透明の女性だった。
自分の記憶にない亡くなった親戚が迎えに来たのだろうか...。
そう思った時に仁の意識は途切れたのであった。