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第2話 英国からやってきた転校生

 修道院学園高校。それがぼくの通う学校だ。


 カトリック系のこの高校は、創立一二〇年を超える由緒ある高校だ。

 戦時下では校舎は甚大な被害を受けたらしいのだけど、戦後に改修を幾度か繰り返しながら、西洋風の趣ある建築を残している。

 二つのグラウンドにテニスコート、一年生から三年生はそれぞれ別々の棟に教室があって、特別科目棟がまた別に一つ建っている。


 それらの建築物は二列に、一年生棟と二年生棟、三年生棟と特別科目棟といった具合に並んでいて、この二列の棟の間に、大きな中庭がある。なにせ敷地が広いので、校門から学校に入ってもしばらく歩くのだけれど、その時間がいつも、ぼくにとってはこそばゆいのだ。


「おっす。今日も仲いいな」

「おはよう」


 同じクラスの男子生徒に挨拶を返した。今日も仲いいな、には触れないこととする。


 耶衣子ちゃんとは家が近くだし、別に意識してそうしているわけではないのだけれど、気が付くと一緒に通学している。それを仲が良いと称するのなら、否定のしようがないから、ぼくは何も言わない。

 というか、言っても逆効果なのだ。


「耶衣子ちゃん、もう腕、いいから」


 相変わらず、耶衣子ちゃんはぼくの腕を握ったまま離していなかった。


「迷子になるといけない」


 振り向かないままに、耶衣子ちゃんは言った。

 それは流石に過保護というものだ。いくら敷地が広いからって、もう流石に地理は把握できている。


「照れんなって。南は心配なんだろ、比米島のこと。じゃ、先行くから」


 先を行く生徒に向けて、顔に笑顔を張りつけたぼくはまた、お腹がずしりと重たくなった。

 食道を通るにはあまりにも大きくて、あまりにも重いものが突然そこに湧いてきたようで、お腹だけではなく身体までその重さを拒否し始める。


 耶衣子ちゃんは、それでもお構いなしにぼくを引っ張った。

 あたりまえだろう。ぼくのことは、ぼくが口にしない限り、ぼくにしか分からないのだ。


 他の生徒たちからも似たような言葉をいつものように何度か浴びて、その度にぼくは繕ったように笑った。


 彼ら彼女らに、悪気はないのだ。しかし、皆よく飽きないなあと、ぼくは反対に呆れてしまう。かける言葉が見つから無いという事の裏返しなのかもしれない。


 二年F組の教室に辿り着くと、一番後ろの窓際の席まで耶衣子ちゃんはすたすたと歩いた。そこで、ようやくぼくは解放された。


「とうちゃく」

「あ、ありがとう」


 耶衣子ちゃんは、心なしか満足げに見えた。感情がほとんど表情に現れないから、たぶんそうだろう、というぼくの勘に過ぎないのだけど。


 ぼくの席は、耶衣子ちゃんのすぐ目の前だ。

 席に着くと、ぼくは無意識に息を吐いた。登校しただけで、ぼくはどっと疲れていた。


 それでも、ぼくは少しでも勉強を進めなくちゃいけないから、いつものように行李(こうり)先生から借りた教科書を広げた。

 連休を使ったおかげで随分進めることができたけれど、それでもまだまだ時間は足りていない。高校の科目数は多いから、大変だ。


 数学の問題とにらめっこしていたところで、行李先生が教室に入ってきた。


「ほら、席つけ!ホームルーム始めるぞ!」


 よく通る声で、行李先生は言った。御舟行李(みふねこうり)


 担当科目は数学で、歳は二十代と若いけれど、ハキハキとしていて男子より女子に人気の高い女性教師だ。ぼくも、数学ではよくお世話になっている。

 数学だけではなくて、他の科目の教科書を集めて貸してくれたのも、行李先生だ。


 クラスの生徒たちは雑談を切り上げて、めいめい着席した。

 行李先生はその様子を見渡してから、


「さて、とは言ったがホームルームを始める前にやることが有る。いいぞ、入ってこい」


 そう言って、廊下に向かって呼びかけた。

 行李先生の声に応じるようにして、扉が開く。


「あっ」


 入ってきた転校生を見てぼくはひとり、教室の片隅で変な呻き声を出したのだけれど、それに気が付いた人はいなかったに違いない。


 皆はそれどころではなくて、むしろ皆こそ、わぁ、とか、ほぅ、みたいな感嘆符を思い思いに漏らしていて、それなりのざわめきだったからだ。


 その転校生は、流れるように無駄のない歩き方で、教卓の前に立った。


「コルネオーリ・ハワードです」


 ターコイズブルーの瞳、筋のよく通った目鼻立ち。まるで西洋人形のようだったけれど、ブロンドの長い髪は後ろで一つに束ねられていた。


 よく似ている。でも彼女は、彼ではない。


 制服はスカートではなくてズボンだし、なによりその中性的で男子にしては高い声は、彼女の声とは違っている。それに幾分、彼の日本語は流暢に聞こえた。


 さっきぼくは、ぼくの驚嘆には誰も気が付かなかったと思ったんだけれど、どうやらそれは勘違いだった。

 ただひとり、この教室の中にあって、ぼくの声はその人の注目を集めたようだった。


 ――コルネオーリ君が、美しい浜辺を思わす蒼い瞳で、ぼくをじっと見ていたからだ。

 

 ぼくはその瞳が、なにかぼくを糾弾しているように見えて、すぐに目を逸らしてしまった。


 傍らの行李先生は、なんだそれだけか、と言いたげな目でコルネオーリ君をしばし見たあと、話を引きとることにしたらしい。教室のざわめきに被せるように、行李先生は声を張って話を続けた。


「イギリスから来たコルネオーリだ。ご両親の都合で日本に来た。月並みな言葉だが、皆で仲良くしてくれ。席は……すまん、用意を忘れていた。教材準備室に空き机があるから、委員長、頼む。配置はそうだな、南の横に置いてくれ」


 行李先生は、てきぱき指示を飛ばしてホームルームが終わった。


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