第六十一話 勇者と白魔法使いの憂い
「ルーク、店番ありがとう。」
オフィーリアは、うんと伸びをして疲れた様子で椅子に座った。オフィーリアとルークの二人は、手芸店のカウンターにいた。
彼女の隣でルークはドレスに刺繍を刺している。ふわふわのシフォン生地に慎重に針を刺しながらルークは、手を止めずに口だけを動かすと「フィーも、お疲れさま。」と応えた。
オフィーリアは、頬杖をつきながら真剣な表情で作業をしているルークをしばらく眺めていた。
オフィーリアの視線に気がついたルークは、作業していた手を止めてオフィーリアと目を合わせた。
「フィー、どうしたの? 疲れた?」と眉尻を下げて尋ねた。
「ううん。大丈夫。今日も、たっぷり食糧を調達できたわ。――それに、魔物の痕跡もちゃんと確認してきたの。やっぱり、ノエルが言うように、あの蜘蛛、お城からの抜け穴を塞いで回っているみたいね――。
お城を全部塞いじゃうって、そのことが気になって――。
それに、ワーデンさんがお城のどこに閉じ込められているのかも結局わからなかったし、ワーデンさんも閉じ込められちゃうのよね。でも、ワーデンさんが無事だってわかったのは、良かったわよね。」
オフィーリアは、暗い表情でそう言い終えた。ルークは、ただ小さく頷くだけだった。
ルークが作業をする針の音だけが店内を支配した――。
――カラン
重苦しい静寂を破り、店の扉が開かれた。
「あら、今日は二人で店番? いいじゃない、長年連れ添った老夫婦みたいに馴染んでるわよ。ルークのその眉間の皺、頑固じじいって感じ――」
シンシアが野太い声でそう言いながら店内に入って来た。彼は、濃い紫色のオフショルダードレスを纏っていた。手には、黒い扇子を持っている。
「――老夫婦って、シンシア、どういうことだよ。」
ルークは、眉間に皺を寄せたまま答えた。オフィーリアは、ルークの不満をよそに、にんまりと白い歯を見せた。カウンターから身を乗り出しながらシンシアを歓迎し、いらっしゃい、久しぶりと言う。
シンシアは、オフィーリアに柔らかい笑みを返した。店内をしみじみと見渡しながら、
「ほんと、久しぶりよね。――最近色々あり過ぎて、貴方達にも先週会ったばかりなのに、なんだが数年ぶりくらいの懐かしさがあるわ。」
悩まし気に腕を組んだシンシアは、「最近、貴族街が不気味なほど静かになったと思ったら、今度は、ギルドの依頼が増えて、――もう大変よ。」
「貴族からの依頼がなくなったの?」
オフィーリアは、心配そうに尋ねた。ルークもシンシアを見つめている。
「そうよ、今は、一件もないわ。ほらこの間、急に城が騒がしくなったでしょ? リアが、山で蜘蛛を見たあたりからよ。あれから一週間は経つわね。実はね、それと同じ時期に、城に帝国の王族関係者がなだれ込んできたらしいのよ。
だから島の貴族たちは、婚約破棄だ、不貞だ、調査だなんて言ってる余裕はないみたいね。」
オフィーリアは、シンシアの言葉を聞いて俯いた。ちらりとルークを盗み見る。ルークは、ドレスを握りしめながら黙々と針を刺していた。
二人の様子を見たシンシアは、
「――ま、でも、こういう小難しいことは私たちに任せて、貴方たちは、まったりと店番をしてなさいな。」
そう言うとシンシアは、カウンター越しにオフィーリアの頭を撫でた。いつもと違い、複雑そうな表情で曖昧に頷くオフィーリア。ルークも暗い表情をしながらただ黙って作業を続けている。
シンシアは、悲しそうな表情で二人を眺めると、ゆっくりと口を開いた。
「――大丈夫だよ。リアは、今日も、アーチャーと山の見回りに行ったんだろ? 孤児院の子どもたちの世話もしているって聞いたし、ルークも、子どもたちの為に、毎日大量の回復薬を作っているんだろう? リチャード先生、助かるって喜んでたぞ。
お前らのおかげでノエルも動けるようになって、リチャード先生に協力しているっていうし――。あんまり気負うな。お前らは、十分すぎるほどやってくれてる。
城のことも、リアムだって、島の貴族らだって動ける奴らはちゃんと動いて城の奴らを牽制しているようだし。そっちは、彼らに任せるしかない。
――だから、お前らは、このままで十分いいんだよ。余計なこと言って心配させちまったな、すまん。」
ごめんなと言いながら、ぽんぽんと頭を撫で続けていたシンシアに、オフィーリアは、うんと静かに頷いた。隣で、ルークも小さく頷く。
しばらくの沈黙の後、シンシアは、あっ、と、思い立ったようにいたずらな笑みを浮かべた。
「――そういえば、リア、お前、初キスをあの黒魔法使いに奪われたんだってな。」
聞いたぞ? と今度は、嬉しそうに腕を組みながらシンシアは、オフィーリアを眺めた。
オフィーリアは、顔を真っ赤にしながらえ? なんで? と呟いた。
「う、そ、だろ? フィー! はっ! もしかして、あの時、あのエルザの家に泊まるって帰ってこなかったときか? もしかして、その時、イーサンと一緒に――。フィー!!」
混乱状態で、捲し立てるルークにシンシアは苦笑しながら、
「なんだ、お前、混乱しすぎて、もうキスなんだか、泊ったんだかわけわからなくなってるが、まあ、いい。これで、いい。」
納得した様子のシンシアは、困った表情をしているオフィーリアに片目を瞑って見せた。
それから、颯爽と踵を返すとひらひらと扇子を振りながら、「ルーク、知ってるか? 世の殿方はな、令嬢が誰かにキスをされたりするとそれを上書きして帳消しにするらしい――。」
「上書き――。」難しい表情で思案しているルークを視界の端で捉えながらシンシアは、小さく微笑んだ。
「シンシアありがとう!! 僕! 上書き頑張るよ!」
「頑張らないで!!! もう、シンシア! 酷い! 秘密って言ったのに!!」
二人の声を背中に受けながら、シンシアは嬉しそうに微笑んだ。




