第四十六話 勇者と羽根男、最後の逢瀬
「フィリア、俺の手を――」
「聞いたことがある、――いいえ、言ったことがある台詞ね。イーサン、また私のことを監視していたの?」
オフィーリアは、まったくと息を吐き腕を組んだ。
オフィーリアは、白い丸襟がついた濃紺色のワンピースを着ている。彼女の飴色の髪は、頭の高い位置で一括りにされていた。
「ククク。――フィリア、今日は、お貴族様じゃないんだね。ピンクのふわふわとかは、もういいの? それに君、僕と貴族街にいた時は、いつも小洒落た雰囲気を作っていたじゃない? 『もう、どういうことなの? ぷり』とか、『いやになっちゃうわ。ぷくり』とか。」
イーサンは、胸の前で両手を握りしめてオフィーリアを真似てみせた。
オフィーリアから胡乱な眼差しを向けられているイーサンは、彼女が用意した平民服をさらりと着こなしている。
「平民街では、いつも通りで大丈夫だもの。誰にも貴族じゃないって、マナーがなってないわって怒られないしね。フィーのままでいいのよ。ここでは、マダムっぽくしなくていいの。」
「――フィーね。」
「なによ。」
「いや、フィリア、それよりもさ、マダムっぽくってのが、君のご令嬢のイメージだったとはね。」
いつもと違い無邪気に笑うイーサンの姿にオフィーリアは思わず目を逸らした。頬をぷくりと膨らませる。
「と、とにかく、私は、平民オフィーリアよ。今日は平民イーサンと町巡りするって契約じゃないの。」
どこに行くのよと、横目でイーサンを見遣るオフィーリアに、イーサンは柔らかい笑みを見せてゆっくりと彼女に手を差し出した――。
「――ここさ、定番なんだろう? 串焼き肉。」
いたずらな笑みを浮かべたイーサンは、オフィーリアの手を引いて食堂の扉を開けた。
「おじさん、串焼き肉二つある?」
「はいよ。串焼き肉二本ね。」
厨房の奥からから店主の声が聞こえ、すぐに串焼き肉を手にした店主が顔を出した。二人を見つけて、お。と小さく呟いた店主は、それからニヤリと口角を上げた。
「――リアちゃん、久しぶりだね。あのお嬢さんは大丈夫だった? この間はごめんね。やっと王女様が大人しくなってね――。もうすっかり平常運転だから、またいつでも彼女連れて来てよ。
隣の兄ちゃんは――、初めて見るね。リアちゃんのお友達かい? リアちゃん、人気者だから兄ちゃんも頑張れよ。」
違うのよと抗議するオフィーリアに、店主は、まあまあと言って眉尻を下げた。苦笑している店主の手元の串焼き肉は、グリルの上でその色を徐々に変えていった。
イーサンは、オフィーリアの後ろでクククと楽しそうな笑顔を見せている。
「――ほら、あっつあつの串焼き肉! 今日は特別に俺のおごりだ、二人ともたくさん食べな。」
出来上がったぞ、と店主が差し出した串焼き肉からは、香ばしい香りが漂っていた。
湯気立つ串焼き肉に目を輝かせたオフィーリアは、すぐさま機嫌を直して、ありがとう! と満面の笑みを浮かべた。
「はい、イーサン」
オフィーリアは、店主からもらった串焼き肉を一つ、ずいっとイーサンの目の前に差し出した。
イーサンが串焼き肉を受け取ると、オフィーリアは自身が握りしめていた串焼き肉をうっとりとした表情で眺め、
「はぁー、ひっさしぶりの熱々串焼き。これ、ほんっとうに美味しいのよ。外はカリカリなのに、中は柔らかくって、肉汁がじゅわぁって――。」
言い終わる前に大きな口を開けた彼女は、口いっぱいに肉を頬張った。
「はっ。ふはっ。うん、うまっ。いーひゃんも。はっ。はやふっ、たべ――。」
「ククク、フィリア、君は本当に――。それじゃあ、僕も頂こうかな、おじさん、ありがとう」
はにかみながら礼を言ったイーサンに、食堂の店主は、おうと短く応えた。
美味しいねと幸せそうにして肉を食べている二人に、店主は白い歯を見せてニカっと笑い
「まあ、とにかく腹いっぱい食べろ。お前たちこれからここらで遊ぶんだろう? せっかくだから、楽しんでけ。」
ルークが、またうるさそうだから、お前たちのことは内緒にしとくわ。振り返りながらそう言って店主は、手をひらひらと振りながら奥の厨房へと入っていった。
「――次は、どうするの?」
串焼き肉を食べ終えて食堂を出たオフィーリアはイーサンに尋ねた。
イーサンは、また、ニヤリと笑みを浮かべてオフィーリアの手を取った――。
「――ここだよ。ここで君にネックレスをプレゼントしたいんだ。」
手を握り合っていた二人の目の前には、雑貨屋さんがあった。
「ごめんください」
イーサンは、戸惑うオフィーリアの手を握りしめたまま店内に入った。
「いらっしゃい、リアちゃん、久しぶり。この間はごめんね。王女様のこと、ひと段落したからもう急に休むこともないわ。またいつでも遊びに来て。」
色気のある笑みを浮かべながらおっとりとした口調でそう言ったマリアは、オフィーリアの隣に立っているイーサンに視線を移した。
「あら、リアちゃん、今日は、ずいぶんと男前の――、リアちゃんの新しいボーイフレンド? ルークはもう飽きちゃったの?」
リアちゃんも隅に置けないわね。そう言ってマリアは、頬杖をついた。嬉しそうに目を細めて微笑んでいる。
「――マリアさんまで、もう。今日は、この人に町を案内しているだけよ。ギルドにきた依頼をこなしているだけなの。マリアさんの雑貨屋さんは、町一番のおしゃれなお店だから、案内しているのよ。」
頬を膨らませながら早く行きましょうとオフィーリアは、イーサンを連れて店の奥へと入っていった。
「――へぇ。結構いろいろなものが揃っているんだね。フィリアは、どんなネックレスがいいの?」
イーサンは、台に綺麗に並べられているネックレスをひとつひとつ眺めながらオフィーリアに尋ねた。
「わ、わたし、あんまりネックレスとか、つけたことがないのよ。こういうのは、イーサンの方が得意でしょ?」
オフィーリアは、横目でちらりとイーサンを見遣った。イーサンは、ネックレスから目を離さずにふっと笑みを零した。
「まあ、羽根男としては? こういうのを選ぶのも得意なんだろうけど――、僕もねえ。初めてなんだよね。こういうの。」
イーサンは、言いながら一つのネックレスを手に取った。
「これなんかは、どうかな。」
彼が手にしたのは、ペンダントネックレスだった。彼がオフィーリアの目の前まで掲げてみせたそのペンダントトップには、緑色の小さな宝石が輝いていた――。
「――とっても似合っているよ。フィリア。」
オフィーリアの首元に視線を落としたイーサンが、新緑色の目を細めて嬉しそうにしている。マリアの雑貨店を出た二人は、空き地のベンチに座っていた。
「今日は、猫たちはいないみたいだね。」
イーサンは、今日何度目とも知れない笑みを浮かべながら言った。
「もう、本当に、どこまで私のことを知っているのよ。テッドがいたら貴方も危険人物に認定されているわよ」
オフィーリアは、ツンと顔を背けた。
「いいんじゃない? だって、僕、危険な羽根男だよ。君の忠犬、ロイドすら敵わない腹黒だし、今更どんな認定されたって、痛くもかゆくもないよ」
イーサンは言いながら天を仰いだ。オフィーリアは、イーサンに視線を戻すと、泣きそうな表情を見せてから俯いた。膝の腕で拳を握りしめている。
沈黙が流れる
――聞きたいことがあるんだろう?
イーサンは、オフィーリアの頬に両手を添えた。俯いていたオフィーリアとイーサンの視線が交わる。オフィーリアの目には涙が溜まっていた。
「ワーデンのことでしょ? 今日ずっと、気にしていたよね。いつ聞こうかって迷ってた。――正直、僕、彼のことなんか、貴族なんてどうなってもいいし、興味もない。――最後くらいは、僕のことだけを考えて欲しかった。」
オフィーリアの目の前に大きな影が差した――。
「ハハ、フィリア、串焼き肉の味だね。最後に串焼き肉か。いいね。君は、最後まで――、君らしいな。――ワーデンは、生きているよ。彼は、王弟でいる限り死なない。ノエルも――、ずっと気になっていたんだろう? 彼のことは、僕が命に変えても守るから大丈夫。だから、君は、今のままで、思い通りに突き進めばいい――。」
――じゃあね。
光を取り戻したオフィーリアが、慌てて見渡した空き地には、もう誰の姿もなかった。
「イーサン――」
彼女の掠れた声は、誰の耳にも届かなかった。




