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第四十一話 町娘エルザと勇者の休日

「エル、私の手を――」


 低く渋みのありそうな声を絞り出したオフィーリアは、満面の笑みで手を差し出した。


「ちょっと、貴方、本当に貴方と手を繋がなくてはならないの?」


 エルザは、戸惑いながら尋ねた。もちろん、と言われたエルザの手は、すでにがっちりとオフィーリアに握られている。


 オフィーリアとエルザは、港近くの広場に来ていた。


 手芸店から大通りを下った先にあるこの広場には、大きな噴水があり、それを囲うようにしてたくさんの商店が立ち並んでいた。噴水の向こう側には、この島唯一の港がその顔を覗かせている。


「貴方の相手をするって、ただ一緒に友人のように接するのでしょう? この服装はどうして――」


 マダムクロッシェの提案で一緒に過ごすことになった二人は、それぞれ服を着替えていた。


 エルザは、自身が着ている淡い青色のワンピースをそっと摘まみ上げた。綿素材のワンピースは、シンプルな作りであったが、エルザが普段着ているドレスとは全く異なる可愛らしいデザインのものであった。


「それに、貴方のその恰好......」


 エルザは、笑顔全開のオフィーリアを眺めて眉を顰めた。


 オフィーリアは、焦げ茶色のジレとトラウザーを身に着けている。ジレから伸びるすこし大きめの麻の長袖は、彼女の腕の長さにあわせるために幾重にも折り曲げられていた。彼女の髪の毛は纏められ帽子の中にすっぽりと隠されている。


「私は、変装中の王子様よ。これはね、私と貴方のお忍びの休日という設定なのよ。エルは、『幸薄王子の諦められない恋心』って小説読んだことある? その小説で王子様は、自分の好きな令嬢を市井に誘うのよ。二人で平民の恰好をして、お忍びで逢瀬を楽しむの。」


「その小説の設定で、私と貴方がこの格好をしているの? それが、あの占い師がやれって言ったことなの? それで――、これから一体何をするのよ。」


 訝し気な表情でそう尋ねるエルザに、オフィーリアは、満面の笑みで答えた。


「なにって、それはもちろん、小説を再現するに決まっているじゃない! 小説で二人が忍んだのは、こういう広場だったのよ。私は、無理やり王子様だけど、貴方は完璧なお姫様だわ。だから、最高にリアルになるのよ! 完璧なの、だから、とにかく私に任せてちょうだい。今日一日、貴方と平民街(ここ)を回って、最高にリアルなひみつの逢瀬にして見せるわ!」


 まずは、定番いくわよ! 嬉しそうに片目を瞑って見せたオフィーリアは、それから勢いよく食堂を指さした。


 エルザは、オフィーリアの説明に理解できないといった表情を浮かべている。


「お忍び逢瀬の王道は、串焼き肉をはふはふ、ほふほふよ!!」


 エルザが戸惑うのをよそに、オフィーリアは、彼女の手を引っ張り駆け出した。


 息を切らせながら食堂にたどり着いたオフィーリアは、はちきれんばかりの笑顔で、「おじさん!! 串焼き肉二つちょうだい!」と、勢いよく店の扉を開いた――。




「――え? 串焼き肉、まだできていないの?」


 オフィーリアは、エルザの手を握りしめたまま、がっかりとした表情で店主に尋ねた。


「ああ、リアちゃん、ごめんよ。最近城からの要求が多くてね。どうしてもこっちの仕事がおくれっちまうんだ。いつもならもう串焼き肉が焼き上がっているんだが......今日は、これから焼かなくちゃいけねえ。しばらくしたらまた来てくれねえか。」


 ほんとすまんなと言って店主は、頭を掻いた――。




「ぐ、く、――リアルな逢瀬が......ぐ、ぐぬっ」


 串焼き肉が焼けるまでまだ相当な時間がかかると言われたオフィーリアは、噴水近くのベンチに座り悔しそうに拳を握りしめていた。


「ねぇ。貴方、もう諦めなさいよ。怒っても串焼き肉は出てこないわよ。それに、まだ、始まったばかりじゃないの」


 困り顔で慰めるエルザに、オフィーリアは頬をぷくりと膨らませた。


「でも、でも、まずは、串焼き肉ってことだったのよ。せっかく、はふはふするお姫様の顔を楽しみにしていたのに――。」


 あーあ、折角の計画が台無しだわ。と足をぶらぶらさせていじけているオフィーリアを見ながらエルザは、眉尻を下げて微笑んだ。


 港からの海風がエルザの艶やかな髪を揺らした。手芸店で服を着替えたエルザは、彼女がきつく結い上げていた髪も解いていた。


 エルザは、自身の髪の毛に指を絡めながらが柔らかい笑みを浮かべた。海風に揺れ続ける髪を愛おしそうに眺めると、それをゆっくりと耳にかけたエルザは、隣で落ち込んでいるオフィーリアに言った。


「貴方、さっきまであんなに楽しそうにしていたのに――、今は、世界が終わるくらいに絶望して。ただ、串焼き肉が準備出来ていなかっただけじゃないの。時間を空ければ、はふはふだっけ? それができるんでしょう? 私も串焼き肉ができたら、精一杯、はふはふ、ほふほふするから、ね、今は諦めて次の貴方がやりたかったことをやりましょう?」


 エルザは、子どもをあやすようにしてオフィーリアの頭を撫でた。


「でも、やっぱり――いや、うん、そうね。そうよね。永遠に、はふはふが出来なくなったわけではないものね。私、せっかく二日間だけお友達が出来て、完璧に一日目を過ごそうとしてしまって、つい、落ち込んでしまったわ。

ダメね。私、諦めが悪いっていつも怒られるのよ。初めてのはふはふが楽しみ過ぎたのよね。

でも......貴方が、エルが、完璧にはふはふしてくれるなら、今じゃなくても平気よ! 何時間だって待てるわ! じゃあ、次に進みましょう! 次は――お忍び贈り物交換よ!」


 オフィーリアは、エル、ありがとうと言って勢いよく立ち上がった。きらきらとその瞳を輝かせてオフィーリアは、エルザの手を引っ張り、再び大広場を駆け抜ける。




「――信じられない。なんで、今日に限ってお休みなのよ!」


 いつもは、やっているじゃないと、オフィーリアは、小さな店の前で叫び声をあげた。


「マリアさんの――、私が入れるおしゃれな雑貨屋は、ここしかないのよ! 平民街(ここ)王子様(わたし)とエルが、お揃いのブレスレットをほくほく選んで、うきゃきゃしながら買うっていうのを、ぜひ、なんとしても再現したかったのに! また、私の計画が!」


 地面に膝をつくようにして絶望の声を上げたオフィーリアに、隣の紅茶屋の店主が顔を出して気まずそうに告げた。


「リアちゃん、落ち着いてよ。マリアさん、今日は急にお城の王女様に呼ばれたんだよ。彼女、貴族街(あっち)とは違う伝手で大陸と取引をしているだろう、それに目を付けられてね。今日は仕方なく店を休んだんだ。勘弁してやって――。」



 それからも粘り強く何店もの店を巡ったオフィーリアたちだったが、王女が、王城がと言い訳をする店主に次々と計画を潰されいった。


「あんの! わがまま女―!!!!」


 計画がだめになるたびに上げたオフィーリアの雄たけびは、何度も商店街を駆け巡った――。


 陽も傾き始めた頃、オフィーリアは、疲れきった様子で路地裏に入った。エルザの手を握りしめたまま、呟くように言った。


「エル、本当は、ここ、最後に取っておきたかったんだけど......私たちの一日の最後に、とっておきの場所として、貴方を連れてきてあげたかったのだけれど、全部計画は、失敗しちゃって......結局、ここが最初になってしまったわ。」


 とぼとぼと歩いていたオフィーリアは、路地裏の空き地の前で止まると、ようやくエルザの手を離した。


 エルザの目の前の、ぽかりと開けた空き地には、沢山の猫たちが気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。

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