第四十話 悪役令嬢エルザの懺悔
「初めはね。政略ではなかったのよ。」
私も、あの人も、お互いに想っていたと思うわ。
エルザは、悲しそうにして俯いた――。
――横柄な態度で一方的に縁を切れと要求してきた女性は、自らをエルザと名乗った。バスティオン侯爵家の長子であるという。
『そこの平民! 早く縁を切りなさい!』
金切り声で騒ぎ立てたエルザは、オフィーリアとキースの制止も聞かずに扇子を振り回し暴れていた。
うるさいわね。何なのと不機嫌さを露わにしたマダムクロッシェがカーテンから顔を出すと、エルザはキッとマダムクロッシェを睨みつけた。
つかつかとマダムクロッシェのもとへと突き進み、エルザは、マダムクロッシェの鼻先に扇子を突き出した。
『貴方、私の縁を早く切りなさい! 命令よ!』
マダムクロッシェは、エルザの叫び声を煩わしそうにして振り払い、よろよろと立ち上がると、エルザの目の前に立った。
扇子に手をかけるや否やマダムクロッシェは、扇子をバキッと折って、それを床に叩きつけた。あっけにとられているエルザの手を取ったマダムクロッシェは、それから眠たそうにしながら、彼女の小指に口づけた。
顔を真っ赤にして混乱しているエルザにマダムクロッシェは、気怠そうな笑みを浮かべてエルザの耳もとで囁いた――。
「――マダム、エルザさんに何を言ったんだろうね。」
オフィーリアは、キースの耳もとで囁いた。キースは、オフィーリアに意地悪く口角を上げてみせ、片目を瞑った。
仕切りに使われていたカーテンは、すべて開け放たれていた。朝の光を浴びながら、エルザとマダムは対面している。
先ほどの勢いをすべて削がれたエルザは、自身の手を見つめながら話し続けた。
「私とブライアンは、気の合う幼馴染だったの。私たちの婚約が決まったのは、私たちが10歳の時よ。彼は、伯爵家の次男なの。婚約当時の彼の家は、とても勢いがあって、我が家とも相性の良い家柄だったから――、両親や周りも温かく見守ってくれて、私たちも、次第に、互いに惹かれ合う存在になったのよ。」
エルザは、眉尻を下げながら懐かしそうにして虚空を見上げた。
「二人でね、夜、抜け出したの。16歳の時よ。学園に入学する前日の夜、お互いに緊張して眠れなかったのよね。それで、私たち、お互いなんとなく庭に出て、彼の家は私の家の隣だから、彼、すぐに私を見つけて、『エルザも眠れないの?』って、それで、一緒に手を繋いで歩いたの。
しばらく歩いて、私の家の玄関までたどり着いて――、でもお互いに名残惜しくって、また庭に戻ったわ。もう一周しようって。
――あの時、私、彼と歩きながら、ずっと胸が締め付けられてて、苦しいんだけど、でも、その苦しさが、嬉しくて、幸せで、彼の手のぬくもりが、温かくって、でも、切なくて、夜風にあたりながら私、涙が出そうで――。
彼の事が、とっても好きだったの。」
エルザは、それから視線をテーブルに置かれている水晶に移した。
「学園でね。同じクラスになったのよ。ブライアンと――そして彼女とも。彼、私が婚約者だってちゃんと尊重してくれたのよ。周りの女性ともきちんと線引きしていて、彼女とも一定の距離を置いてくれた。友人以上の触れ合いは、なかったわ。
でもね。私、彼の目を見てわかっちゃったのよ。
ああ、ブライアンは、ミラの事が好きなのね。って、誰にもわからなくても、私にはわかっちゃったのよ。
そして、最悪なことに、ミラがブライアンを見る目も、そのうち彼と同じになって。」
エルザは、小さくため息を吐いた。慣れた様子でごく自然についたそのため息は、水晶を曇らせた。エルザは、その曇りが徐々に萎んでいくのを眺め続けた。
「――絶対に、認めないのよ。二人とも。ただの友人だって言い張って。
私が、何度二人に訴えても、周りに訴えても、誰も取り合ってくれなかったわ。ただ、私がブライアンを好きすぎて誰彼構わずに嫉妬しているだけだって。
そうよね。私もわかっているのよ。彼らは、ただ二人で見つめ合うだけ、ただそれだけだから。
――ブライアンの家もね。以前ほどの勢いがなくなって、それで、どうしても我が家との縁を切れなくなっていたのよ。だから、ブライアンも私から離れなかった。」
わかっているのよ。と言い聞かせるように呟いたエルザは、
「ずっと一人だった。私、二人の交わす視線を眺めながらずっと、寂しかった。寂しすぎて――」
悔しそうに顔を歪めたエルザは、絞り出すようにして言った。
「ブライアンに誘われて、二人で久しぶりにカフェに行ったのよ。
カフェに、仲睦まじく寄り添っている男女がいたの。私、その二人がうらやましくて、互いに見つめ合うその表情がね。とってもうらやましくて。思わずじっと彼らを見ていたら、見つけてしまったの。
そこに、私のように男女を見ている女性がいるのを。
彼らの近くに座っていたその女性は、じっと男性を見つめていて、その男性を見つめる彼女のその表情をみたら、私、許せなくって、二人の邪魔をするのかって、それで、思わず、気がついたら――水をかけてしまっていたの。」
エルザは、自分の両手を眺めながら、小さく吐くようにして微笑んだ。
「でも、それでもブライアンは、私から離れなかったの。離れないで、私の代わりに女性に謝ってくれて、でも――、女性に水をかけた私を見たブライアンの表情がね――。もう限界だったのよ。きっと、」
眺めていた手をきつく握りしめながら、エルザは言った。
「それからよ。私が、ミラにつらく当たるようになったのは。それから、私は、悪役令嬢になったのよ。彼らは、まだ、それでも、表面的には友人を装っていたわ。ひたすら私の仕打ちに耐えていた。でも、それが、本当に腹だだしくて、嫌で嫌で、もう私は悪役を辞められなくて、辛くて」
エルザは、苦しそうな表情で涙をぽろぽろと流し始めた。
「昨日の夜、夢を見たの。夢でも私――ミラを虐めていたのよ。夢の中でも、彼の気を引くために、必死にミラを虐めていたの。」
マダムクロッシェをまっすぐに見据えながらエルザは、
「もう私、だめなんです。限界だから、彼のことを忘れて、それで、元の私に、エルザに戻りたいんです。だから――」
お願いします。そう言ってエルザは、頭を下げた。
マダムクロッシェは、差し込む朝日に目を細めながら
「わかったわ。お望み通り貴方の縁を切ってあげる。ただし――、貴方が、彼女と二日間一緒に過ごしてからね。」
マダムクロッシェが綺麗な笑みを浮かべて指さした先には、口をぽかんを開いたオフィーリアの姿があった。




