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第三十二話 初代白魔法使いと黒魔法使いが託したもの

 オフィーリアとレオンは、クレアの商会が所有する倉庫の一つを訪れていた。クレアの案内で、地下へと続く階段をゆっくりと下りていく――。


『――初代の井戸を解放するしかないわね』


 ワーデンが去った後、手芸店に残った面々は年末までの飲料水確保についての話し合いをした。


 貴族との湧水分割協定を締結以降、島の住民は残された土地をすみずみまで調べ、何か所かの湧水地点を探し当てていた。


 しかし、それらの湧水をかき集めたとしても、平民全員の飲料水を確保するまでには至らなかった。


 そこで、マダムクロッシェが解放すると宣言したのが、初代白魔法使いが遺した古井戸であった――。


「先代が遺したものって鍛冶屋の街路灯だけじゃなかったんですね。初代が古井戸を作っていたなんて知らなかった。」


 レオンが、クレアの背中に話しかけた。頑丈なレンガに囲まれた薄暗い地下室は、クレアが持参した一本の蝋燭の灯で数歩分の視界をなんとか確保している。


「知らなくて当然さ。井戸の事はお貴族様にばれないよう極秘中の極秘だったからね。

街路灯の聖鋼は、鍛冶屋の先祖返り以外は扱えないからね。万が一お貴族様にばれたって鍛冶屋がいなければ、それは、ただの鉄くずさ。

でもね、この井戸はそうはいかないから。絶対にお貴族様(やつら)に知られるわけにはいかなかったのさ。敵を欺くにはまず味方からってね。」


 レオンを横目で見てクレアは、ニヤリと笑う。彼女の意地の悪い笑みが蝋燭の光でじんわりと浮かび上がっていた。


「ここ、クレアさんがずっと管理していたんですか?」


 階段を踏み外さないようにと慎重に歩みを進めながらオフィーリアは、隣にいるクレアに尋ねた。


「まあね。この井戸は、私ら一族が先祖代々、秘密裏に護ってきたのさ。でも、まあ、護ると言っても特に何かする必要はなかったんだけどね。私らは、この倉庫を手放さないで維持し続けるくらいしかしてないね。

それに、極秘とは言ったけど、この古井戸の存在は、お貴族様が知らないだけで、武器屋と防具屋――、まあ、島の会議に参加している老人たちは大方みんな知っているよ。」


「爺さんたちも知っていたのか。敵を欺くならって、極秘って大げさに言って、結局知らなかったのは、俺らだけじゃないですか。でも、そんなんでよく、誰にも悪用されずに今まで無事でいられましたね。」


 レオンは、不貞腐れながらクレアに尋ねた。


「まあ。それは、初代黒魔法使いの魔法がかけられているお陰だね。悪意を持った人間が井戸に近づこうとすると黒魔法使いの能力(ちから)が発動するだかで、その人間が抱いている黒い感情を全部抜き取ってしまうらしいんだ。

悪用しようとするやつは、その邪な考えのままでは、井戸に近づけないようになっているのさ。」


「黒魔法使い――」


 オフィーリアは、不意にその歩みを止めた。暗がりの中で突然立ち止まったオフィーリアにぶつかりそうになったレオンは、咄嗟に彼女の肩を抱いて引き寄せた。


「なんだ、いきなりお前、危ないぞ。」


「あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた。」オフィーリアは、そう言いながら頭上のレオンを見上げる。


「ぼうっとって、お前......とにかく、ここ暗いから気を付けろよ。」


 レオンはそう言って、オフィーリアの頭をポンと叩いた。オフィーリアは、微笑みながら小さく頷いて見せた。


 二人のやり取りを見ていたクレアは、眉尻を少しだけ下げて笑みを浮かべる。


「ま、昔はともかく、今の時代、あたしらに黒い感情を抱いているなんてお貴族様くらいだろ。やつらがわざわざ平民街のど真ん中、こんなきったない、おんぼろ倉庫の地下室になんて来ることなんて永遠にないんだからさ、当然、黒魔法とやらも私の代では、一度も使われたことなんてないのさ。でも、黒い感情を一切合切抜き取られたお貴族様って、一体どうなるんだろうね。」


 見てみたいもんだわね。そう毒突くとクレアは、それから深くため息を吐いた。


「――あんたらには、この古井戸の存在なんか知らないままいて欲しかったんだ。古井戸や、魔物、初代の事なんてなーんにも知らずに人生を楽しんで、楽しみまくって欲しかったんだよ。なんのしがらみもなく――ちゃらんぽらんにね。

それで、この島で最高に幸せな人生を生きて、私らみたいに元気に老いぼれてさ。

もう十分人生楽しんだ。もうなんもすることないわ。暇だねってあんたらがなったら、そうしたら、初めて島の秘密を教えてやろうって、マダムとさ、約束していたんだ。

あんたらに古井戸の、島の存在を背負ってもらうのは、本当は、それくらいになってからで良かったんだよ。

そういう事で本当は良かったんだ。それが一番だったんだ――。」


 階段下までたどり着いた三人は、それから沈黙に包まれた。蝋燭の光が、彼らに深い影を落とす。


「――ごめんね。なんかばあさん、突然しんみりしちゃって。わけわかんないね。こんな暗いとこに入ってきたもんだから、あたし――。」


 クレアは、そう言ってオフィーリアとレオンに背を向けた。蝋燭が大きく揺れる。クレアは、それから袖口で拭うようなしぐさをして、顔を上げた。くしゃりとした笑顔で二人に向き合う。


「――さあ、ぼけ老人の情緒不安定は、もう終わりだ。仕切り直しだよ。この扉の向こうに、初代白魔法使いであられるエミリア様が遺した古井戸がある。皆の衆、心してご覧あれ。」


 クレアは、ゆっくりとした動作で鉄の扉を開き始めた。


 オフィーリアは、クレアの小さな背中を見つめながら今にも泣きだしそうな顔をしている。レオンは、オフィーリアの隣に立ち、そっと彼女の手をとった。震えている彼女の手を強く握りしめたレオンは、それからしっかりと扉を見据えた。


 開け放たれた扉の向こうには、穏やかな光を蓄えた小さな古井戸が、しっかりとその場に留まっていた。

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