第十九話 勇者のいらだちと賢者のごり押し
『私が、この子を攫うわ――。』
そう宣言し、マダムクロッシェは鋭い視線をワーデンに向けたまま沈黙した。
ワーデンは、一瞬険しい表情を見せたが、すぐにいつものへらへらとした笑顔に戻り、彼女の視線を躱して天井を仰ぎ見た。
「でもなぁ。王女がなぁ。一応あの子、帝国でもまだ発言力あるみたいだし? 彼女の機嫌を損ねたくないんだよね。帝国で、王女派の勢力がほぼゼロみたいになったら、彼女の使い道も無くなるし?」
ワーデンは、天井から目を離さずにのらりくらりと会話を続けた。腕を組んで椅子の背もたれにぎしりと寄りかかる。
「王女が用済みになったら、何を言われても放置できちゃうんだけどさ。それまではなぁ。ルークが廃嫡される来年まではなぁ。ぎりぎりまでルークには、頑張ってほしんだよなぁ。彼女、ルークを傍に置いておけば、機嫌良く大人しくしてくれてるみたいだし?」
「ワーデン、貴方、ルークを私の所に連れてきた時の事を忘れた訳じゃないわよね? あの時、王家はルークを手放したのよ。ルークは、私たちの家族になったの。今回王宮に戻ったのは、貴方たちと完全に縁を切る為よ。忘れたなんて言わせないわ。ルークは、もう十分、貴方たちの為に働いたわ。」
「でも、他の甥っ子たち、ルークみたいに空気読めないんだよなぁ。あいつらさ、ルークと違ってずっと城で甘やかされて育ったから、我慢を知らないんだよな。王女のわがままに従えなくて、すぐに投げ出すんだよ。それに、魔物も出たんだろ? .ルークがいなくなると、痛いんだよなぁ......」
黙って二人の会話を聞いていたルークが、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる音が響いた。マダムクロッシェがルークを抱く力が一層強まる。
バキバキバキ!!!!
オフィーリアから発せられた雷が、凄まじい閃光と共に、ワーデンの目の前の長机を粉砕した。並べてられていた紙も一瞬で塵と化した。
突然の閃光と爆音に腰を抜かしたワーデンは、椅子に縋り付きながら床にへたり込んだ。呆然とオフィーリアを見上げている。
オフィーリアは、椅子に座ったまま、床に散った黒焦げの木屑を睨みつけていた。膝の上で握りしめられていた拳からは、じわじわと血が滲み出ている。
「フィー!」
ルークがすぐにオフィーリアに駆け寄り、大丈夫か?と心配そうに彼女の肩を抱いた。
荒い息をしながら、震えているオフィーリアの背中をゆっくりと擦る。ごめんね。大丈夫だからね。と囁きながら、ルークは、彼女の頭に何度も口づけた。
「たくっ。お前は、あんなに魔力暴走起こすなって言われてたのに。この机、結構高いんだぞ。」
そう言いながら、オフィーリアを横目で見た彼は、ルークに顔をうずめているオフィーリアの頭をやさしく撫でた。ワーデンには目もくれずに、レオンは床に散らばった木屑を集めはじめた。
ロイドは、床に座ったままのワーデンに手を差し出しながら、低い声音で言った。
「ワーデンさん、ルークのことをこれ以上軽んじるなら、僕、もう貴方からの依頼は受けません。」
ロイドの瞳には、怒りの感情が溢れていた。
悔しそうな表情で立ち尽くしているワーデン。ゆっくりと立ち上がったマダムクロッシェは、それからワーデンの眼前に迫った。
「ごめんなさいね。私の子どもたち、貴方と違って家族思いなの。私たちをこれ以上怒らせない方が良いわよ。この子たちと私のギルド、どっちも敵に回したくないでしょう? 」
それでも、黙り込んでいるワーデンの頬を、マダムクロッシェは、ぺちぺちと叩きながら低い声を響かせた。
「ルークの事は、また療養したことにしなさい。貴方、死にたくないってさっき言ってたわよね。貴方ごとき、リアの手を煩わせなくても、私の力だけで十分だし、それに、こんなちっぽけな島の王族一人消したとしても、私は、痛くもかゆくもないの。ルークを駒の様に扱っていた貴方は、所詮私たちの駒なの。わかる?」
怒りに震えながら、顔を歪ませたワーデンがマダムクロッシェを睨みつける。
マダムクロッシェの背後で様子を窺っていた傭兵たちに緊張が走った。大広間の空気が一気に張り詰める。
居た堪れなくなったシンシアが二人に近づいて、助け舟を出すようにワーデンに提案した。
「ちょ、ちょっと。二人とも。とりあえず、落ち着いて。そう、あれだ。ワーデンさん、俺が、王女様の面倒を見るのはどう? 一応、俺、帝国で公爵令息してるから、イザベラとも面識があるんだ。
愛しの王女様を追って交流会に参加しに来ましたって言って擦り寄るわ。
俺の顔、髪の毛の色さえ変えれば、彼女の好みそのものらしいぜ。
仕事柄、女に媚びうるのも得意だしな。まあ、ルークと違って、俺は、タダ働きはごめんだから、お世話係としての報酬は、きっちりと払ってもらうけど、うんとまけるからさ。ルークの事は、諦めて俺と組もうぜ。」
シンシアは、それからワーデンの返事を待たずに、彼を引きずるようにして大広間を後にした。去り際にシンシアは、ルークに短く頷いた後、少しだけ眉尻を下げてオフィーリアの背中に微笑みかけた。
彼らが去った後、マダムクロッシェがおもむろに口を開いた。
「リア、そろそろ元気出しなさいな。ルークも思ったよりも早く取り返せたんだから。キースも貴方に会いたがっていたのよ。彼にも貴方の可愛い顔を見せてあげて。ルークにばっかりくっついてないで、私にも可愛いリアちゃんを補充させてちょうだい。ね。久しぶりなのよ。」
マダムクロッシェがそう言いながら、笑顔で両手を広げた。オフィーリアは、気恥ずかしそうにルークの胸から顔を離すと、鼻をすすりながらルークを見上げた。ごめんね。やっちゃった。と照れくさそうに言って彼に微笑んだ。
それから、元気よく振り向いたオフィーリアは、勢いよくマダムクロッシェの抱き着いた。
「貴方たち、まだまだ、子どもね。」
マダムクロッシェは美しく微笑んだ。