第十三話 醜いものたちが集まるところ
ジョーンは、隣国から来た医師団と交流するため貴族専用サロンに来ていた。
「ジョーン、久しぶりだな。元気だったか? しばらく顔を見なかったから心配したよ。」
厭らしい笑みを浮かべた男性が、ワイングラス片手に近づいてきた。
「ダニエル。久しぶりだな。実は、最近忙しくてね。兄上にこき使われていたんだよ。兄上一人じゃ扱えない事業が多くてね。次男と言えど、侯爵家。背負っている事業の規模が段違いで、苦労が絶えないよ。この通り、少々疲れてはいるが元気だよ。」
ジョーンは、グラスをくいと持ち上げながら、強気な笑顔で答えた。
「確かに、伯爵家の僕には、到底想像もつかない激務なんだろうな。でも、元気そうで何よりだ。そういえば、君の兄上って、隣国に長年留学していた方だろう? ようやく帰国したのか。
マイク・ダムドー侯爵令息だったよね。大変優秀な方で次期侯爵としてふさわしい方だと周りの人たちも褒め称えていたよ。彼以外に侯爵家を継げるものはいないって、みんなが口を揃えて言っているもんだから、僕も一度お会いしてみたいと思っていたんだ。
彼は、雲の上の存在だよね。僕らの憧れだよ。ふっ。その優秀な兄上の手伝いか。ははっ。それは、それは、さぞ有意義な時間を過ごしていたんだろうね。隣国の高度な知識を得た彼の補佐、――君がうらやましい。」
格下のダニエルに兄だけを賞賛され続けているジョーンの首にはきつくスカーフが巻かれていた。彼は、スカーフで首元の黒ずみを隠し、兄に殴られた頬の腫れや赤みは、白いおしろいを塗って隠し、つぎはぎだらけの状態で、必死に取り繕った表情を浮かべてダニエルの話を聞いていた――。
「いやいやいや。懐かしい名を聞きました。」
ジョーンの背後から聞こえた声にすぐさま反応したダニエルは、嬉しそうに微笑んだ。
「フォーリー様。お久しぶりです。」
そう言って、ダニエルは持っていたワイングラスを素早くテーブルに置くと、恭しくフォーリーと呼んだ男性に挨拶をした。
ダニエルの視線を追ってジョーンが振り返ると、小柄な男性がにこにこしながらゆっくりとした足取りで、ジョーンたちに近づいてきていた。
「ダニエル様、久しぶりですな。この間はわざわざこちらまで来ていただいて、ありがとうございました。また、よろしくお願いしますよ。」
ダニエルは、フォーリーに人懐っこい笑顔を向けた。
「ええ。こちらこそ、先日は、大変お世話になりました。また、喜んでお伺いさせていただきます。」
ダニエルの言葉を聞いて頷いて見せたフォーリーは、それからジョーンに向き直り「マイク・ダムドー侯爵令息、懐かしい彼の名前が早々にこちらで聞けるとは、彼にも大変お世話になりました。」と言って、ジョーンに笑顔を見せた。
突然会話に入ってきたフォーリーに訝し気な視線を送るジョーン。フォーリーは、ジョーンの不躾な視線を気に留める様子もなく、笑顔のまま手を差し出す。
「いや、失礼。挨拶が遅れましたな。私、今回の交流会の長を勤めます医師のフォーリーと申します。」
「ああ。医師か。」ジョーンは、興味なさげにフォーリーの手を握った。
魔王島では、医師の大半が平民であったためジョーンにとって彼らの地位はそれほど高くない。ジョーンは、医師が偉そうに貴族に交ざって交流していることに不快感を覚えた。
ジョーンは、フォーリーに冷たい視線を投げつける。それでも、フォーリーはジョーンに嫌な顔一つ見せず、屈託のない笑顔でジョーンに話しかけた。
「ジョーン様は、マイク様の弟君でしたな、お二人はとても優秀なご兄弟だと我が国でも有名でしたよ。優秀なご子息がお二人もおられる。素晴らしい限りです。侯爵家の未来も明るい。我々もぜひともダムドー侯爵家とよい関係を築けたらと考えております。もしお時間がありましたら、これから、ぜひ、お話をさせていただけませんでしょうか。」
ジョーンは、フォーリーの発言に目を見開いた。ジョーンは、地に落ちたと思っていた自分の評価が、隣国では非常に高く、医師長すらも擦り寄ってくる程だという事に、すっかり気を良くした。照れくさそうにして触れたスカーフの隙間から黒い蜘蛛の巣が姿を現した。
「ジョーン、君、首のスカーフのところに、黒ずみが。なんだこれ......うわ......」
ダニエルが、ジョーンの首筋に顔を寄せて黒ずみを凝視した。黒ずみを見た彼の顔がひどく歪んでいる。彼は、その黒ずみが自身にも伝染するのではないかと怯えるようにして、急いで両手で口と鼻を覆った。
ダニエルの行動を見たジョーンは、怒りと羞恥でいっぱいになったが、何とか平静を装い、出来るだけ自然に何もなかったかのように首筋に手を置いた。黒ずみに蓋をする。
「失礼だな、君は。黒ずみだなんて。何かの見間違いだ。君、少しばかり酒を飲み過ぎたんじゃないか? ダニエル・シーブ伯爵令息、もう離れてくれ。そのような態度、不快だ。私は、侯爵家代表としてこれからフォーリー医師と話し合いをしなければいけない。君も聞いていたろう? 君には悪いが、我々には酔っぱらいの相手をしている暇はないんだ。失礼させてもらうよ。」
「ああ。酔っているか。そうか。すまなかったね。お邪魔した。」
ダニエルは、ジョーンに反論することなく余裕の表情を見せながら素直に詫びた。それから彼は、フォーリーに笑顔で丁寧に一礼をする。
「フォーリー様、今日は、ご挨拶だけで失礼します。僕は、不覚にも一杯の葡萄酒で酔ってしまったようなので――、また別の機会にお話させてください。」
爽やかな笑顔でそう言ったダニエルは、それからすぐに踵を返してさっさと彼らのもとを離れていった。
「さあ、フォーリー医師、静かな所でじっくりと話し合いますよ。」
ダニエルの後姿を睨みつけたながらジョーンは、フォーリーを連れて足早に出口へと向かった――。
「ダニエル・シーブ伯爵令息だって。急にかしこまっちゃって。あの黒ずみ、あいつは何にも知らないんだな。隣国の貴族の間では、結構有名なのに、当然マイク様も知っているはず。知らないのは、平民どもと、この島の貴族だけ。はは。そうか、ジョーンは、もう......しっかし、ジョーンは嘘がへただな。嘘がへたで、世渡りもへた。ジョーン、君はどうなってしまうんだろうね。」
サロンを後にする二人の後姿を冷ややかな表情で見送りながら、ダニエルは小さく呟いた――。