第十話 蜘蛛と勇者
「あれ、姉ちゃん、なんか、いきなり......い、うで痛い あ、あつい――。」
テッドが苦痛で顔を歪めている。彼の表情をみたオフィーリアは、今にも泣きだしそうな顔をしながらおそるおそるテッドの視線を追った。
テッドの視線の先には、黒点があった。
黒点は、傍から見てもわかるほどの早さでその範囲を広げた。テッドの腕を侵食し続けるそれは、まるで黒いインクを水面にぽとりと落としたかのようのように広がっていった。
凍えるほどに下がっていったオフィーリアの体温とは裏腹に、テッドの身体は急激に熱を上げていった。オフィーリアは、テッドを掴んでいる自身の手がガタガタと震えているのをただ茫然と眺めていた。
「ねえちゃん。こわい......たすけ――。」
力尽きるように瞼を閉じたテッドがぐらりと崩れ落ちた。
「テッド!」
素早く駆け寄ったルークが、テッドを抱きかかえた。オフィーリアは、顔面蒼白でテッドの腕を握ったまま、ただ立ち尽くしている。
「大丈夫か!? テッド!」
ルークは、真っ赤になったテッドの額に手を乗せた。
「......っ、熱が......くそ、なんで」
テッドの額から玉の様に汗が滲み出てきた。テッドの濡れた前髪を撫でつけるようにしてルークは、大丈夫、大丈夫と語りかけている。しかし、テッドは、ただぐったりとその身体を預けているだけだった。
「リア! しっかりしろ! 魔物が出たんだ! 俺らが何とかするんだろ!」
駆け寄ってきたレオンがオフィーリアの肩をゆすった。
「あ。」
オフィーリアは、テッドの手を握ったまま、視線だけをレオンに向けた。
「大丈夫か、しっかりしろ」
レオンは、心配そうにして彼女の顔を覗き込んだ。オフィーリアの目には涙が浮かんでいる。震えながらもテッドから手を離そうとしないオフィーリアをレオンが抱きしめた。
「レオン、ワーデンさんを呼んできて! 僕は、フィーと一緒に魔物をなんとかする。」
ルークが、真剣な表情でレオンを見上げながら言った。
レオンは、テッドを見遣った。苦しそうに息をしている彼を見つめるレオンの表情は酷く歪み、奥歯をぎりぎりと噛みしめる音が響いた。
漸くオフィーリアが、口を開いた。
「シンシア、私、蜘蛛を、蜘蛛が、殺さないと。だから、テッドを......お願い。し、診療所、リチャード先生のとこ。」
シンシアは、わかったとオフィーリアに声をかけるとすぐにテッドに駆け寄った。慎重にテッドを抱きかかえて、レオンとルークに頷いてみせる。
「テッドをお願いします。」
ルークは悲痛な表情でテッドをシンシアに委ねた。
「まかせろ。」
シンシアは、自身のスカートの裾を勢いよく引き裂き、ガタガタと震えているテッドに巻き付けた。彼を抱えて駆け出したシンシアは、出口の扉を蹴り上げて大通りへと消えていった。
「テッド......」
オフィーリアは、テッドを握りしめていた手を眺めながら彼の名を呟いた。彼女の手の震えは、止まらない。
ルークは、オフィーリアの震えを包みこむようにして彼女の手を握り締めた。
「フィー、大丈夫だから。」
ルークを見上げるオフィーリアの目から涙がぼろぼろとあふれだす。
ルークは、オフィーリアの手を引き、彼女を抱き寄せた。泣きじゃくっている彼女の頭を撫でながら彼は、静かに話し始める。
「まず、学校にいる魔物から片付けよう。ここなら島のみんなもすぐに避難してこれるから。僕がここに潜んでいる魔物をすべて探知する。
探知したらフィーに魔物の場所を教えるから、フィーは雷でそいつらを攻撃して。
ぼくらにはまだ聖剣が無いから、魔物は消滅させられない。だけど、雷で気絶させることは出来る。
気絶させて、捕獲しよう。それでこのブレスレットを捕獲したやつらに押し付けて、さっきみたいに消滅させるんだ。
だから、まず、ここにいる魔物を全部捕えよう。」
穏やかな笑みを浮かべているルークを見上げながらオフィーリアは、コクコクと何度も頷いた。
とめどなく流れ落ちる彼女の涙をぬぐいながら、ルークはやさしい声音で、囁くように続ける。
「フィー。ちっちゃい頃から猪や魚を一緒に獲ったでしょ? それと同じだよ。僕もちょっとだけ怖いけど、でも、フィーは最強の勇者だから、だから大丈夫。僕の支援も最強だし。大丈夫だよ。」
大丈夫と言いながらオフィーリアの頭を撫で続けているルークの手から柔らかな光が発せられた。その光は彼女の体をゆっくりと包み込んだ――。
「――フィー、落ち着いた? そろそろ行けそう?」
ようやく震えが止まったオフィーリアは、ルークを見上げて頷くと、ありがとうとちいさく呟いた。