帝国二日目
舞踏会会場のように高い天井には、その一面に帝国の歴史が絵で描かれていた。
剣や槍を持って闘う屈強な男達、その背後には神々しいほどに美しい戦の女神、そして彼らの前には抗えぬ絶対的な力に屈してひれ伏す人々。帝国がいかに頑強な国であるか、大袈裟なくらいに表現されている。
そんな天井画の下、大理石で出来た長方形のテーブルに、イオンとアレス、その向かいにレンブラントとアイカル、そして皇帝と皇后は彼らを見渡せるよう、テーブルの短辺に並んで座している。
それぞれのグラスにワインを注がれると、皇帝がグラスを手にして挨拶の口上を述べた。
「イオン国王陛下並びにアレシア王妃殿下、我が帝国の招待に快諾頂けたこと改めて感謝申し上げる。先王には世話になったからな。イオン国王陛下とも是非深い関係を築き上げていきたい。」
「皇帝陛下、此度はお招き頂きありがとうございます。王国はまだまだ発展途上にございますから、是非帝国を手本とさせて頂きたく、手ほどきを頂ければ幸甚にございます。」
皇帝は意味ありげな顔でイオンのことを見てきたが、彼はそれに構うことなく、いつもの涼しい顔で動じることなく挨拶を返した。
世界に対して絶大なる影響力を所持する皇帝相手に、即位してまだ1年余りとは思えないほど堂々としたものであった。
「一国の王というのに、その殊勝な態度は素晴らしいものだな。我が愚息にも是非その心構えを教示い頂きたいものだ。なぁ、レンブラント、アイカル。」
「はい、父上。イオン国王陛下、御滞在中、是非とも色々なお話をさせてください。」
「イオン国王陛下、お初にお目にかかります、第二皇子のアイカルと申します。私も王国に興味がございます。是非どんな国なのか教えてくださいませ。」
「レンブラント皇子殿下、アイカル皇子殿下、温かいお言葉ありがとうございます。私も同じ為政者として御二方のお話を伺いたく、改めてお時間を頂けますと幸いです。」
「では改めて、王国と帝国の未来永劫揺るぎない関係と両国の輝かしい未来に、乾杯。」
「「「乾杯」」」
アレシアは黙ったまま、軽くグラスを持ち上げた。皇帝の隣にいる皇后もしかりだ。このような場で女性が口を開くことはない。
お飾りとして口元に微笑みを浮かべて座っていることが役目だ。
「アレシア王妃殿下」
いきなり皇帝が口にした自分の名に、アレシアは驚いて声を上げそうになってしまった。
この場で会話に混ざることはないと思っていたため、名指しに心臓が跳ねた。
何が正解か迷いつつも、アレシアは目線を皇帝に向けて微笑み、それを返事の代わりとした。声を発することはしない方がいいと判断したのだ。
彼女の隣で、ほんの僅かにイオンが頷いたような気配がしてアレシアはほっとした。
「この愚息二人なのだが、みっともないことにどちらもまだ婚約者すらいなくてな。だから、明日の夜会でダンスの相手をしてやってもらいたいのだが、頼まれてくれるか?レンブラントだけでもいい。」
それは尋ねているようで、命令と等しいものであった。世界を牛耳る皇帝に、たかが小国の王妃が拒否できるわけがない。
だからこそ、予想だにしない皇帝の言葉に、アレシアは張り付けた笑顔のまま固まってしまったのだ。
嘘でしょ…これどうしたらいいのよ…さすがの私でも、皇帝相手に嫌よって言っちゃダメなことくらい分かってる。けど…他所の国の王妃に向かって皇子とダンスをしてくれってあまりにも無礼じゃない…?いや、これは普通に失礼だ。え…私は馬鹿にされてるの…??どうしよう、考えれば考えるほどムカついてきたわ。ここにあるワインぶっかけてやりたい…
アレシアは顔は微笑んだまま、怒りを逃がすようにテーブルの下で痛みを感じるほど強く拳を握り締めた。
すぐに気付いたイオンは、アレシアの手を優しく包み込み、彼女の爪が手のひらを傷付いてしまわないよう力を抜けさせた。
「皇帝陛下、無礼を承知の上で申し上げますが、私は自他共に認めるひどく矮小な男でして、愛する妻と他の男性とのダンスを看過することが出来そうにございません。自分でも驚くほどに妻のことを深く愛しているのです。此度のご要望にお応え出来ず大変申し訳ございません。」
イオンは軽く目線を下げ、申し訳なさそうな態度を示した。
「これはこれは…私は、これほどまでに愛する相手を見つけられるとはイオン国王陛下が羨ましいです。これほどまでに愛されるアレシア王妃殿下はさぞ素晴らしいお方なのでしょう。私もいつかそのような相手を見初めたく思います。」
イオンの言葉に屈することなく、レンブラントは穏やかに微笑んでいる。
だが、その言葉の裏にはアレシアのことを狙っているということが容易に透けて見えた。
「それでは、明日の夜会は良き機会になりましょう。良縁に恵まれますよう僭越ながらお祈り申し上げております。」
イオンは宣戦布告ともとれる言葉と共に、にっこりと微笑んだ。
「イオン、さっきはありがとう。」
晩餐会の後、一度部屋に下がった二人。
メイドが紅茶と茶菓子を用意して部屋を後にすると、アレシアがイオンに笑顔を向けた。
「嫌な思いをさせてすまなかった。僕のアレシアに対し、あれほど露骨に無粋な真似をしてくるとは…いっそのこと、このまま消してしまうか…あれくらいなら僕一人でも…今回はファニスもいるしな…そうだな、問題は何もない。今すぐ戦力の整理とそれを元に計画の策定を…」
イオンから笑顔が消え、声は怒気に震え、彼の周りにはダイヤモンドダストが見えたような気がした。
後半は、皇族暗殺計画を独り言のように呟いていた。その顔は狂気に満ちており、とてもじゃないが一国の王とは思えないほど悪意が溢れ出ている。
いつものイオンの暴走に、アレシアはため息をつくと、彼の手を両手で握り締めた。
「イオン!ひどい顔してるわよ!」
自分の手を握り締め、必死に見つめてくるアレシアが視界に入った。
その途端、イオンの世界からあらゆる悪意が消え去り、周囲には一気に花が開いた。
「アレシア…こんなにも僕のことを…」
イオンは部屋の隅に控えるファニスとクロエに目配せをしようとしたが、その僅か2秒前、空気を読んだ彼らは既に部屋から出て行っていた。
「今度は僕が君への愛を示そう。」
先程までの黒いオーラはどこへやら、いつもの蕩けるような笑顔に変わったイオンは、熱い瞳でアレシアのことを見つめ返した。
「いや、ここ他所のウチだから!ちょっと、クロエー!!って、なんで二人ともいないのよ!!この裏切り者ーーー!!!」
「他所のウチか…それは燃えるね。」
「いやああああああああ!!」
すっかりいつもの調子に戻ったらイオンは、いつものようにアレシアのことを愛で倒して満喫したのだった。




