イオンの闇
夢かと思った…いや、今でも夢だと思っている。あんなに欲しかった言葉を僕にくれるだなんて…
一生訪れることのない瞬間だと思っていた。
一瞬の気の迷いでも、冗談だと言われても、やっぱり無かっことにして欲しいと言われても、僕はこの刹那の幸せで、この先一生幸せに過ごせる自信がある。
それほどまでに、あの瞬間は至上であった。
出来ることなら僕の心を取り出して、君に見せてあげたい。君の言葉ひとつでこんなにも歓喜に沸く僕の心を。
「イオン?」
イオンの瞳から涙が溢れ、頬を伝う。彼は手で涙を拭って、花が綻ぶような笑顔を見せた。
「アレシア、ありがとう。」
自分の感じたこの気持ちをアレシアにそのまま伝えたかったが、昂りすぎた気持ちを言葉にすることは叶わず、感謝のひと言しか出て来なかった。
言葉で伝えきれない代わりに、イオンは、一歩アレシアに近付き、彼女の身体を包み込むように優しく優しく抱きしめた。
両腕を背中と腰に回し、彼女の首元に顔を埋める。ほんの僅かでも今抱いているこの気持ちが伝わればと、そんなことを強く願いながら抱きしめる両腕に力を込めた。
「やっぱり、イオンの腕の中は安心する…」
抱きしめられているこの状況に、アレシアは気の抜けたほわほわした声音で気持ちを吐露した。全身の力は抜け落ち、完全に彼に身を委ねている。
「嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。君への愛が止まらない。知れば知るほど君のことを好きになる。どうしようもないほどに君のことを愛している。こんな…僕の愛の重さを知られたら、アレシアに嫌われてしまうだろうか…」
「そんなことで嫌いになんてならないわよ。度が過ぎたなら保身のために、物理的に少し距離を取るかもしれないけど。」
アレシアの言葉に、イオンは背中や腰に回していた手を離して今度は彼女の両肩を掴み、不安そうな顔で瞳を覗き込んできた。
「どのくらいで重いって感じる?」
不安に揺れる瞳で見つめながら、切羽詰まったような必死さが伝わる声で、イオンが聞いていた。
「どのくらいって言われても…説明が難しいわねぇ…」
一瞬の思案の後、イオンはまたすぐに尋ねてきた。
「一緒にいる時に常に手を繋いでいるのは?」
「それくらいなら。」
「1日に10回くらい愛を囁くのは?」
「それはちょっと多いんじゃ…」
「アレシアの笑顔は僕だけに向けて欲しい。」
「え、他の人には無表情でいろってこと…?」
「可愛いアレシアを他の者の目に触れさせたくない。」
「へ…」
「女性ならまだしも、他の男の目になど…アレシアの周囲の人間は全て女性に変えてしまおうか。」
「は」
「いやでも、メルクーリみたく距離が近すぎるヤツが出て来たら困るな。一層のこと、専用の部屋を作ってそこにアレシアを…」
「…」
「僕が一生アレシアの面倒を見てあげる。他の者の手なんて借りない。僕だけを頼って僕に溺れて僕だけのために…」
先ほどの不安そうな顔はどこへやら、イオンは話すうちに、段々と恍惚とした表情に代わり、その瞳は仄暗く、完全に自身の想像した世界へと入り込んでいた。
「イオン!ちょっと待って!!その思考は危険すぎるわ。早く戻ってきてちょうだい!」
「ああ、ごめんね?」
イオンの瞳に光が戻り、目の前のアレシアのことを捉えた。だが、その顔は未だ惚けており、まだまだ余韻が抜けていない。
「ダメだわこれ…私は開けてはいけない箱を開けてしまったのかもしれない…」
頭を抱え込むアレシアのことなどお構いなしに、イオンは頭、こめかみ、おでこ、髪にキスを落としていく。
酔いしれている彼には、アレシアの言葉など一切届いていない。
これ以上このままにしたら、よく分からないけど何かが危険だと判断したアレシアは、一旦執務室に戻ることを決めた。
「イオン、とりあえず戻るわよ!」
アレシアはキスを止めないイオンの腕を引っ張り、強引に彼の執務室まで戻って行った。
イオンの執務室の前では、強張った顔のファニスと不安そうな顔をしたクロエが直立不動の姿勢を取っていた。
互いに主君の帰りを待ち侘びていたらしい。
「アレシア様!」
いち早く気付いたクロエがアレシアの元へ駆け寄ってきた。
「クロエ!ちょっと、イオンの様子がおかしいのよ。これどうにかしてくれる?」
イオンのことをコレ呼ばわりしたアレシアは、焦った顔でクロエに助けを求めた。
一方のイオンは、まだニコニコと惚けながらアレシアにべったりとくっ付いている。
二人の姿を見てなんとなく察したクロエは、とりあえず執務室への移動を促した。
ソファーに二人を座らせ、その隣に立ったクロエは何とも言えない顔で、改めて何があったのかを尋ねた。
ファニスもクロエと同じような表情でイオンのそばに控えている。
「イオンに好きと言ったら、彼の闇が止まらなくなっちゃったのよ!」
「「・・・」」
アレシアは本気で困って焦って助けを求めたのだが、クロエとファニスの反応は無であった。「あぁ、なんだそれ、もう二人でやってくれ…」そんな思いが如実に顔に出ている。
イオンは、アレシアからの「好き」と言う言葉に、ぽっと頬を染めて、先ほどの光景を思い浮かべていた。
そんな締まりのないイオンの顔を見たクロエは、壁の方を向いて、バレないようにため息を吐いた。
「アレシア様、お任せください。」
これ以上収拾がつかなくなったら、この国の存続に関わると、事の重大さに気付いたクロエは、気合いを入れてイオンに声を掛けた。
「国王陛下、大変恐れ入りますが、少しだけお話をさせて頂きたく。」
アレシアから遠ざけるように部屋の隅に移動させると、クロエは真剣な表情で告げた。
「皆の前で花のように笑うアレシア様と、国王陛下に囲われて無表情でいるアレシア様、どちらを好ましいとお思いでしょうか。」
「僕に囲われて笑顔でいるアレシア。」
いじけた子どものような顔で、自分の願望をダダ漏れにしたイオン。
そんな彼に対して、クロエは手で目を覆い、ため息を吐いた。完全に呆れている。
「自由を愛するアレシア様が閉ざされた中で笑顔でいられるはずがありません。アレシア様をお独り占めされて、笑顔を奪って、それでご満悦ですか?」
「…お前は、言うようになったな。」
イオンはクロエの言葉で完全に目が覚め、お花畑に別れを告げた彼に、為政者の顔が戻ってきた。
「私の主君はアレシア様お一人ですから。あのお方のためであれば、どのようなことでも躊躇なく致しましょう。いつでも剣を取る覚悟がございます。」
「僕は、お前の方が危険だと思うよ…」
クロエの行き過ぎた忠誠心に、今度はイオンが呆れていた。




