イオン・サフィックス王子殿下
僕は生まれて1年後に婚約者が決まった。
彼女はその時0歳、産声を上げた瞬間に僕の婚約者となったのだ。
それから6年後、初めて彼女と対面した。
彼女は人形のように整った容姿で、とても美しかった。あの時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
それからは、定期的に彼女と会って話すようになった。婚約者としての務めらしい。
そして、幼かった僕も、彼女に会うことを繰り返すうちにその違和感に気付いた。
僕とにこやかに話してくれるけど、彼女は自分のことは話さない。
好きな色を聞くと、僕の瞳の色か髪の色を答える。好きな花を聞くと、僕が好きな花を答える。好きなことを聞くと、僕とお茶をすることだと答える。
彼女は僕の欲しい答えしか言わない。
そこに彼女の意思はなかった。
そんな意思のない彼女のことを、周囲はドールと呼んで揶揄した。
王子の婚約者となるためだけに生まれ、人格を持たないように育てられた可哀想な子だと。
周りは、僕に対しても、そんな娘との婚約を押し付けられた哀れな王子という目を向けていたが、僕自身は違った。
僕のためだけに存在する彼女が堪らなく愛しかった。彼女の人生が丸ごと僕のもののようなものだ。
なぜそんな存在を疎ましく思うことが出来るのか。
僕らの親によって、彼女の意思ある人生は無きものとされた。そのことについては、今も許してはいない。必ず報いは受けてもらう。
もう戻らない彼女の人生。
それなら、僕が彼女のために生きよう。
心から愛し、彼女の幸せのために尽力しよう。
自分の幸せが分からないのなら、僕が代わりに見つけてあげよう。
僕はそう心に誓った。
彼女は僕のものだ。
今はまだ形式的な婚約者のフリをしている。
今から僕の愛を伝えても彼女は困るだろうから。
彼女が僕と過ごしやすいように、僕は形だけの婚約者として振る舞う。
定期的な顔合わせ。
当たり障りのない会話。
典型的な贈り物。
すべては彼女を困らせないために。
でも、自分の誕生会で着る彼女のドレスを、うっかり自分の色にしてしまった。
皆の前で婚約を宣言できるのが嬉しすぎて、独占欲に塗れたドレスを贈ったのだ。
あの彼女なら、きっと何も思わずに、当日着てくれるだろうと思ったけれど内心不安だった。
こんな独占欲の塊のようなドレスを贈って、万が一でも嫌われたらどうしよう、と。
でも杞憂だった。
会場についてすぐ、僕のドレスを纏った美しい彼女を見つけたからだ。あまりの美しさに心が震えた。
僕は、狂喜のあまり、段取りを無視して、真っ先に彼女の元へ向かってしまった。
突然の行動だったのに、やっぱり彼女の反応は無かった。それが少しだけ悔しかった。
僕は、その場で彼女にプロポーズをした。
当たり前のように頷いてくれると思っていた。国王と公爵が決めた僕たちの婚姻、そして、僕のためだけに生きてきた、自分の意思を持たない彼女が断るわけがないと。
なのに、
彼女はいやだと言った。
僕は予想してなかった答えに思考が停止した。
困惑した。
だが、次に湧き上がった感情は、驚喜だった。
今まで何一つ感情を動かさなかった彼女が初めて見せてくれた。それも、僕に対して。
その感情が拒絶であっても、僕は構わなかった。どんな想いでも、僕に対して気持ちを動かしてくれたことが嬉し過ぎたのだ。
彼女の心の中に入り込めたような気持ちになった。
否定でも拒絶でも嫌悪でも、どんな感情でも僕に向けられているのなら、僕はそのすべてが愛しい。彼女の中に僕がいる証拠だ。
こんなに喜びを感じたのは生まれて初めてかもしれない。彼女への想いは増すばかりだ。
アレシア、愛している。