イサフの春
アレシアは、イオンの腕の中にいる安心感で心が満たされていた。
彼の腕の中は、暖かくて心地よくて安心する。守られているってこういう気持ちなのかな…
思えば、今まで親にもこんなふうに抱きしめてもらったことはなかった。
もう少しだけ、このままでいたい…
アレシアは、イオンの胸に頭を預け、全身の緊張を解いた。
毛を逆立てていた猫が急に甘えてきたような、彼女の愛おしい仕草に、イオンは応えるように腕の力を強め、思い切り抱きしめた。
アレシアは僕が守る。
彼女に気持ちがなくても、演技でも、気まぐれでも、そんことはもうどうでもいい。
彼女を幸せにしたい。
本音を言うと、好いて欲しかった。僕のことを見て欲しかった。愛し合いたかった。
でも、人の気持ちを強制することは出来ない。それに、彼女には自由に生きてほしいから。
ならば、せめて、
僕の庇護下に置いておきたい。
僕の目の届く範囲で、どうか自由に、己の思うままに生きてほしい。誰にも邪魔なんてさせないから。
そのためなら、僕はなんだってしよう。
君が笑っていてさえくれれば、僕は幸せだ。
「シア、落ち着いた?」
「あっ、あの、、ごめんなさい…!」
アレシアはまだショック状態にいると思っていたイオンが、抱きしめる腕を少しだけ緩め、心配そうに正面から顔を覗き込んで来た。
彼に甘えてしまったことを自覚したアレシアは、慌ててイオンから飛び退くように離れた。
…つもりが離れられなかった。
「えっ?」
「そんなに急に離れられると、少し寂しい…」
イオンの腕でがっちりと身体を固定されていたため、アレシアは身動きひとつ取ることが出来なかった。
今度はイオンが甘えてきたのだ。
「ちょっと!もう大丈夫だからっ!」
抱きしめられているという事実を認識したアレシアは、もう耐えられなかった。
必死にイオンのことを引き離した。
ああもう、こんなことするつもりじゃなかったのに…
「シアは、甘えたさんなんだね。ふふ、甘えるのは好きだけど、甘えられるのは嫌かぁ。僕はこう見えて、とことん甘やかしたい派だから、僕たちは相性抜群ってことだね。」
イオンは心底嬉しそうに笑っていた。
「ちょっと!よく分からないことばかり言ってないで、もう行くわよっ。それと、」
「ん?」
「…さっきはありがとう。貴方って強いのね。不謹慎かもしれないけど、すごく…かっこよかった。」
「は」
いつも息を吐くように美辞麗句を言いまくるイオンなのに、褒められ耐性は持ち合わせていなかった。
好きな子に褒められたイオンは、一文字しか発せられないまま、固まっていた。
ものの見事に、彼の周囲だけ時が止まったようだった。
「ああもう本当に君って奴は、、気がないクセに僕のことをどんどん絆して、一体どういうつもりなの?何かおねだりでもするつもり?大体のものなら買ってあげられるけど、小国ひとつくらいならなんとか…いや、それ以上を言われてもなんとかして必ず…」
脳の処理が追いつかず、イオンの気持ちは口からダダ漏れていた。
が、締まりのない顔を隠すように、片手で口元を多い、小声でぶつぶつ言っていたため、アレシアに聞かれることはなかった。
「ええと、もう大丈夫?」
壊れたおもちゃのように独り言を言い続けていたイオンの回復を待って、今度はアレシアが声を掛けた。
「…コホンッ。取り乱して悪かったね。改めて、さぁ行こうか。」
「取り乱すというか…常軌を逸していたわよ。」
「…」
返す言葉のないイオンは、黙ってアレシアに手を差し伸べた。
彼女もそれ以上言及することはなく、早くお肉が食べたい一心で彼の手を取った。
そのまま二人で歩き出したはずなのに、実際は、アレシアが歩けずに膝から崩れた落ちた。
「え…」
「大丈夫!?」
地面に着く前にイオンが抱き止めたため、膝をつくことはなかったが、突然のことにアレシアは混乱した。
「動けないんだけど…」
どうやらアレシアは腰が抜けてしまったらしい。
初めて目にした暴力は、彼女には刺激が強すぎた。その反動が遅れて身体にやって来たのだ。
「シアの心と身体に負担をかけたね…。本当にごめん。責任は取るから。」
「へ?」
アレシアが気付いた時にはもう、イオンの腕の中だった。しかも浮遊感付きで。
彼はアレシアのことを横抱きにして、そのまま歩き出した。
「え、あ…、うそ!大丈夫だから!良いから早く下ろして!下ろせ!」
最後には令嬢らしからぬ発言も含まれるほど、アレシアは一刻も早くやめさせたかった。
しかし、こんなささやかな抵抗でイオンがやめるわけもなく…
「心配しなくて良いよ。僕は大男を投げ飛ばせるくらいの力はあるし、甘やかすのは大好きだし、君を近くに感じられるし、ほら何も負担になっていないでしょ?」
「ちがうー!私の負担なの!!私のこころ!!」
言い合いをしながらもイオンは歩き続けており、すでに大通りに戻っていた。
二人の仲の良さそうなじゃれ合いを見た街の人たちは、ようやくイサフにも春がやって来たか…と温かい目で見守っていた。




