目の前に差し出された人参
荒れ狂うアレシアに対し、イオンは慣れた手付きで紅茶を淹れて彼女に勧めた。
あまりに手慣れた優雅な所作に、ティモンは見惚れてしまい、止めることができなかった。
王子に淹れてもらったというあり得ないほど高貴な紅茶を、アレシアは一気飲みした。
ティモンは大胆過ぎる姉の行動に青ざめ、ファニスは笑いを堪えているのがバレないように横を向いた。
イオンは、アレシアを見て微笑みながら2杯目の紅茶を淹れた。
彼女の激昂が落ち着くのを待って、話の続きを始めた。
「アレシア、感情が昂るのも分かるけれど、まずは僕からの話を聞いて欲しい。」
「…ええ、どうぞ。」
ぶっきらぼうな言い草にイオンは苦笑した。
「半年前の僕の誕生日パーティーのこと覚えてるかい?」
「ええ、もちろん。あの日をきっかけに私は変わったのよ。忘れるわけが無いじゃない。」
「じゃあ、その後、僕が周りからどんな目で見られているか知っている?」
「え?」
「『婚約者に逃げられた可哀想な男』って陰で囁かれているんだ。」
「それ、事実だから仕方ないんじゃ…」
「ん?アレシア。何か言ったかなぁ?」
イオンは笑顔で圧を掛けてきた。
端正な顔立ちから発せられる圧力は尋常ではなく、さすがのアレシアも、これ以上はマズいと口を閉じた。
「それでね、『こんな、将来の妃をものにできない王子に国を治められるわけがない、代わりに他の者にやらせるべきだ』なんて過激な発言をする者まで出てきた。」
「それはさすがに酷く言い過ぎじゃない…?」
「そうだろ?だから、婚約パーティーで君との仲の良さを見せつけて、次代の王としての尊厳を取り戻したいんだ。」
「言いたいことは理解できたけど…そのために仲の良いフリをするなんて…ちょっと気が引けるわ。」
「僕は本気だから安心して。君相手に、フリなんかしないから。」
「それはそれでちょっと怖いわ…」
渋るどころか、若干引き気味のアレシア。
「本当は快諾してもらいたかったが仕方ない…アレシア、ひとつ提案なんだけど」
「…何よ?」
「これを仕事として引き受けてくれないかな?」
「えっ?」
「これは公務みたいなものだから、報酬を出そう。お金だと君は気を遣うだろうから…そうだな、現物支給で、王宮からシェフを貸し出そう。もちろん、材料費はこちらで待つ。」
「「ええ…っ!!!???」」
アレシアとティモン、驚きよりも喜びの色の方が強い二つの声が重なった。
ファニスは、食べ物に勢いよく食い付く2人に目頭が熱くなり、次ここに来る時には食べ物の差し入れをしようと心に決めた。
「ふふ、良い反応だね。では、特別手当も付けよう。」
「と、特別手当…」
現在、節約の鬼となっているアレシアは、特別手当という甘美な響きに更に食い付いた。
「僕とアレシアの仲の良さを見て、それを信じてくれた人の数と同じ日数分、シェフを貸し出そう。制限は設けない。」
「それ、詳しい話を聞かせてくれるかしら?」
アレシアの目がきらりと光輝き、期待の眼差しで目の前のイオンをじっと見つめた。
イオンは、初めてそんな好意的な瞳で見つめてくれたことを嬉しく思う反面、理由がこれか…いやでも、この事実に変わりはないのだから…となんとも言えない複雑な気持ちになっていた。




