2話 聖女様がやってきた
「盗み聞きとは聖女様らしくないね」
俺がおどけて言うと、塩原さんは困ったように銀色の眉を上げる。
「その呼び方、やめてよー。私は聖女なんかじゃないよ」
塩原さんは有名人だ。なにせクラスで一番可愛いし、銀髪碧眼のスウェーデン系美少女。
俺も成績優秀な方だが、塩原さんはさらにその上を行く。おまけに品行方正で、人格も円満。名古屋の名門企業のご令嬢で、幼い頃から習っているピアノも天才的な腕前だとか。
それでついたあだ名が「聖女様」というわけだ。多くの男子と女子は憧れをこめて、一部の女子はやっかみから、塩原さんを聖女様と呼びたがるわけだ。
もっとも、本人はそのあだ名を苦手としているらしいけれど。
「それにしても、神宮寺さんも素直じゃないよね。本心では冬見くんのこと大好きなのに」
「そうだといいんだけどね」
「そうだよ。私だったらかっこよくて優しい冬見くんの告白を断ったりしないんだけどな」
「からかわないでよ。聖女様は、誰に告白されても決してなびかないんだよね?」
「あっ、また聖女様って呼んだ! まあ、冬見くんなら、いいけどね」
塩原さんはふふっと笑った。
聖女様は毎日のように男子から告白されているけれど、全部断っているみたいだ。だから、今のところ付き合っている彼氏は無し。
どんなに魅力的なイケメンの先輩に告白されてもOKしないんだから、俺の告白も当然、断るだろう。
「まあ、万一、塩原さんに告白されても、俺には菜穂がいるから」
「あーあ、振られちゃった。神宮寺さんが羨ましい」
塩原さんがいたずらっぽく青い瞳を輝かせた。お互い冗談で言っていると分かっているので気楽なもんだ。
塩原さんは俺の友人である。俺たちは中高一貫校に通っていて、去年の中等部三年のころに親しくなった。
塩原さんは常に大勢の男子から好意を向けられている。だから、逆に塩原さんは俺を信用できたのかもしれない。
なにせ俺は菜穂にしか興味はないから、塩原さんを好きになる可能性はない。友達付き合いできる数少ない男子というわけだ。
もちろん、塩原さんが俺を異性として意識することもない。そのはずだった。
ところが、今日は少し雲行きが怪しかった。
「私は盗み聞きをしていたわけじゃなくてね。冬見くんに用事があったの」
「へえ。もしかして我らが映画研究部に入会届とか。それなら歓迎するけど」
俺は軽口を叩いた。この教室は旧校舎の外れにあり、放課後は映画研究部の部室として使われている。
といっても、映画研究部の部員は二人しかいない。俺と菜穂だ。
昔は自主制作映画も撮っていたらしいけれど、今の活動内容はU-NEXTでひたすら映画を鑑賞するだけ。
ちなみにここ数日で見たのは『ダイヤルMを廻せ』『ガス燈』『グランドホテル』。どれも半世紀以上前の映画だけど、俺も菜穂も古い洋画が大好きなのだ。
こんな趣味を共有できる同年代の女子は、菜穂ぐらいだ。まあ、もともとは菜穂の趣味なのだけれど、俺も菜穂と一緒にいるうちにハマってしまった。
とはいえ、他に部員が入るような活動内容ではない。かつて野球部のエースだった俺も、可愛く明るい菜穂も、事情があって、こんな変な部活に所属していた。
ところが、塩原さんはちょっと恥ずかしそうにこくりとうなずいた。
「そう。入部届を持ってきたの」
塩原さんは一枚の紙を差し出した。たしかにそれは入部届だった。
俺は目を瞬かせた。いったい、どういう風の吹き回しだろう。
塩原さんは帰宅部だが、ピアノの練習が忙しいはずだ。将来は音大に入ってピアニストになれるかもしれないぐらい、真剣に取り組んでいると聞いた。
そんな塩原さんに、映画研究部で映画鑑賞に費やす時間はないはずだ。
「……理由を聞いてもいいかな?」
「きっと冬見くんは、私が君と一緒にいたい理由を想像できるよ」
塩原さんはそう言って、少し顔を赤くした。