最後の使用人
冬の名残が感じられる、ある晴れた日。日課のティータイムを楽しむべく、M婦人は庭園へと足を運ぶ。
既にテーブルの準備は整っており、あとはM婦人の到着を待つだけであった。
「どうぞ、こちらへ」
使用人の女性が、紅茶を注ぎながら席へと促す。婦人は彼女へ冷ややかな視線をチラリと投げかけ、聞こえるようにわざとらしく鼻をならして腰をおろした。
M婦人は、主人を早くに亡くしてからというものすっかり人が変わってしまった。これまでの温厚で品格の漂う淑女から、嫌味で近寄り難い女性になってしまったのである。
主人の他界を境に次々と使用人が辞めてゆき、最後まで残ったのは目の前にいる彼女ただ1人になった。無駄に広い館は半分以上が使われておらず、訪ねてくる者もいないが、遺産を食いつぶしながらそれなりの生活水準を保っている。
「このスコーン、不味いわ」
「ええと……いつも通りの筈なのですが」
「今日みたいに冷える日は水分を気持ち多めに作りなさい。こんなこと馬鹿でも分かるでしょう? 折角の午後がお前のせいで台無しだわ」
「……申し訳ございません」
M婦人はこの使用人のことをとても見下していた。若い、というだけで、何も知らないこの女のことが嫌いだった。
貴族としての振る舞いにはじまり音楽の教養や踊り、歌までも、何も出来ない彼女に対し「こんなことも出来ないの?」と嘲るように披露し悦に入るのが婦人の唯一とも言える楽しみでだった。
しかし、それも長くは続かなかった。使用人の、物事に対する理解があまりにもはやかったからである。馬鹿にするつもりで1を教えれば10を理解し、次の日には既に技術として自分のものにしていた。
踊りや歌を、婦人と遜色ないくらいには出来るようになっているのをM婦人は快く思ってはいなかったが、この天才の成長をどこか楽しみにしている自分も確かにいたのである。
*
ある日のこと、ソファに腰掛け編み物をしていると使用人が1通の便箋を持ってやってきた。
「奥様、こちら今朝届けられたものでございます」
「面倒事を運んでこないでおくれ……。お前、書かれてあることを読み上げな。いま手が離せないのよ」
「ですがっ……私にそのような出過ぎた真似は……」
「あら、口答えするの? それとも、わざわざ字の読み書きを教えてやったのに出来ないと言うつもり? ……早くなさい」
婦人はこの使用人に対して時間を取ってしっかり教えてなどいない。「これは何と読むのですか?」と偶に聞かれる問に、小馬鹿にしつつも答えていただけ。読めなどと命じたのは、半分は嫌がらせだった。
しかしながら、聡明な彼女であればこれくらい出来るだろうと勝手な期待も寄せていた。
使用人は慣れない手つきで封蝋を開けると、記された文字たちに視線を滑らせている。2人の間にしばしの沈黙が訪れる。さきに、口を開いたのは使用人の方だった。
「昔交流があったR家で、舞踏会が催される……とあります。これに参加して欲しい……と」
「ふぅん。思ってた通りかい、あぁ嫌だ嫌だ」
「奥様、これが招待状だと見抜いていらしたのですね」
「そっちのことじゃないわ。ま、別にどうでもいいけど」
「ええっと……?」
M婦人は編み物を置いてため息をつくと、使用人の持っている手紙を指さした。
「それ、お前が1人で行きなさい」
「申し訳ございませんが、仰っていることの意味が分かりません」
「ああいう場はもう懲り懲り。あたしの代理でR氏に挨拶してきなさいと言っているの。勿論、身分は偽りなさい。養子だとでも言えばいいわ。出来るわね?」
「…………そんな」
「服は適当に見繕ってあげる。あたしの顔に泥を塗らないよう、精々頑張って」
一方的に命令すると、M婦人は編み物に集中したいからと言って使用人を部屋から追い出したのだった。
*
季節は巡り、世の中はそれ以上にめまぐるしく変化していった。だが、M婦人の館だけは時代の渦に飲まれることなく、変わらぬ姿で存在している。
1つだけ変化したことといえば、あの最後の使用人が出ていったことだった。
彼女はあの舞踏会で貴族の1人に見初められ、「私とではあまりにも身分が違う」と突っぱね続けていたが、それでも尚諦めぬ青年に折れて、妻として迎えられていった。
館を出てゆく直前まで人の身を案じ、あれだけ冷たい扱いをしたにも関わらず、あろう事か涙を浮かべて感謝されたのを思い出しM婦人は苦笑する。
「あの忌々しい顔をもう見なくていいと思うと清々するね。あたしのことを母のように思ってただって……? 馬鹿な子だよ、ほんとに…………」
M婦人は誰に聞かせるでもなく独りごちる。その表情は、棘のある言葉とは裏腹に、かつての誰からも愛された淑女の面影を感じさせるほど穏やかであった。