「異世界で悪役になる?」と誘われたが、俺は俺で悪役の適正がないし、誘う方も誘う方で悪役の適正がない
私は邪神。ありとあらゆる世界を渡り歩き、くすぶってしまった悪しき種を別の世界に送り込み、闇の花を咲かす手助けをしている。
今日はここ、地球の日本に眠る邪の者を探しにきていた。
日本に来た理由は、他でもない、近年この国から多数の善たる異世界転生者が生まれてしまっているからだ。
彼らのせいで、いくつもの世界で悪しき者が滅ぼされてしまっている。しかも片手間に、子供のお使いのノリで倒されているのだ。
我々邪神も黙って見ていたわけではない。様々な手段を用いて抵抗した。
恐ろしい見た目の魔王を用意してみたり、主人公の兄弟を敵にしてみたり、可愛らしい女の子にしてみたり。
しかしうまくいかない。どうしてだかうまくいかない。なんならラスボスの女が主人公に寝取られる始末だった。
邪神の仲間たちで幾度も会議を開いたが、良い案が出ることはなかった。
会議は踊る、されど進まず。
会議室近場のチェーン店も食べ飽き、安くてうまい定食屋のメニューを右端から順々に頼んでいる始末。
こんな日々では駄目だ。同じメンツばっか会うのも段々飽きてきた。早く解決策を考えたい。そう思っていた時、ふと妙案が頭に浮かんだのだ。
どこかの世界でこういうことわざを聞いたことがある。
目には目を。
歯には歯を。
ならば、日本人には日本人をぶつければ良いのではないか?
同じ国に住んでいる同種族の存在なら、戦闘能力も思考能力も些細な違いしかなかろう。
そこで、私はここ日本に来たのだ。
『さて、良さそうな人間はどこにいるだろうか。……ん?』
私の目に止まったのは、人間が多数押し込まれている乗り物(山手線という名称の乗り物らしい)の中で、一人、板のようなもの(これは知っている。スマートフォンだ。異世界転生者は大体持っている)を見つめてため息をつく男性だった。
『二十代といったところか。ふむ。いい具合に絶望している。奴なら他の異世界転生者にも勝てるであろう』
呪文を唱えると、ターゲットの男性はふっと姿を消した。周りの人間は誰も気づかない。それもそうだ。そういう風に魔法をかけたのだから。
『さて、私も行こうか』
口端をあげ、彼と話し合うための空間に向かうこととした。
〇〇〇
スマートフォンをいじっていたら、訳の分からない世界に来ていた。
そんなタイトルのなろう小説、ありそう。探せばありそう。いや、絶対にある。ないなら俺が書こう。書かないけど。
現実逃避を終え、俺は自分の頬をつねってみた。痛い。夢じゃない。
「つまり、ここの世界は異世界に行く前に連れてかれる謎空間なのか」
ならば、遅かれ早かれ女神的な存在が来てくれるに違いない。そう思っていたら、さっそく、背後に人の気配がした。
『はじめまして、人間』
「……っ!」
俺は振り返り、絶句した。
そこにいたのは、長髪美女の女神ではなかった。ましてや短髪くりくりお目目の幼女でもなかった。
おっさんだった。
スーツ姿のおっさんだった。
『私は邪神だ。よろしく』
子供の教育費と家のローンで悩んでそうな、普通のおっさんだった。
「……邪神って見た目じゃない……」
『ふむ? こちらの世界の人間に外見を合わせたのだが、失敗だったか。ならば、これはどうだ』
くるりとおっさんが回転すると、姿が変わった。
『これでどうだ?』
おばさんだった。
トラ柄の黄色い服に、赤いズボン、緑の帽子を被った信号機カラーのおばさんだった。
一体、何を参考にしたらこうなるのだろうか?
混乱する俺の様子を見てないのか、邪神は満足そうにしている。
『やはり、男には女の恰好で挑んだ方がよかったな。助言をくれてありがとう』
「……えっと、……前の姿でいいから、戻してくれないか」
今のままだと、気が散るし、目が痛い。
『ふむ、気に食わなかったか。私は好きなんだがなあ』
ひどく残念そうに、邪神はスーツ姿のおじさんに戻った。
『お前を呼んだのは他でもない、異世界の魔王にするためだ』
「はあ、そうですか……」
魔王かあ。
勇者じゃなくて、魔王の方かあ。
『なんだその反応は。もっと喜べ。それか、どうして自分を選んだのかと聞くがいい』
「……ドウシテ自分ヲ選ンダノデスカ?」
『そんなに知りたいのか?』
「え、いや、そんなに」
『いいだろう。そこまで言うなら教えてやろう』
邪神は人の話を聞かない種族なのだろうか。みんながみんなこうとは思いたくないが……。
『山手線に乗っていたお前は、この世に絶望していた表情を浮かべていただろう? だからお前を選んだのだ。さあ、人間界におさらばして、新たな世界で悪事を働こう』
「……人間界に絶望……?」
そりゃあ、この世に希望は抱いていないが、絶望を抱くほどの重い感情もない。大体、世間に対しても他人に対しても絶望だのなんだのなんてバカでかい感情は抱かない。
困っていると、邪神はニコニコ微笑む。
『恥ずかしがらずに認めよ。ドアに寄りかかりスマートフォンを見つめるお前は、絶望の感情を抱いていた』
「……」
まさかとは思い、俺はおそおそる口を開く。
「その、な」
『ああ』
「充電が、なかったんだ」
『ん?』
「携帯の充電がなかったんだ。いつもは充電器を持ってきてたのに、今日に限って忘れてな。絶対に家まで持たなさそうになかったから、ああ俺は何をやってるんだってショックでな」
『……つまり、お前はスマートフォンの充電がなかったから、絶望していた、と?』
「……まあ、うん。それしか思い当たる節ないし」
『……』
邪神は膝から崩れ落ち、項垂れながら叫んだ。
『なんて紛らわしい! なんて紛らわしいんだ!!』
「いや、なんか、……ごめん。そのー、他の人を選んだらどうだ?」
『それは、駄目なんだ』
邪神は首を横に振る。
『これから予定があってな……。邪神で一番のべっぴんさんと噂のディスシェリーニャルレスちゃんとデートがあるんだ。だから、お前で間に合わせないといけないんだ』
「……」
さっき、人に対してあまり重い感情を抱かないと思っていたが、あれは嘘だ。俺はこいつを許さない。絶対にだ。
憎しみに震えていると、何を勘違いしたのか、邪神は目を輝かせて、『いい目をしている! やはりお前は闇の心を抱いているな!』と喜んでいた。殴りたい。こいつ殴りたい。
俺の怒りを相変わらず察しる様子もなく、邪神はにこやかに微笑む。
『案ずるな。お前の気持ちは分かっている』
「嘘つけや!」
『ふふ、そんなことはないぞ、人間。いや、……佐藤啓介、と呼んだ方がよかったか』
「……っ!」
息をのんだ。
俺はこいつに名前を教えていないはずだ。なのに、どうして……。
『名前を教えていないはずだが、なぜ自分の名を知っているのか。そう思っているな?』
「なっ、どうして」
『私は神だぞ。人間の心を読む程度は朝飯前だ』
邪神は俺の頬を撫でる。いつの間にか、そこまで接近されていた。
『お前は闇の種がしっかりと芽生えている。だから、案ずるな。お前は立派な悪の使徒になれる』
「……」
そうだ。
そうだった。
こいつは俺を訳の分からない空間に転移させた存在で、邪の神だった。
唐突な展開と邪神の馬鹿っぽい振る舞いで勘違いをしてしまっていた。もしかしたら、まだ現実逃避をしていたのかもしれない。
俺は、ようやくこの状況の危うさと、目の前の存在の異質さを認識できた。
本能的に察した。邪神は俺の命を奪うなんて造作もないことなのだと。自分は生かされているのだと。
『そう怯えることはない』
邪神は柔らかな笑みを宿し、俺から少し距離を離す。
『お前は異世界転生者を握りつぶしてくれればいいのだ。さあ、選ばせてやろう。どんな世界を破壊したい?』
「……」
答えないと、答えないといけない。
強迫観念を抱きつつ、俺の胸中にある思いが、――今まで抱いたこともない、昏い破壊衝動が生じていた。
今の生活は、はっきり言って恵まれている方だと思っている。会社を首になることもなく、上司も機嫌が悪いときに近寄らなければ、まあまあいい人だ。同僚もそこそこ、部下も俺のことを立ててくれている。
けれど、将来に希望があるかと言われると、……黙らざるを得ない。
恋人もいない、親友もいない。
それなら、こことは違う別の世界に行ってしまえばいい。
立派な悪役になれるかどうかは自信ないが、邪神の力を借りれば、何とかなるかもしれない。
「……わかった」
俺は、顔をあげる。
「魔王にでも、帝王にでもなってやる。……異世界で、悪役になってやる」
邪神はふっと笑った。
『それでいい。それで?』
「……それで?」
「選ばせてやろう。どんな世界を壊したい?」
「え? あ、ああ、分かった」
こういうのは、こっちの意志とは関係なくどこかに送り込まれる者だと思ったのだが、どうやら選べるらしい。
「そうだな……。やっぱり、異世界となると、剣と魔法の世界だよな。うん。そこに行きたい」
『剣と魔法の世界か。よし分かった』
邪神はぱちりと指を鳴らした。
「え!? もう!? ちょ、ちょっと待って、心の準備が」
異世界に連れていかれると思って慌てたが、どうやら違ったらしい。ポンと音と共に、太い本が出てきた。邪神はペラペラめくると、表情を曇らせる。
『それだけの条件だと、81400000件が出てしまうな』
「……お、おう。そうなのか。思ったよりも多いんだな異世界」
なんだその「検索したい用語を何気なくググったら想像以上に件数が出た」みたいなの。まあ、確かになろう小説だけでもたくさんあるから、異世界がたくさんあっても不思議ではないが……。
『だが、問題ない。ここから絞ればいいだけだからな。これから君には、私の質問に答えてもらおう。そうすれば、お前に相応しい異世界転生先が見つかろう』
転職サイトのような事を言うと、邪神はぺらりとページをめくった。
『まずは第一問。魔法の原理について答えよ』
「ま、魔法の原理?」
なんだそれはと、ポカンとしていると、邪神は眼鏡をくいをあげ、呆れたように肩をすくめる。
『自然の力を原動力にしているか、心の力を原動力にしているか、と聞いている』
「……自然? 心?」
『はたまた星の力か、古の種族が開発した呪文からか、別の異世界の力というのもあるな』
「……いや、そこにあまり拘りはないが……」
『こだわりがないだって!?』
邪神は信じられないとばかりに目を見張り、子供を諭すように語り掛けてきた。
『いいか、佐藤啓介。魔法の源がいかなるものかは、世界観の根源を決める重要な要素だ。ここをないがしろにすると、世界観のすれ違いで悩むことになるぞ。そういうやつを何人も見てきた』
「そ、そうなのか……?」
どんな悩みだそれ。こんなことは言いたくないが、俺はそんなんで悩まない自信しかないが……。
『お前は忘れたのか。私は心が読めるんだぞ』
「ああそうだった。なら言うが、魔法の原理なんてどうでもいいから、適当でいいよ」
『さっきまで私に恐怖していた人間の言葉とは思えない』
「分かった分かった。じゃあ、自然の力でいいわ」
『雑に決めたな……』
苦笑いしつつも、邪神はそれ以上何か言って来ることもなく、ページをめくった。
『なら次の質問だ。異世界の広さはどのくらいがいいか』
またどうでもいい質問だ。
「狭い方がいいな」
今度は下手に絡まれることなく、(けれど渋い顔をしながら)ページをめくる。
『三つ目の質問だ。世界に暮らす種族はどうする?』
来た! ようやく異世界っぽい質問になった!
「そうだな、まずはケモミミ種族だろ? あとはエルフ族、ドワーフ族だろ? ああ、あと小人族もいいな。可愛いし。おっと、忘れるところだった、ロボットの種族もほしいなあ! 俺、メカメカしい見た目の種族が大好きなんだよな! それから」
『待て待て待て待て』
せっかくやる気が出たのに、邪神は口を出してきた。
「なんだよ」
『合計、何種族ほしいんだ』
「うーん、十はほしいなあ。それ以上いたらもっと嬉しいなあ」
しかし、邪神は首を横に振った。
『狭い世界がいいんだろ? だったら人間の種族もそれに応じて少なくならざるを得ない。多くて二、三だな』
「えー……。だったらケモミミ、小人、あとロボットかなあ」
わざわざ三つに絞ったというのに、邪神の表情は晴れないままだった。
『申し訳ないがな、ロボットの種族も無理だ』
「え、なんで?」
邪神はやれやれと言わんばかりに鼻を鳴らす。
『では聞くが、ロボット族はどうやって種族として保っているんだ?』
「え? いや、それは、魔法の力で……」
もごもごと答えると、邪神はバッサリと切り捨ててきた。
『だが、お前が望む世界は自然の力が魔法となる世界であろう? だったらロボット族は魔法との相性は悪そうだが、そこら辺はどう考えているんだ』
「……それは……」
『あと、気になるのはケモミミだな。獣といっても、色んな種類がいる。どの種族の耳にするのか、その理由は何なのかも考えてもらわねばならない。それと、』
めんどくさいな!!!!
思わず俺は心の中で叫んでしまった。いやだってめんどくさすぎる。異世界を侵略するだけなのに、どうしてそこまで考えねばならないのか。俺は小説家ではないんだぞ。
当然ながら邪神に心を読まれてしまい、大きく息を吐く。
『分かった分かった。……どうやら、お前は異世界の悪役になる以前に、異世界に行くことに向いていないようだな』
「いや、そっちの誘い方が悪いのでh」
『そうだ!』
「話聞けよ」
話は聞かず、邪神は目を輝かせる。
『だったら、お前の世界で悪役になればいい』
「……俺の世界……? え? 異世界転移はしないってことなのか?」
『まあそうなる』
つらつらと邪神が思い描く妙案を語りだした。
『そもそも、私の目的は異世界で跋扈する転生者を撲滅することにある。そうだよな?』
「はあ……。初耳だけど……」
『そうか、なら今聞けてよかったな。ともかく、日本から異世界転生者を出さないことが、私の目的だ。だったら、この世界で異世界に行きたいと願う者たちを消してしまえばいい。どうだ? よい考えだろ?』
「……あのー、俺は異世界に行きたいんだけど」
『では、まずお前に現実世界で悪逆非道な魔王になれる力を与えよう』
「お前、話聞く気ないだろ」
心が読めるわりに、こっちの希望を斟酌する気がない。気遣えや邪神。
『お前は悪役としては幼稚だから、指導者として導いているだけだ。そうイライラするな』
人の話を聞かずに言葉を継ぐ。
『それで、具体的な力だが、お前に決めてもらおう』
「……俺に?」
『ああ。こういうのは、力を行使する対象、お前の意志と願いが必要不可欠だ』
「あー、フィクション作品でそういう設定聞いたことあるわ」
思いの力がどうのこうのってのだ。
『そうそう。それだ。で、どんな願いがいい?』
「え、いや、そんな急に言われても」
『長い時間をかけてひねり出した願いよりも、ここでパッと聞いて答えた願いの方が真なるお前の思いだ。さあ、答えてみろ』
「……え、えーっと」
邪神の言うことも正しいかもしれないが、唐突に聞かれても困る。すごく困る。
特に好きでもない同性アイドル集団を指差されて、「この人たちの中で友達になるなら誰がいい?」って聞かれたときくらい困っている。
「願い、願いだろ……?」
冷静になれ、俺。
普段の生活の中で、俺は「ああ、あんなチート能力さえあれば」と思い描いていたはずだ。
思い出せ、思い出せ。
朝起きて、珈琲を飲んで、家を出て、電車に乗って、仕事をして、帰る。
その過程で俺は何を願った?
ふいに、脳裏にとある願いが浮かんだ。俺は何も考えずに、浮かんだ考えを口に出していた。
「そうだな。……電車の席に座っている客たちが、どの駅で降りるのか察知する力……かな」
『……』
邪神、ぽかんと唖然として、首を傾げる。
『何を言っているんだお前……?』
「い、いいじゃないか!」
思わず赤面して、邪神に怒鳴った。
「通勤電車で座れるか座れないかは結構重要だし!! 仕事への意欲にも影響するし!!」
『気持ちは分かるがな、悪役としてどうなんだ? どう悪事に繋げるんだ?』
「そ、それは……。……繋げられない、かもしれないな……」
『……他に何かいい力は思いつくか?』
「あとは、そうだな。充電が切れない携帯電話、とか」
『……どう悪事に繋げるんだ』
「……それは」
『……』
「……」
『「……………」』
辛く、長い沈黙が訪れた。
邪神は頭を抱えているし、俺も俺で目を反らしてしまう。
最初に口火を斬ったのは、邪神の方だった。
『やっぱり、現実世界で悪役を目指すのは止めよう! 異世界に行く方がお前も考えやすいだろうからな! 大丈夫、一緒に考えよう! 私がついている!』
「そ、そ、そうだな! 現実世界だとリアルすぎてな! うん!」
現実世界で悪役云々は一旦水に流し、俺らは再び異世界転移の方針で話をはじめることとした。
『一つ、提案があるんだ。正直にいって、お前はまだ悪役としての思想が目覚めていない。そんな状態で悪の王になっても、うまく悪役として生計を立てられないと思うんだ』
「お前の言っていることは正しいんだろうが、生計って何? 仕事なの?」
『そこで、提案だ。最初から悪の王になるのではなく、他の王の下積みから始めてみてはどうだ?』
下積みってなんだよ、仕事かよ。
「ってか、他の王の下積みって何だよ……」
『アニメや漫画で、魔王が出てくるとき、部下っぽい奴が何人も出てくるだろ? それだ』
「あー。あれね」
と、ここで、俺はあることに気が付いた。
魔王と共に現れる、強力な部下たち。その圧倒的な数にビビるパーティーメンバー。しかし勇者は勇気を振り絞り、雑魚的を焼き払う……みたいなシーンはよく見る。
つまり、俺が魔王の部下になったら、死ぬのでは?
俺の心を読んだ邪神は、軽く笑った。
『心配するな。死亡保険はつける』
「そういう問題ではないだろ……」
死ぬ前提なの? 死ぬ前提で働くのか?
とんだブラック企業だぞ……?
『そう不安がるな。傷害保険だってつけるぞ』
「保険つけりゃいいって問題でもないと思うぞ」
『給料もいいぞ』
「世の中金じゃないから」
死んだら意味ないから……。残す相手もいないことだし……。
『ふっ、何を言っている。確かにお前には恋人はいないが、大切な人はいるだろ』
「えー、いないけど」
『とぼけるな。君は母親思いではないか』
「母さん? まあ、そりゃあ、母さんは大切っちゃあ大切だけど……」
照れが混じって、つい目をそらして頬をかく。
特別マザコンって訳でもないが、まあ、世間一般くらいは、……大切に思ってる。そういえば、そろそろ母さんの誕生日だ。何か買ってやらないと。
『……そうだ』
邪神は優しく微笑んだ。
『いいことを思いついた』
その表情は柔らかでいて、
背筋が凍るような、おぞましさを含んでいた。
『お前は生みの親たる母親を好いている。お前の母親は、きっと、お前をを陰ながら支えている。そうだな?』
「……まさか、」
嫌な予感がした。
「……母さんに、何をするつもりだ!」
『悪いようにはしないさ。そう、悪いようには、な』
「……何をするつもりか、答えろ。そうじゃないなら、俺は、お前に協力しないぞ」
相手は真面目すぎてもはや馬鹿だが、それでも俺をこんな訳分からない空間にテレポートさせただけの力を持っている。
チート能力もなく、頭もあまりよくはない俺が、邪神を名乗る奴に勝てるわけがなかった。今こうしている間でも、足は震え、何なら声も震えている。
けれど。
身近な人を、危険にさらしたくはなかった。
ちっぽけな勇気を振り絞って、邪神を睨む俺。
だがしかし、邪神は俺の怒りなど造作もないとばかりに、軽く笑う。
『そう怒るな。危害は加えん。私がすることは、ただ一つ』
邪神は、口元を緩める。
『異世界に行くなら、母親も同伴させよう』
「……は?」
『それならどうだ。どんな危険でも乗り越えようって気持ちになるだろ?』
「いや、……え?」
ああ、これぞ所謂、拍子抜け。
「いや、その、あのだな」
『おう』
「異世界に行くのに、保護者同伴って、……なんだそれ……?」
『だが、どこかの人間は、親と一緒に異世界転移してなかったか?』
「あー、そんな作品もあったような……。けど、あれは特殊なだけだろ。俺の親はごくごく普通の親だし……。そもそも、俺は勇者じゃなくて、闇の王様になる訳だろ? それなのに母親が付いてくるなんて、なんか、こう、みっともなくない?」
俺だったら、そんな魔王の下につきたくない……。
「お母さん、今日の晩御飯なに?」「カレーよ」「やったあ!」みたいな会話している闇の王様とか絶対に嫌だ……。
邪神は笑顔を曇らせて、悩ましそうに腕を組む。
『ふむ、なるほど。分かった。父親も連れてきてほしいってことだな』
「お前は何も分かっちゃいない」
ほんと、心読めるくせに人の気持ちが分からない奴だな。
ついついそう思ってしまうと、さすがの能天気な邪神もムッとしてしまった。
『そこまで言われては仕方ない。……私の本気を、みせてやろう』
「……え?」
邪神は、軽く手を叩くと、あるものを召喚した。
スマートフォンだ。
しかも、俺のスマホだった。
邪神はニヤリと悪そうな笑みを浮かび、……見た目が四十代おっさんのせいで非常に演技じみた笑顔を浮かべて、スマホを見せびらかすようにゆらゆら揺らす。
『私の言うことを聞かないのなら、このスマートフォンの命が、ないと思え』
「……はあ、まあ、お好きにどうぞ」
『なんだと!?』
邪神は目を丸くさせて驚く。真剣に驚く。
『す、スマートフォンだぞ!? 一台いくらだと思っている!? それをどうにかしようとしているんだぞ!?』
「いや、バックアップは定期的にしてるし、そろそろ買い換えようと思ってたから、別に壊してもいいぞ」
『なん……だと……!』
信じられないとばかりに、邪神は驚愕する。
『馬鹿な……。歴代の異世界転生者は、スマートフォンさえ人質にすれば言う通りになったのに……!』
「歴代の異世界転生者ちょろすぎないか?」
バックアップを取ってない状態で壊すぞって脅されたら、受け入れたくなる気持ちも分からんでもないが……。
なんて考えていたとき、
『うおっ!?』
俺のスマートフォンが軽やかなメロディを奏でた。
『なんだ、なんだ、緊急地震速報か!?』
「メールが来ただけだぞ」
『メール……? ラインのようなものか?』
「いや、普通にメールだよ。……メールは知らないのに、ラインは知ってるんだな。って、お、おい」
邪神は俺に何の断りもなく、スマートフォンをいじりはじめた。指紋認証をしているはずだが、さすが腐っても神。ロックされることもなく、スマホを立ち上げる。
『何々?』
馴れた手つきでスクロールをしている邪神だったが、段々と顔色が悪くなり、ついには、顔が真っ青になっていた。
『……お前、そういうことなら、もっと早く言え!』
「へ? なにが?」
『いいから帰れ!!』
俺の返事を待たず、邪神は俺を払いのけるように手を横に振る。
瞬きの間に、俺は元の場所に、満員電車に戻っていた。
「……へ?」
電車は軽く揺れ、目の前の会社員たちは疲れ切ったような顔をしていた。ドアの隙間から、ほんのりと夜特有の風が吹いてくる。
いつも通りの喧噪、いつも通りの光景。
人一人がどこか妙な空間に瞬間移動され、再び戻ってきたとは、誰一人として気づいてはいなかった。
けれど、俺には分かる。
あれは現実だった、と。
それにしても、邪神は一体どんなメールを見たのだろうか? 妙に動揺していたが……。
何気なく携帯を開き、メールを眺める。
メールには、こう書いていた。
『こんにちは! 私はあなたの前世の恋人です!
死に分かれて以降、私は、あなたを探していました
その結果、あなたを見つけられました。
あなたと共にしたい。あなたと一緒に暮らしたいと、切実に思っています。
ですけど、私は、お金がありません。
この口座に、百万円を入れてください。
そうすれば、私は、あなたと出会えます』
そこまで読んで、俺はメールを閉じ、
思わず、呟いた。
「詐欺じゃねえか……」
詐欺に騙される邪神って、一体何なの……?
項垂れていた俺は、あることに気づいてしまう。
「って、」
充電が、ない!!!!
さっきまで二十パーセントはあったのに、八パーセントしかない!!!
なだ、なぜだと頭をフル回転させ、俺はある結論にたどり着いた。
邪神にテレポートさせられた世界で、メールを受信したのだ。そのせいで充電を異様に使ってしまったのではないか?
合っているかどうかは分からない。
けれど、それしか思い当たる節がない。
「……あの神め……!!」
俺は唇を噛み締め、苦々しく呟いた。
〇〇〇
あたちは女神。ありとあらゆる世界を渡り歩き、本当は優しいのに、くすぶってしまった人を別の世界に送り込み、善の花を咲かす手助けをする神ですっ!
今日はここ、地球の日本に眠る光の者を探しにきてますっ!
『さてさて、良さそうな人間はどこにいるかなっ? ……ん?』
あたちの目に止まったのは、電車の中で、一人、スマホを見つめて、怒っている男性だった。
『二十代といったところにゃ? 悲しく絶望してまちゅね! けどけどっ、あの人も他の世界にいったら、優しくなれるはずっ!』
呪文を唱えると、ターゲットの男性はふっと姿を消した。周りの人間は誰も気づかない。それもそうだ。そういう風に魔法をかけたのだから。
『さて、あたちも行こうかなっ!』
口端をあげ、彼と話し合うための空間に向かうこととしたよっ!
〇〇〇
その後、彼は幾度も消えたり現れたりを繰り返し続けたが、異世界に行くことはなかった。そして、彼のスマートフォンの充電が家まで持ったか否か、知るものは誰もいなかった。