第2-1話 異変ー前ー
「うわっ!?みんな逃げろ!〝不幸〟がこっちくるぞ!!」
そう言って子供たちは、遊んでいた公園から笑いながら走っていった。残されたのは、彼らの輪に入っていなかった少年だけ。
彼は、みんなの仲間に入れてもらおうと思って来たわけではない。ただひとりで遊ぼうと思って公園に来ただけだった。入り口に立って遊べる場所を探していただけ、それだけだった。
少年の名前は『マルール』。彼が邪険にされるのには理由があった。彼の周りでは、必ず〝不幸〟が起きた。出来事の規模は大小あるが、必ず何かが起こった。
彼の両親は、そんな彼の境遇を気味悪がり祖父母に押し付け去っていった。もうこの町にはいない。その祖父母も、彼の不幸が招いたか定かではないが、もうこの世にはいなくなっている。
正真正銘、彼は一人だった。
少年は公園のベンチに腰掛け、空を見上げる。今日は生憎の曇り空だったが、彼にはこういった天気の方が心地よかった。
数分の後、地上に視界を戻すと、そこには得体の知れない〝黒いなにか〟が多数蠢いていた。大人の身丈ほどの大きさ、そして棒状でありながら軟体にゆらゆらと揺らめいているそれは、道行く人をその身に飲み込んでは地面に消えていった。
少年は、これも自分がいるから起きていることなのだと思った。本当に彼のせいかどうかもわからないものですら、彼がいるだけで彼のせいになる。周りがそうであるように、自分自身でもいつの間にかそう思うようになっていた。
しばらく傍観していた少年は、いつの間にか自分が囲まれていることに気づいた。どうなるかはわかっている。しかし、不思議と不安や恐怖はなかった。むしろ安堵にも似た感覚。これで、自分はこの〝不幸〟の運命から解き放たれるのではないか。そう思い目を閉じると、数瞬と待たず、まぶた越しの光さえ感じられなくなった。
この日この町には、最悪の〝不幸〟が訪れたのだった。
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大陸南部に位置するこの街には、とても人気のサーカスがあった。そのプログラムの中で最も人気を持つのが、彼、『アンフィニ』の〝無限〟であった。
今日も満員御礼。皆、彼のショーが始まるのを楽しみにしていた。その舞台裏にあり、これからの出番に緊張を隠せずにいるアンフィニ。
「あぁ~・・・今日も人がいっぱいいるよぉー!?」
「あんた毎日それ言ってるよ?そろそろ慣れな。あたしらはプロなんだからさ。」
先輩の女性パフォーマーに喝をいれられるアンフィニ。彼はもともと臆病な性格らしく、出番の前はいつも不安にかりたてられていた。
しかし、彼の気持ちが整理される前にステージの明かりが消え、同時に観客席からの音が静まる。腹を決めステージへと出ていくアンフィニ。
「レディース、アーーーーーンド、ジェントルメーン!!今宵もお集まりいただきありがとうございます!これより、わたしアンフィニの題目〝無限〟の、開幕です!!」
ステージ中央で口上を述べる。そして、言い終わると同時に明かりがついた。しかし、彼の目に映ったのはありえない光景だった。
さっきまで満員の中にあった観客席には、誰ひとりとして客がいなくなっていた。その代わり、〝黒いなにか〟が次々と地面から生えてきていた。
「え・・・へ?!」
驚愕と同時に訪れる恐怖。事態の飲み込めないアンフィニは怯えた声を漏らし、後退りする。しかし、舞台裏から悲鳴が聞こえ、それ以上下がることすらできなくなった。
「アンフィニ!?早く逃げな―――――――」
舞台袖からこちらに走ってきていた先輩が、自分に逃げろと声をかけている途中で、アレに飲み込まれた。
「う・・・・うわぁーーーーーー!!」
アンフィニが叫ぶと同時、場内に数え切れないほどの彼が現れた。
題目〝無限〟は、この彼の能力を使ったものである。自分でもわからないが、アンフィニは生まれつきこの能力が使えた。幻や鏡のようなものではない。増やした自分はそれぞれが別々の行動をとることができ、また、自由に消すこともできた。そして、増えたものが偽物かというとそうではないらしい。すべてが彼自身だというのだった。
「ひとりでも逃げることができたら・・・・俺の勝ちだ!!」
アンフィニが最後の勇気を振り絞り、全員で駆け出した直後、すべての彼が黒に飲み込まれた。
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「待てぇーーー!!今日こそ捕まえてやるぞーーー!!」
「はっはぁーーー!!あんたらみたいなのろまに、ボクを捕まえることはできないさ!!」
警官隊の遥か前方、軽快な足運びで、細い路地裏をスイスイと駆け抜けていく男。
彼の名は『ライト』。泥棒である。しかし、彼は盗みに命をかけているわけではなかった。彼が求めているのは、今この状況にあるように追いかけっこだった。無類の瞬足を持ち、いままで一度と捕まったことはない。また、泥棒の割には白系を多く使った明るい服装をしている。その為もあってか、巷では『閃光のライト』と呼ばれていた。
今日も余裕のチェイスを繰り広げていたライトだったが、ふと、ある路地を曲がったところで、追いかけてきているはずの警官隊の声が聞こえなくなった。
「なんだ?今日の警官連中は根性ねぇなぁ。」
立ち止まり、後方に耳を傾けながらつぶやく。確かに自分には彼らを撒く自信はあった。でも、まだそうなるほど全力で走ってはいなかった。だから彼は、警官隊は早々に諦めたものだと思った。
「ったく、つまんねぇなぁ・・・・」
呆れ顔でゆっくりと歩き始めようとしたとき、彼も異変に気づいた。
「・・・・・足が、動かねぇ。」
ふと足元に視線を落とす。そこには、膝下まで〝黒いなにか〟に絡め取られていた。何度動かそうとしても、足はいっさい動かない。そのうえ、徐々にその黒い塊の中へ引きずり込まれていっていた。そこでライトは、警官隊もこれに飲まれたのだと悟った。
「おいおい・・・瞬足が足を奪われたらおしまいだな―――――――」
それが、閃光の最期の言葉となった。
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聖王皇堂東部支部へと向かう街道、そこを悠然と歩く3人の男がいた。
「だからな?時期聖隊候補の俺としてはだ、早々に二つ名を決めておかなければならんと思うわけだ。わかるよな?」
「オレはその考え自体が時期尚早だと思うけどな?」
「くすくす。でもまぁ、考えておくだけなら自由ですからね?」
聖王皇堂騎士隊遊撃軍所属、小柄でしかし体格のいい男の名は『アイギス』。馬にまたがり全身甲冑を身に纏う大男は『ホースマン』。二人のやや後方を歩く、細身で女性のような表情を持った人物は『レイジング』。
彼らは各地で起きている謎の失踪事件と、それに関係しているであろう〝黒いなにか〟を調査しつつ、東部支部と合流する為この街道を歩いていた。
「だいたい二つ名だとか、もうほとんど決まっているようなものじゃないか。聖王講堂唯一の盾使い。というか大陸でもお前ぐらいしかいないけどな、盾だけで戦っているのは。」
「『盾のアイギス』と言ったら、皇堂内でもそれなりに知名度はありますもんね?」
ホースマンとレイジングの言葉に、それは違うと首を大きく横に振るアイギス。
「色だよ!い・ろ!!『盾のアイギス』なんて色の欠片もねぇじゃねぇか?!聖隊の連中は必ず自分を象徴する色をもってんだ!!それを全面に出さなきゃ意味ねぇじゃねぇか!!」
自分の意見を熱弁するアイギスに、ホースマンがやや呆れた感じで問いかける。
「いや、色はいいんだが・・・おまえを象徴する色って何だ?」
「・・・・・銀・・・とか?俺、銀髪だし?」
「でも、銀はすでにいますからね?『煌銀のシルヴィア』さんが。彼女は銀髪に加えて全身が銀の甲冑ですからねぇ。」
レイジングが申し訳なさそうに、しかし、アイギスの提案を真っ向から否定した。それにホースマンが大きく首を縦に振って頷く。
「ん――――じゃ・・・じゃぁ、灰色!俺らの隊服!」
苦慮しながらも次の言葉をひねり出す。しかし、その答えにホースマンは大きくため息をつきながら返答する。
「はぁー・・・・その理屈なら、オレたち全員該当するだろうがよ?」
「ぬ・・・ぬーーーん―――――――」
そんなやり取りをしながら歩を進める3人。しかし、唐突に歩みを止めそれぞれの武器を手に取り背中合わせになる。その理由は、自分たちの周囲にあった。
「・・・・これが、件の〝黒いなにか〟ってやつでしょうか?」
ゆらゆらと揺れながら自分たちを取り囲む、それ。しかも徐々にその数を増やしていく。その様子に、少し恐怖を覚えながらレイジングが言葉を発する。
「これは・・・確かに、恐怖しか覚えない光景ですね――――――」
「確かに――――この異様さ・・・間違いなさそうだな。アイギス――――どうする?」
ホースマンも、言いようの知れない不安を積もらせながら言葉を発した。しかし、言葉を向けられたこの男の口元だけは、不敵な笑みを浮かばせていた。
「どうするか?―――――決まってんだろ?ぶっ潰す!!」
言葉と同時に、両手に携えた盾を打ち鳴らし、姿勢を低くし今にも駆けださんという体勢をとった。
その言葉と行動に、二人の恐怖心と不安は一気に消えていった。
「・・・・まったく、あなたという人はどんな状況でも変わりませんね?」
「本当だな。人並みに不安がっていた自分が馬鹿に思えてくる。」
そう言って、レイジングとホースマンも再び自身の武器を握りなおした。
「ここを突破して、東部支部までたどり着く。土産付きでな!二人とも付いて来いよ!?」
「「おう!」」
アイギスの号令に二人が応えると、3人同時に、黒い何かに向け疾駆していった。
その後、彼らが東部支部へたどり着くことはなかった。
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屋敷の2階に一人の女性がいた。ベッドに腕と頭を預け、床に座り込んでいる。腕を伸ばし、小さなテーブルに置いてあったコップに触れる。すると、コップは砕け散った。大きくため息を吐き、ベッドに顔をうずめる女性。
彼女の名は『リフュース』。彼女は、幼いころから特殊な力があった。
物心つかぬ頃から、彼女が癇癪を起こすと物が壊れたと、彼女の両親は語っていた。それ以後も、彼女が嫌な気分になっていたりすると、度々その現象が起きたという。彼女の両親すらも不気味がってはいたが、それでも、娘としてしっかりと育ててくれていた。
しかし、いつまでたってもその現象が治まることはなく、むしろ破壊の度合いが強くなってきているようにも感じた。そのことで徐々に両親の関係も悪化していき、遂には、彼女には悪魔が憑いていると言い、聖王皇堂に対処を依頼するとの話になった。彼女の意見は聞かず、両親ともに彼女の腕を掴み、強行的に連れて行こうとした。その時彼女は、初めて両親を激しく拒絶した。
次の瞬間、二人は砕け散った。
朱に染まった部屋と、人の形を失った両親を目の当たりにして、彼女は一つの解に至った。「私は呪われている」と。
それ以後、家から出ることもなく自室に閉じこもり、ただただ無気力なまま時間だけが過ぎ、また、生きることへの意力も失ってきていた。
事件から数日が過ぎ、飢えすらも彼女の行動理由にならなくなってきたころ、それは現れた。
唐突に現れた〝黒いなにか〟。それはゆらゆらと揺れながら、彼女に向かって伸びてきた。
彼女にはもはや、それが何であるかなど関係はなかった。ただ、今までそうしてきたみたいに、拒絶を込めて手を伸ばすだけ。
黒は、予想に反せず、飛び散った。深くため息を吐きながら目を閉じ、再び開いた彼女は驚愕した。飛び散ったと思ったそれは、また目の前に同じように揺れていた。そして、徐々にその数を増やしていっていた。
彼女はもう一度手を伸ばす。案の定、黒は飛び散った。しかし、その先からすぐに新たな黒が伸び出てきた。
そして彼女は、笑った。
「あなたは・・・あなた達は、私の拒絶も受け入れてくれるのね――――」
彼女はそれに向かって両手をかざす。そして、部屋を覆いつくすほどの黒が、彼女を取り込んでいった。
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「これは、だいぶ困った状況じゃのう―――――のう?ムラクモ。」
派手な装いの女性が大太刀を振るい、〝黒いなにか〟を薙ぎ払う。女性は自分の背後にて戦う人物に声をかけていた。
「その名は捨てたと申したはずですが?ウラ殿。某の名は〝ソーディアン〟と呼びならわしていただきたい。」
そう言葉にするのは、色こそ派手さはないが、女性と近しい装束を身に纏う男性。その手には2本のククリ刀が握られ、共に黒を切り伏せていた。
「それはすまんのう・・・・・して、ムラクモよ?儂には隠し手がある。じゃから、この場を切り抜けるのは造作もない。お主を共にしても、の。じゃがそれは、お主の望むところではないのじゃろう?」
周囲の黒を排除しつつ会話を交わす。徐々に近づき、二人は背中合わせに黒と対峙するような形になった。
二人の名は、女性がウラ、男性はムラクモ。この大陸の東にある小さな島国〝ヒノモト〟から渡ってきた武芸者である。しかしムラクモは、こちらの大陸に渡ってきてから、自身を〝ソーディアン〟と呼ぶようになった。その理由はウラにも不明であった。
修行の一環とし、大陸を渡り歩いていたところ、この〝黒〟の襲撃にあっていた。幾度となく退けてはいたが、今回は、比にならない数が押し寄せていた。
「このソーディアン、ウラ殿のお力添えなくこの場を切り抜けてこそ、弟子としての矜持と心得ます。」
「うむ。では、この場より脱し再びまみえし時は、我が技の伝授を始めることを約束しよう。」
女性の言葉に、口元に笑みが浮かぶソーディアンと名乗る男性。
「それは喜ばしいお言葉!このソーディアン、俄然、血が滾りますわ!」
「結構。では、今生の別れにならぬこと祈っておるぞ――――さらばじゃ。」
その言葉を最後に、自身の後ろにあった女性の気配が、禍々しいものに変容したのを感じた。そして、数舜と待たずその気配が薄れたのを感じ、後ろを向く。そこに女性の姿はなくなっており、自分たちを取り囲んでいた黒の防壁の中に、一本の道だけが出来ていた。
「・・・・・我が師匠ながら、未だ正体のわからぬ化物であるな。」
そう一言だけ口にすると、再び黒に鋭い眼光を向け、構えを取るソーディアン。
「だが!某はその化物の弟子がゆえ、この程度で屈するわけにも行かぬ!さあさあ、その命、惜しくなき者から前へ出よ!惜しきものは去るが良い!我が名はソーディアン。伝説と名高き名工、〝錬鉄のウラ〟が弟子にして、〝ヒノモト一の侍〟を目指す者!いざ、〝ウジョウ〟〝サジョウ〟と共に参らん!」
口上を添え、両手のククリ刀を強く握り敵へと疾駆。怒涛の勢いで黒を殲滅していった。
しかし、彼らが今生で再び会うことは叶わなかった。