第1話 始まり
「それじゃぁ・・・私たちも行くわね。」
そう言うと、アリスとチャトも出発していった。一人残ったウィズダムは、かつて同じようにここから出立し、戦いに臨んだ者たちを思い出していた。
「あれから・・・・そんなに経つのね。あなたの計画より時期は早いけど、ここで終わるならそれに越したことはない。それに・・・どこに行ってしまったのかと思ったけど、ちゃんと役目は果たしたのね、マリア・・・・・・彼女たちなら、あなたたちの十字架も背負って戦ってくれる。そう、心から思うわ。」
言い終えるとウィズダムは蒼空を見上げ、目を閉じ物思いにふける。遠い昔の、ここに繋がる始まりの出来事を思い出しながら。
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薄暗い部屋。室内を照らすのは魔法陣を囲むように立てられたロウソクだけ。その中央に立ち、言霊を並べていく男。最後の口上であろう言葉を発し終えた男は、手に持つ小瓶から黒い液体を床に落とした。
陣はほのかに光を放つが、それは男が望んだ反応ではなかったようだ。頭をかしげる。
「おかしい――――――足りないのか?」
そう言うと、一度陣から出て近くの机へと向かう。よく見れば、小さな部屋には所狭しと棚が敷き詰められており、魔術書と思われる本や、何かの薬品、実験道具などがぎっしり詰まっていた。男が向かった机の上にも同じようなものが散在していた。
男が手にとったものは、先ほどの小瓶に入っていたものと同じであろう黒い液体が入った容器だった。
手にとった男の口元が緩む。その時だった。
『バンッ!!!』
部屋の扉が急に開かれ、数名の白を基調とした甲冑を身につけた男たちが入ってきた。男は、驚き振り向いた拍子に容器を落とし、中身を床にぶちまけてしまった。
わざわざ取りに行った黒い液体。それは、彼がやろうとしていたことに必要不可欠なものであることは想像に易い。しかし、その大事なものを落としてしまったにもかかわらず、彼は微動だにせず扉の方をみて驚愕の表情を表していた。彼女がここにいる。それはつまり、男には万が一にもこの場を逃れうる手段がないことを示していた。
男が見つめる先。扉の向こうには、甲冑を着た者たちから遅れて、ゆっくりと歩いてくる女性がいた。
身に纏う服と甲冑は白を基調とした、いや、白一色。まさに純白と呼ぶにふさわしい姿をし、腰には左右一本ずつ長剣を携え、さらに背にも大きな十字架に似た剣を携える。長く綺麗な銀髪が、彼女を一層神々しく表していた。
「やっと見つけましたよ、コメンス。禁止行為判決違反、それから聖王皇堂本都管轄外への、無許可外出・・・この場合は逃亡と言ったほうがしっくりきますね。あなたがどこで何をしようと私の知ったことではありませんが・・・あなたも、聖王皇堂認定の魔術師であるならばそれに準じた行いをするべきでした。罪には罰を・・・・あなたを拘束します。」
純白の女性がそう言葉にし、コメンスと呼ばれた男に対峙する。
「あんたが・・・・『純白のマリア』――――――あんたが出てきたってことは、オレはもうおわりか・・・・・・・あとちょっとで、完成だったんだけどな。」
観念したというように、男の肩が項垂れた。ふと目線を落とした地面に、彼は釘づけになった。次の瞬間、魔法陣が一気に光り輝いた。どうやら、先ほどぶちまけた黒い液体が、床を這って陣にたどり着いたようだった。
仄暗い光と振動が部屋中を行き交う。甲冑を着た者たちも、あまりの様相の変化に戸惑いを隠せずにいた。ただひとり、マリアだけは眉ひとつ動かさず動静を見極めようとしていた。そしてもうひとりは、歓喜に満ち溢れていた。
「はははははは――――やはり、オレの理論に間違いはなかった!黒き水が予想より必要だったというだけ!ここに、我が研究は完成を見た!!」
コメンスの高笑いをよそに、魔法陣はより一層輝き、陣中央から黒い煙のような雲のようなものが現れ天井をまたたく間に埋め尽くした。そして、さらにまばゆく暗い光が破裂し、部屋にいるすべての者の視界を奪った。
光が収まると、ゆっくりと目を開ける。その目の前には、何もなくなっていた。光も、黒い煙のようなものも、床に描かれた魔法陣までも綺麗に消えていた。
「ははは――――――――は?」
男の高笑いが疑問符で終わると、しばらくの静寂。ふと我に返った白い甲冑の男たちが、急ぎコメンスを拘束する。そのまま部屋の外へ連れ出されるが、その間ずっと、彼はなにかをブツブツと繰り返し呟いていた。
その様子を横目に眺めたあと、マリアはもう一度部屋を見渡す。先程までの異様さは全くない。何が起きて、何が収束したのか。マリアには知る由もなかった。しかし、彼女の違和感が消えることもなかった。
「・・・これで、終わってくれればいいんだけど。」
その言葉を最後に、彼女も部屋をあとにした。
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コメンスが拘束されて2週間が経った。彼は今、ランドシーに浮かぶ聖王皇堂管轄終身刑務所、通称『デッドランド』に幽閉されている。彼はこの期間ずっと、自分の理論を何度も何度も頭の中で繰り返し検証していた。しかし、どこを探しても間違いを見出せずにいた。
「なぜだ・・・何が間違っていた・・・いや、何も間違っていない・・・・なぜだ――――――」
「あなたは何も間違っていないですよ、魔術師殿。」
ふと聞こえてくる、聞こえるはずのない声。コメンスのいるところは独房。刑務官が扉を開かなければ誰も立ち入ることなどできない。コメンスは立ち上がり声のする方を向く。そこには、どうやって中に入ったのかわからないが、一人の男が立っていた。明らかに聖王皇堂の人間ではない風貌。その口元は軽く笑みを浮かべていた。
「おまえは・・・・誰だ?」
「これは失礼をいたしました。私はベイフェオラと申します。平たく言えば〝悪魔〟と呼ばれるものです。」
「悪魔――――だって・・・・・・」
その言葉は、にわかには信じ難かった。そう思うのはコメンスだけではないだろう。この世において、それが存在しているのは物語の中だけだと思っていた。だが実際、この状況にあっては一番信頼性のある言葉にも聞こえた。
魔術師という立場であるコンメスにとって、彼を悪魔として認識することについては、大して難しいことではない。かの存在に立ち会えたという事実は、本来であれば喜ぶべきところだ。しかし、ここで一番の疑問は、なぜ彼が自分の前に現れたかということだった。
「・・・・・あんたが悪魔であることを前提に話をさせてもらうが・・・なぜオレの前に現れた?さっき、オレの理論には何も間違いがないなんていうようなことを口にしていたよな―――――なぜそれがわかる?」
コメンスの質問に、彼の口元は一層笑みを深くする。
「そうですねぇ。まず何から話せば良いかとするならば・・・・あなたの創り出した〝アレ〟。アレは確実に現世に存在しています。私が直々に確認をいたしましたので。アレは素晴らしい。魔術の原理など私にはさっぱりわかりませんが、アレがなんであるかは理解ができます。〝意思を持つ闇〟・・・・・あなたが私に質問しているところ大変申しわけないのですが、ひとつ、質問を返させていただいてもよろしいでしょうか?あなた・・・・アレを創って何をするつもりでしたか?」
いままでの飄々とした態度はそのままに、雰囲気だけが変わるベイフェオラ。その変化にコメンスは少し戸惑ったが、ベイフェオラが自分の創り出したものの正体を言い当てたことで、彼が本当に悪魔かもしれないと感じた。そのせいもあってか、この言いようもしれない雰囲気を出していた方が、彼は本物らしいと思った。
「・・・・・別にあんたが聞いたところで何のためにもならないと思うけどな。まぁ、いいさ。こんなところにいる以上、アレが完成してもオレの望みは達成されない。」
「その望みというもののために、アレを創ったと?」
「簡単に言うとそうだ。オレは、聖王皇堂最強の魔術師になりたかった。その為にはオレの実力を示す必要があった。だがアレの研究を始めると、皇堂の連中はオレからアレを取り上げようとしやがった。わざわざ禁止行為判決なんていうものまで出しやがって。だから、オレは聖王皇堂を抜け出した。皇堂の連中が動いたってことは、完成したときどうなるかがあいつらにもわかったからだ。だからこそ、オレ一人の手で完成させる必要があった。そうすれば、いやでも認めざる得なくなるだろうからな。奴らを・・・皇堂の連中を見返すことができる――――――だが、それももはや泡沫の夢だ。ここに連れてこられた以上、オレはもう日の目を見ることはないだろうさ。」
最後の方は言葉に覇気がなくなっていた。口にしながら、自分の置かれている境遇を確認したかのようにも見えた。さらに、アレは実は完成していたなどと言われては。コメンスの落胆は見て分かるほどに明らかだった。
その話を聞きながら、ベイフェオラの口元はどんどん笑みに満たされていった。その表情から、彼が何かを企んでいるのは明らかだったが、コメンンスにそれを読み取る判断力は既になかった。
「それなら・・・いっそ、アレに世界を破壊してもらってはどうですか?」
「!?―――――」
思わぬ提案に、しかし、心がわずかに踊るのを感じるコメンス。その反応をベイフェオラが見逃すはずもなかった。
「あなたの望みが叶わぬ世界ならば、破壊してしまっても構わないでしょう?さいわい、それを成すことができるものをあなたは創り出した。後は、私に任せて頂ければいい。アレに知識を与え、力を与え、大成させてみせましょう。さらに、アレが本格的に侵攻を開始した暁には、我が悪魔の軍勢も貸与え破滅を完全なものにしてご覧にいれましょう。想像してみてください。あなたの創り出したアレが、軍勢となし、さらに悪魔を従えて破壊の限りを尽くすところを。」
嬉々として話すベイフェオラに、通常の人間であれば恐怖を覚えただろう。しかし、今のコメンスには期待のような感情しか浮かんでいなかった。極限の環境と状況、その中で日々を過ごすことで、もはや正常な感覚など麻痺していた。
「世界の破壊・・・・・それはもちろん、アレがメインでという事だよな?なんだかんだ言って、お前のいいように使うわけじゃないんだな?」
「もちろんです。悪魔の契約は絶対。契約に関して我々が嘘をつくことなどありません。」
「・・・・いいだろう。その契約、結んでやる。この世界を・・・ぶっ壊せ。」
コメンスの承諾に一層笑みを深くするベイフェオラ。そこに、コメンスが右手を差し出してきた。
「オレはコメンスだ。よろしくた―――――――――――」
『ドシュッ!?』
コメンスに、一瞬の激痛と驚愕が訪れる。そしてそれ以後、コメンスが動くことはなかった。
「契約、成立。」
そう言ったベイフェオラの左手には、弱々しく脈打つ赤黒い塊が握られていた。腕を伝っていく鮮血を舌で舐めとり、じっくりと味わうように飲み込む。
「ん~・・・。やはりこの味はやめられませんね。格別です。それにしても・・・よもや悪魔が何の代償もなしに契約を結ぶとでも思ったのでしょうか?やはり人間は愚かですねぇ。代金は、あなたの命ですよ?」
くすくすと笑い、口元の笑みは一層妖しさを増す。独り言をつぶやきながらも、血を舐め取り味わうことはやめなかった。
「まぁ代金を頂いたわけですから、契約はちゃんと守りますよ?だって・・・今回はとても楽しそうですからねぇ。ふっふっふ――――ははは、ははははははーーーーーー!!」
高笑いをするベイフェオラ。そして左手に持つものを、大口を開けかぶりついた。