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死期を前にして

どんな生の哲学があるのだろうか、オイケン(80才)、ベルグソン(80才)、クローチェ(86才)、新理想主義者たち、長生きしているなー、ニィチェ、ショペンハウエルにしても、虚無との格闘の中から、生の哲学を標榜している、現代の絶望世界にあって、死生学を捉えた上で、生の哲学をこそ考えねば、新理想主義ではない、一個としての、生への問いを、

死期を前にして


どんな生の哲学があるのだろうか、オイケン(80才)、ベルグソン(80才)、クローチェ(86才)、新理想主義者たち、長生きしているなー、ニィチェ、ショペンハウエルにしても、虚無との格闘の中から、生の哲学を標榜している、現代の絶望世界にあって、死生学を捉えた上で、生の哲学をこそ考えねば、新理想主義ではない、一個としての、生への問いを、


だから愛していく以外にない


世界の絶望を、私の死を、想定、規定するなら、生きることとは、愛していく以外にないということ、刻々を愛するように、世界を、絶望も含めて愛していく、核も含めて、存在のバリエーションであることの、愛するとは、聖書でも、文学でも、哲学でもいいだろう、存在への喜び、感謝、共感、連帯、肯定、受容、「未踏」の、日々刻々の、あの覚悟の時のように、これからの余命を味あう、


赤いイスタンブール


作家同士、彫刻家、画家の、芸術と愛の物語、細かいカットを駆使し、物語を展開していく、その細かいカットが、小気味良い、背景の奥深さを醸し出し、繋ぐセリフも良く練られている、テーマは、作家のコンプレックスと、一人の女への競い合いだが、クルド民族、トルコの政情という背景を点描することで、時代と風土が生き、文学、哲学を感じさせる、

ファルカン・オズベテク(トルコ)1959年、「向かいの窓」を観ていた、


ドローン戦争の真実(ドローン・オブ・ウォー)


第2のスノーデン、女性ドロンアナリストの告発、戦争をTVゲームのように、地球の裏側に居て、OLの女性がやる時代、PTSDに苛み、自分の命を危険にさらないで、戦争するとは、殺人そのもの、戦争が殺人であることが明らかに、原発も似る、自分は安全地帯に居て、人を被曝させる、そこにある人の罪の意識、正当性や意味が喪失、


「大いなる旅路」~関川秀雄と、「午後の遺言状」~新藤兼人と、「GO」と、行定勲と、


国鉄と、老人と、在日と、どれも色あせて見える日本映画、世界認識の低さが、日本映画を詰まらなくさせている、すべからく日本映画の狭さ、お話、操り人形俳優、何が、どこがヨーロッパ映画と違うのか、「ヒロシマ」を撮った関川にしても、新藤にしても、安っぽい理想主義のせいか、人物が個人として成立していないからか、因習、前近代に対して、批評眼が乏しいからか、予定調和と、人情を基調としてているからか、ペシミズム、虚無感が無いからか、不条理、抑圧に対して、抵抗、俯瞰の視点が無いからか、封建、戦争を描く時、デモクラシーの到達点から捉える視点が無いからか、近代と言うものが経過されていないからか、個人、人権、自由、ナショナリズムの未発達、夥しい娯楽としての映画、リアリズムと言うものが、写実と言うものではない、物の本質を捉えるという、ヨーロッパ近代というものの、壮大な歴史、文化の総合の上に在ったということ、映画をいう時、ネオリアリズモ、エイゼンシュタインのアバンギャルドの、映画にしかできない世界の、

タルコフスキー、タルベーラのような映画作家が、


共生について


欲望が全ての悪の元凶であるとするなら、その欲望を必要としない社会への、転換が出来なければ、共生は可能とはならない、何故に人は学ぶのか、何故に人は競うのか、何故に人は求めるのか、何故に人は存在を受容できないのか、核の、AI、シンギュラリティの、8人で世界の半分の資産4.2兆ドルを持つ、文明の限界点の現代にあって、初めて共産主義の掲げた、共産が可能となった社会において、学ぶことの、所有することの、不用、放棄への転換点に立てたということ、核汚染の不幸という絶望はあるものの、求めない人間の誕生が始まる、その時自然との、存在への共生が可能となる、共生だけで、存在だけで良いとする、国家も、民族も、文化、人の優劣、障害も、在るがままの、


人類はすべて失ったのだの


3.11とはそうした想像力を、物からの解放、対立からの解放、3.11の絶望とは、人類をすべての事柄、生死からも解放してくれた、私にあっては癌を得て、癌からの解放のように、原発事故を通して、人類は癌からの解放のような、有史以来、求め培ってきたものからの解放、在るがままでいい、極楽、天国が出現したということ、それが3.11というもの、隕石の衝突で、地殻変動で、異常気象で、地球の、人類の絶滅は語られていたが、核汚染でとは、それが現実となったということが、


私の国から、私の国ではないへ


私の国、私の故郷、私の土地、私の山、私の畑、私の家、私の、私のと、それが今、私の国ではない、私の故郷ではない、私の土地ではないと、汚染された廃屋の、放射線の飛び交う、山や川は、私のものではないと、白虎隊、屯田兵、日中事変、水子、唐行、出稼ぎ、原発推進と、必死で守ってきたものが、今や無用の、地球汚染の、忌み嫌われるものに、生贄をどれだけ捧げても、報われぬ、魔人の住む土地に、人の死を、人の不幸を、人類は博愛で超えんとしてきた、が、今や博愛、ヒューマニズムが無効に、人の死が、人の不幸が、私の死、私の不幸に、民族、国家、文化、芸術、人間の根拠そのものが失われ、未だ住める、まだ大丈夫と、が、やがて汚染は全地球を覆い、私の星ではないと、


金石範


ネットで、金石範の軌跡を見る、10代に済州島事件に遭遇、逃れ日本へと、生野での在日人生、済州島の、韓国の恨を抱え、問い続けている、有史以来、今もあちこちで、支配、被支配の闘いが、嘗てなら、被支配者に共感し、支配の理不尽、憤怒が起きたのだが、今や、争うことの、正当を叫ぶことの、糾弾することの、反抗することの無意味さ、思う壺でも、利己的でもなく、争うことの可笑しさ、核汚染の中で、土地、食料を奪い合うことの、人を殺しあうことの、核によって滅びようとしている人間同士が、絶望において人が出来ることは、支えあう、励ましあうことだけ、核は恨を超える鍵でもあるのに、「火山島」1万枚の小説、4・3事件を20年に渡って、

金石範に、戦前、戦中派には核はどのように捉えられているのか、恨がルサンチマンが貫いているのか、


神の思し召し


先ず、運命、宿命と言うものを、因果からではなく、決定論的に受容、そして、神の思し召しであると、運命、宿命を意味付ける、仏教の因果ではない、全ては神の為せることと、神の名の下に、人の意思でなすことも、神の思し召しと、神の御業であると、宗教の持つ、人の意思に神を介在させ、強化、合理化を図ってきた人間、無知から、諦観、神の思し召しへと、


人生早くて5年、遅くても10年と考えるなら、

存在することの、存在したことの喜びでいいのだが、絶望主義など、人間はすべからく原罪者であり、死は神の思し召しであるのだから、存在の歌を、核を見据え、絶望を見据え、今在ることの喜びの歌を、


あの日、何故頭が真っ白に


40才の癌宣告の、あの日、人生がこれで終わるという、まだ何もやれていないのに、これで終わるのかという絶望感から、人生に期待を、可能性を、未知を信じていた、人生はもう充分と、言える年まで生きられるものと、未だ楽しめるものと、多く信じているものの延長に、生命と人生があった、生命の儚さも、人生の苦難も、未だ身近ではなかった、否定思想は考えていた、人生を否定的に捉えること、肯定、理想ではないが、絶望にまでは至ってはいなかった、レオパルディがペシミズムから、絶望を生きていたが、私のペシミズムは、習い性とはならなかった、ペシミズムからの、情熱への上昇こそが人生であった、手中にしてはいないものの、愛を、真実を、理想を求め、信じていた、そこへの癌宣告であった、存在の耐えられない軽さではなかった、重さを、意味を、悟りなどではない、実感を、契機を、飛躍を求めていた、癌は死を伴うがそれらを満たし、可能にするものとして、あの時には捉えられなかった、

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