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カミュの反抗的人間が

成立するのか、力になるのか、明晰に見据えることでいいのか、見ることと、アガージュすることの、絶望に対して有効性は、戦争に対して、ファシズムに対して、核に対して、人間の愚劣に対して、種としての欠陥に対して、果たして有効なのか、革命か反抗かで、反抗とは、革命の理論的殺人へのノンであるのだと、ペストにおいての、誠実と、見続けることを反抗の形としたのだが、反抗は生命の自然であるのだから、革命はその反抗の量から質への自然であるばかり、が、この核汚染の、絶望にあって、反抗も、革命も、有効性は無いのだった、絶望の共有、見納めの世界、今という時なだけ、

カミュの反抗的人間が


成立するのか、力になるのか、明晰に見据えることでいいのか、見ることと、アガージュすることの、絶望に対して有効性は、戦争に対して、ファシズムに対して、核に対して、人間の愚劣に対して、種としての欠陥に対して、果たして有効なのか、革命か反抗かで、反抗とは、革命の理論的殺人へのノンであるのだと、ペストにおいての、誠実と、見続けることを反抗の形としたのだが、反抗は生命の自然であるのだから、革命はその反抗の量から質への自然であるばかり、が、この核汚染の、絶望にあって、反抗も、革命も、有効性は無いのだった、絶望の共有、見納めの世界、今という時なだけ、


カミュの言葉


「この世界のうちにある何かが意味を持っていることを知っている。それは人間である。なぜなら人間こそ,意味をもつことを要求されている 唯一の存在だからだ。この世界には,少なくとも人間という真理がある」

「人間の連帯性は反逆に基づいており,この連帯性のみが反逆を正当化するものだ,ということである。この連帯性を否認するような反逆は,どんなものであれ,真実の反逆ではなく,殺人への黙認に他ならない。」


 自殺であろうと殺人であろうと、死は絶対悪であり、死を招来するものはニヒリズムに通ずるというのが、カミュが到達した地点である、

殺人は、いかなる理由があろうとそれは絶対悪だし、目的のために手段を選ばないということで、革命のために殺人を犯すことをニヒリズムだと弾劾した、


「報道は、原爆が平和をもたらすために必要なものとして語っているが、耐えがたい。なぜなら原爆は、下手をすると人類の滅亡をもたらすからであり、それほどの脅威を前にして、手放しで称賛するのはおかしい」と、カミュの到達、思考であっても、反抗だけが意味であっても、絶望に抗する有効性はなく、結局はリュウ医師のように、半ば呆れて、見続けるだけ、


人間幸せでなくとも


在っただけで良しとする以外、「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」、が、今や山のあなたに幸いはなく、足元の、私の中に幸いがと、ただ在るだけで幸いだと、目覚めた世界が3.11の功罪、理想主義が幸せの探求であったが、生きることが幸せの探求であったが、幸せでなくともよい、在るだけで、在っただけへと、生きられない世界、生まれない世界、病む世界、幸せでなくとも良いとする、存在の肯定、存在こそすべてに優位するとの、不幸も存在のバリエーション、不幸を生きることも、幸せを生きることと同じように意味であり、時であるとの、


大原、大塚美術館行


人間の文化に対する個の位置、画家が描いたものが、50億、100億で大富豪に買われ、大塚にあるすべての絵は、それらの複製、美術とは一部の富豪、国家のもので、芸術と言うものが、個人、庶民には縁遠いものであり、また、その絵を描いた画家も、何のために描いたのかが、本来、絵画が一人称であり、私対世界の関係であり、私の美的世界であるということが、3.11以前、美的なるものに何を感じていたのか、美人、風景、画家の技術、色彩への、見る体験、見たという、知ったという、が、3.11以降、それらが物存在に過ぎなくなって、人の技術の、存在のどれ一つにだって及ばない、只の平面、似せただけの、無機物の、画家の営為を嘲笑う物存在の優位性、対話したい画家、かつて山本弘だった、誰よりも大胆な絵の具使いだった、風景を10筆位で描いていた、私と世界を絵に封じ込めていた、

ソフィ・カルが現したのは、追体験という人それぞれの絶対の主観性であるのだった、アルタミラに、ラスコーに、それらは残されて在り、


あと10年という人生


共感するものも必要なく、只、私と死があるばかり、山本陽子の詩のように、批評、共感を拒否した世界でも良いのだった、生とは、私と世界であるのだから、山本陽子の徒労、言葉の断念、意味の剥奪、深淵へのと、チェルノブイリ以前の未だ、何かが有るのではの、足掻き、しかし、今3.11以降の世界にあって、断念ではなく再生、剥奪ではなく付与、深淵ではなく平易、癌になって蘇った日常のような、今という時の無上へ、この10年を射程におかねば、


戦争と同じように、人間のやっていることは全て正常でしょう、


戦争という殺人行為の中での、慰安婦、毒ガス、原爆、世界の核汚染の中での人の行為、愚行も、善行も全て正常でしょう、収容所無きホロコースト、核のゴミに囲まれ、


アウシュビッツの生還者のように


癌患者、障害者、貧困者が現代社会を、核汚染を告発し、世界が彼らを被害者として捉え、共感する関係が未来の社会、アウシュビッツを、核を、人間の悪として捉え、犠牲に対し、聞き、学ぼうとする心のような、それは犯罪に対しても、権力に対しても、何故に生命を、存在を、そのようにと、世界の不幸が我がこととならないのは、核の絶望を見ないから、核の前にあっては、皆犠牲、皆無意味の、皆我が事であるのに、


女の一生~野村芳太郎


岩下志麻、左幸子で日本版「女の一生」というわけだが、モーパッサンをなぞっただけの、日本的因習の、家父長制、男尊社会の女の一生、戦後といえど、未だ明治の封建を生きている女、様々に小説で書かれてきた、家と、妾と、姑と、耐えてやっと、夫や姑が死んで後、束の間の母と子の喜びの時、最期は息子の不倫の孫と、妾との和解、モーパッサンとは違うのだった、生きるということが問われているのではない、先ずもって食わねばならない、封建奴隷の女たちであった、昭和生まれの我が母といえど、男依存、自由、平等といった自立の精神は無いのだった、現代女性、男においても、本質は変わらず、人生とは何か、どうあらねばの探求は無いのだった、3.11を経てもなお、それらは変わらず、日本映画が個の追求がテーマとなることは無いのだった、リアリズムが、メロドラマに、復古へ、もう一度日本へと、


反核、反原発、反権力


3.11以降この6年間、これらのことで思考を巡らせ続け、人生これで終わってしまうのかと、私の文学はこれらとは違うのだと思いながらも、これらがのしかかり、これらとの関連を無視しては書けず、超越したところの私対世界であっても、核、権力容認の社会に、

虚無、不条理ではない、私の意味に於いての私対世界の再構築が、癌サバイバーからの私対世界への覚醒であった、それは私に刻印された感情、核汚染の、恐怖政治の、悲惨の世界であっても、今少し生きていたいという、あと5年、あと10年位をと、生きているだけで良いとする、存在することへの喜び、病んでも、狂っても、在ることの無上感、そこに戻らねば、


死生観と死に方


死ぬなら癌で、癌になったら放置して、餓死、自然死、これで死の問題は解決なのだが、残り少なくなった人生に対して、何かを楽しみたいとは思わない、考えたいとは思う、考えたことを、日記のように、自在に書き続けるだけ、


死生学が


Mが危ないと、エミが暗い顔、Mの母のKちゃんが夜一人になると泣けてくると、癌が、あらゆる病気が必然の事となった、核汚染の地球にあって、子供からの死生学が、必然、必要科目となっているのだった、人生の意味も、目的も、どこからどこへも、信仰も、無信仰も、必然の出来事として受容し、今在ることの万感の喜びへと、用意していた死なら、さようなら、さようならと、別れも告げられる、一期一会の、人生50年の、五体不自由であっても、満たされた人生であったと、


Tに語ったこと


共産を主義とするとは、思想に於いて、感情に於いて、財産制度の共有に留まらず、人への一体の感情を持つということ、共産党に入った時、それらが聖フランチェスコのような人々の集団に仲間入りするのだといった、人間の本来の姿をした人々に出会えると期待した、が、それは理想、観念であって現実には誰もが途上で、もちろん自分も途上であることを思い知り、自らが聖フランチェスコにならねばと、人間の共産を主義とするものを求め、自らを作ってきた、共産を主義とするとは、私に於いては恋愛の感情に似る。人間の思想、哲学、芸術の全てがそこに含まれてあり、意味の全てがある、その深化が結婚という精神と肉体の一体、家族における共産の起源がある、共産を主義としたから、必要に応じ、能力に応じ支えあい、それを主義とするとは、他者に対しても抱くという感情、核時代とは絶滅への予感があって、こうした精神、物質に於いての、共産への質的変化が起き、絶滅回避への愛他精神が共有され、理想した共産主義社会が誕生すると、共産とは物が有り余って、差別や闘争が必要ではなくなっ後に、誕生するものでもなく、必要に於いて、共感に於いて、子が親より先に死んでいく、核汚染世界に於いて、支えあう家族を通して拡がっていくものと、


3.11に対して


TVでは、バレー、サッカーの試合、小学生日本一のテスト、自民党の派閥集会、北朝鮮のミサイル、etc、私は駅前まで、タバコを買いに行き、帰って植木に水やり、そしてツイッターで3.11が人為的なものであることの証拠を投稿、

〇トモダチ作戦のワッペンを米軍は、上陸直後にすでにつけていたことの、

〇三陸沖で被曝したレーガンがヘリウムを輩出していた、

〇3.11直前に、円買い、円高が演出されていた、

〇レーガン乗務員の被曝が、重大、重症である点、

〇気象庁の会見で、爆発が3度記録されているとの、

〇P波が無く、核爆発の音波が観測されている、

これらの事実が明らかであっても、これが計画的、人為的なものであるとの思考、調査にはならない、想定外の、今までにはないことがと、誰であっても、自らを、罪のない者を害するようなことはしない、そんなことして何の得がと、陰謀であるなら、誰かが告発するはず、と、9.11がテロなどではなく、イラク攻撃のフェイク、やらせであっても、アポロの月着陸が嘘であっても、同じ心情から、歴史となったことは否定、暴かれることはない、それがどうしたのと、核実験、ホロコースト、ラーゲリ、反革命、植民地、奴隷制、王制、戦国時代、etc、人間の歴史は、陰謀と、謀略の歴史である、現代はあらゆることが可能となり、捏造、謀略の歴史は世界を覆い、いずれ真実がどうであっても、核汚染という取り返しのつかない現実は、変わることはなく、人はすべからく被害者となり、悪も善も、自らの事に、

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