死から生を、絶望から現在を
畑中の一本道を、風に吹かれながら、少年の日の感慨を持って歩く、青年の日の、私の姿が浮かぶ、
タルコフスキーは現れない、タルベーラの世界、デストピアの現在にあって、ストーカーの、ノスタルジアの、サクリファイスの、死からの生を描ける者の、誰か、ツェランを通したデキンソンのような、
死から生を、絶望から現在を
畑中の一本道を、風に吹かれながら、少年の日の感慨を持って歩く、青年の日の、私の姿が浮かぶ、
タルコフスキーは現れない、タルベーラの世界、デストピアの現在にあって、ストーカーの、ノスタルジアの、サクリファイスの、死からの生を描ける者の、誰か、ツェランを通したデキンソンのような、
死刑囚と絶望者
ムルソーの孤独と、存在者の喜びこそ、死ぬまでの時という存在への、一人対世界の意識、死者と同じ、死者がどのような人生であっても、無という非在であることの、が、今死ぬまでの時の中に在る私と言う、私対世界の、宇宙対私と言う意識、私が存在と一体であることの時の意識、絶望者とはこの時の意識の中で、人を生きる者のことである、死刑囚を、終身刑を生きる者とは、この絶望者を生きる者、
セザンヌの永遠性
芸術への信仰、存在の永遠性の表現、キャンバスに存在の完璧さと、永遠性を閉じ込めたいと、絵描きたちの望み、生命や魂といったものを、キャンバスに生成したいと、見た記憶と印象が、キャンバスに等距離、等感情、に再生が為されれば幾度も蘇ると、が、それは印象、記憶にしか過ぎず、生命、存在からは隔たった、無機物の絵の具でしかない、そこに等距離を求め感じるのは、観る者との了解があっての事、芸術とは感じること以上でも以下でもない、表現とは自己へのものなだけ、セザンヌの永遠性とは、セザンヌにおける、自己の時間の記憶の封印、所有なだけ、セザンヌの完璧、凄さ、天才、etcの賛意は他者による他者に向かってのもの、
死の覚悟
手遅れで癌になって、又は突然の事故死によって、その都度やってきたことを再度、全過去を振り返り、時に追体験もし、過去に別れを告げて、死の時を待とう、日記も、原稿も、植木も整理し、残す言葉も、思索もまとめて、人生は何だったのかを、こんなものだったと、
今や科学は利権と結びついていないものはなく
柳沢桂子
コロンビア大学に学び、帰国後先天性異常に取り組んだ、生命の探求をDNAに、宇宙に、心に、難病の痛みと闘いながら、著作を続けている、チェルノブイリでは科学者としての責任を問い、放射能に警鐘を鳴らし、人類は生き残れるかと、進歩の終焉を見据えている、
絶望を通して
ALにも、Kにも、Sにも、Nにも、Tにも、Oにも、Uにも、TMにも、忘れえる人々とは違う、思い出の人間との、現象学的、実存的な、私の見出された時をと、母の記憶を書きつつ、60年の時を隔て、伯母に当たるヤッチャン、トヨチャンに電話していた、そこへの3.11であった、まだ生きている現実の人間に、過去からの電話をすることの、トヨチャンは戸惑い、自分を隠し、ヤッチャンは懐かしく、が、いずれ私が見、感じたものではない、過去とは私の過去であって、私が実存することにおいて、見い出されるもの、絶望を通して世界を見い出すこと、プルーストのロマン的世界ではない、私の絶望を通して、
生身と実存
労働にあくせくし、生活難に日々呻吟し、そこにどのような実存が生まれるのか、サルが時に、日没の夕日を見るほどの実存と変わらず、多く人間はただ生身を喜怒哀楽して生きるばかり、癌宣告から死までに、人に実存が誕生すると思うのは、幻想にすぎない、人は生きて来たように死んでいくばかり、結局人間は金があれば何かに使うことになり、時間があれば何かに費やすことになるだけ、それが人の生身、実存とはその生身の時に、立ち止まってその生身自体を問う中に、絶望主義の視点からその生身自体を問うなら、人の喜怒哀楽は動植物たちの営みのように、自然で、生々とし、私を喜ばせ、微笑む、
世界を愛していたが故に
絶望感がわき、呪詛することに、愛憎と同じく、愛していたが故に失望し、裏切りに襲われたと、絶望しているが為に、愛する、愛おしむ、儚むへと、
雨(原発)
海風は絶望のサタンをもたらした、
田畑をぬらし、山河をぬらした、
幼子の甲状腺と、若い母の乳房をぬらした、
潮をぬらし、魚をぬらし、笑いをぬらし、
音もなく工場を、神社仏閣と、暮らしをぬらした、
この音も匂いもない、絶望のサタンの吐く息が私の肺臓をぬらした、
人間らしい感情とは、デモクラシーでも、ヒューマニズムでもない、実存という感情を持っているかどうかである、絶望を抱いて、死を意識して、私で生きている中に、人間とは何かを、問い続ける中に、
石川三四郎という男(1876年-1956年)
日本最初のアナーキストという、大逆事件に関わりながらも、外遊していて、80歳まで生きた、死ぬまでアナーキストを貫いた希少な日本人であると、この石川が、天皇を肯定、
蒼馬を見たり~林芙美子への序文
社会的分業論~自給自足、コミューン、
土民生活~農本主義
浪~半生の記、ルクリュを訪ねて、パリコミューンのアナーキスト
農本主義と土民思想~
農民自治の理論と実際~
馬鈴薯からトマト迄~
半農生活者の群に入るまで~
百姓日記~
吾等の使命~
水木しげる
「総員玉砕せよ」戦争とは死ぬことであるが、いつの戦争であっても、突撃という死に方、助かっても、玉砕、総攻撃であるから、全員死ななければならない、助かった者は再度の突撃へと、水木は生き残りであった、日本兵の70%は餓死であるという、農民の次男、3男坊が報国という名誉の戦士は、餓死より報われるという、愚かな戦争であったということ、江戸から、明治大正と、奴隷とは違うが、水飲み百姓と蔑まれた民草が、銃を持ち、アジアを征服するのだと、皇国へと向かい、
「人生に意味はない」
「現世は地獄と思って働く」
その昔
文学的感性を表現したいものがあった、梶井、堀、立原、中島敦、独歩、啄木、etcの感覚をみずからの世界で表わしたいとの、しかし、今その感覚の何と作り物であることかと、現実は文学など寄せ付けないものが、3.11以降とはこれらが露わになったというだけ、堀辰雄「雪の上の足跡」「木の十字架」、遠い、遠い記憶の中、
プレイボーイ創刊者のヒュー・ヘフナー
「今この瞬間を生き、未来について考え、過去とつながったままでいること。私は決して成長するつもりはない。若いままでいることは、全て私のためである」と、性の偏見、人種差別、ベトナム戦争に反対しがら、64年間雑誌を出版、91歳で死去、
ライアの祈りと地下生活者の手記
〇縄文時代賛歌の問題
〇不妊の問題
〇出来ない離婚と、出来ちゃった結婚
〇結婚前DNA検査の問題
〇人にとり一番大切なものは子供を作ること
〇縄文の祈る土偶のこじつけ
〇未来に文化を繋ぐことが子供を残すことと、
予定調和と幻想で作られた、が、そこには嘘と欺瞞と、独断と我田引水の縄文観があり、3.11以降の女たちの持つ、生めない不幸と、生めない女との結婚への、出口を求めての底流がある、結婚前にDNA検査を、また被曝者かどうかの検査が必要、また人生とは何かを、子どもを作ることに集約させ、日本が3人に1人が癌となる原発国で、不妊も当然増え、そんな中で人は何に希望をもって生きたらいいのかを、子が出来ないことへ、共同体依存へと、これらを現代の地下生活者なら、次々とやり玉にあげ、しかし金を持たせて、帰村させて終わるのだろう、HがTに、縄文が一体、現代にとって何の役に立つのかと、どんな意味や価値があるのかと、問い質していたが、Tには3.11以降の文化疲弊、絶望感を、縄文で打開しようとしていただけなのだが、ミイラ取りがミイラになった感もある、カンブリア紀まで遡り、生命の賛歌で、絶望を、現代文明を警告しようとしているのだが、縄文の思想とはと、ことさら言わずとも、現代人に供わっているもの、回帰思想は常に保守、権力と結びつく、私がTに求め感じたものは、回帰ではなく、実存、存在の驚きを、虚無と縄文観を併せ持つ中での信仰であった、存在への信仰、絶望するが故の、存在への信仰であるのだった、
近い将来、3人に1人は子供を産めない女となり、男も女も、スタップ細胞、人工授精で妊娠する時代となり、欠陥遺伝子の出生は罪となり、愛は崇高でも、純粋でもなく、国家管理の子育てとなり、出来ちゃった結婚でしか、愛は成立せず、人は本質において生きる意味を失い、3.11以降の世界を描くことの無意味さ、
朝までTV
前日、共謀罪の衆議院通過に対し、本気で危機感を抱くなら、国会議員を辞職することだと、それに対し返ってくる応答は、それは任務放棄、議論を尽くす民主主義ではないと、では戦争に対して、国民が望んでいても、口を噤んでいても、反対し、辞職することの一貫性、正統、個人性、個人によって意思される姿こそが議会の意味、朝までTVが無意味なのは、そうした個人性がないこと、哲学者がいないこと、哲学論者はいるけれど、哲学者とは、生き方、追求者、探求者である、ユダヤの思想が世界をリードしてきたのは、彼らの中に絶望主義と、それに対するメシア思想があったから、人に死を通して生があるように、哲学に、絶望を通した希望が、未来の哲学、
嫌煙権運動と日本型ファシズム
日本は素晴らしいとする同調意識、村社会の郷土愛意識による、共生観を基底に持つ、自我の未発達と、民主主義の未成熟、抑圧社会によって発生、
林房雄『大東亜戦争肯定論』~ファシズムはなかった
丸山真男の日本ファシズム論~
反タバコより反原発が有意味なのに、癌が原発が自明なのに、嫌煙、分煙、反タバコ、健康増進法などと、本末転倒、泣く子と核には勝てないと、核汚染には口を閉じ、
村上春樹
70年代の青春群像を、学生運動をやったやつも、やらなかったやつも、セックスがやりたかっただけなのかと、自らのノンポリ心象を作品化したような、シラケ、反発、虚無、コンプレックス等、正統または姦淫に対するアイロニー、現代の青春群像をとらえるなら、日常、平凡、幸せな結婚を求めているだけのような、風俗の小説家、ファッション化、非文学への小説、
風の歌を聴け
〇書き出し~「完璧な文章などといつたものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね」と弁明から、
〇斜に構えた会話、作者の地声、
〇女と出会う、また女と出会う、アンニュイな時
〇60年代を描写しようと、
〇音楽用語が良く出てくるが通俗、
〇他人の言葉の引用が多い
〇女主導の付き合い方
〇1979年、20年経って書いている
〇女に纏わる話がテーマ
〇青春をこのように書くしかない作者の位置
〇愛していくという永い課題の前に、逃げていく
青春を、女との、退屈の、小児的のものとして描き、32歳の作者の作品のようだが、モラトリアムの、意味のない出発 群像新人賞
3.11を経て今
安保法制、特定秘密保護法、共謀罪、憲法改悪、世界の陰謀、テロ、etcの、何が来ても怖くもない、3.11とはこれ程の絶望と、価値の変更をもたらした、
〇話すべき人間が居なくなった、
〇読むべき本が無くなった、
〇趣味を楽しむ気が無くなった
〇文化芸術に価値を持つことが無くなった
〇真理、真実、正義、情熱、美、etcの価値を持つことが無くなった、
〇人の死に悼む心が無くなった
〇自分の死さえ、明日ではなく、今死んでも良いと思えるようになった
この感情は、メルトダウンしたフクシマがあり、人間を嘲笑う、絶対的な核の存在を得たから、これは核ミサイルより強力なもの、何人も解決不能の、絶対的な神にも比す悪霊であるから、この悪の前には、人存在さえ無に帰す絶対悪であるのだから、人間の悪行がつのればつのるほど、この核の前に露呈し、審判される、今、世界は核の前に拝跪するばかり、太宰も、芥川も、核の前には死ぬことも能わなかった、傲慢も、不安も、笑いの内に死ぬまで生きるしかないと、




