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死臭漂い

Yが死に、Kが死にと、田舎でも次々と親戚が死に、3.11以降は芸能人、著名人の死が記憶され、日本列島には死臭が漂っているような、春になっても、生命の輝き、躍動は無い、デタラメな政治、デタラメなTV、デタラメな人間の世界に、私にしても70才となり、片足を棺桶に突っ込む歳に、団塊世代の老臭が、いつの日か死臭へと、世界は飢えと、戦争、気候変動、自然破壊と、閉塞と破滅への序曲を奏で、

死臭漂い


Yが死に、Kが死にと、田舎でも次々と親戚が死に、3.11以降は芸能人、著名人の死が記憶され、日本列島には死臭が漂っているような、春になっても、生命の輝き、躍動は無い、デタラメな政治、デタラメなTV、デタラメな人間の世界に、私にしても70才となり、片足を棺桶に突っ込む歳に、団塊世代の老臭が、いつの日か死臭へと、世界は飢えと、戦争、気候変動、自然破壊と、閉塞と破滅への序曲を奏で、


Tが死んで間もなく1ケ月になる


月に一度、時に数か月に1度の、私の都合で会って来た30年、特別求め合うでもなく、時々お茶でもといった交流、私の作品に何かコメントをするでもなく、Tは身近な出来事の感じた事を披歴する程度、欲は無しに近く、私にとっては気儘な時間だった、が、そのTが亡くなって、Tに対するより、死と言うものへの、クソーという感情が湧き起こり、この間の次々と訪れた、Hの、Oの、Yの死が、人へより、死というものが思い出され、人は各々の死に方で死んでいくのたが、私にとっての死というもの、人の隣に常に寄り添っているものとして、あれ程在った交友が、いつも死に寄り添われていたという、今や私の交友は、私より年長の、Tさん、Sさん、もう一人のSさん、Mさん、5期のM、H、K位なもの、かつては何十人であっただろうと、田舎にしても、民商の関係にしても、今や死に寄り添われた数人の親戚や友人のみ、T、M、Mの3人が高校の同級生、Y、T、Yが小中学の同級生、年下はいない、この交友も誰が先かは分からないが、近いうちには断たれ、人の死ではない、死そのものが常に私に寄り添い、


絶望はしていないが


虚無が、ペシミズムが、今に始まったことでではないが、周期的に襲うこの感情、正体は一体何か、文学及び哲学での満足が得られていないこと、思想で、癌体験で、3.11で、実存、シュティルナーを獲得したのだが、どちらも孤独との、私一人の確認であった、この私一人とは、虚無な、厭世の存在であったということか、共感と恩寵の獲得に向かっていれば克服されたのか、作家たち、この虚無、厭世を忘却するように書き連ねている、書くことで虚無と闘っている、過去の作家は良い、今、これからの使命において、意味において、私のテーマにおいて、私対世界において、虚無は絶望に呑まれてしまった、虚無、厭世が成立しない絶望という無、


絶望を描いた文学に


何の救いが、何の意味や価値が、虚無とペシミズムに苛まれた、自業自得と、絶望して生きるとは、虚無で、ペシミズムで良しとすること、核とはそうしたものを超えた絶対無なのだから、

否、文学において、作家において、私において、この絶望を言語化しなければならない、核汚染、世界支配の道具としての核がもたらした無を、核を通した、コモン、マルチチュードを、核とは好むと好まざると共有するもの、空を通し、海を通し、核の愚劣は、人間の愚劣へと、


仏教とは何なのかを


シャカの考えを信仰にしてしまった日本人、人の死を因果応報で納得し、極楽、地獄を考え出し、死者の弔いとしての作業が形式化され、仏教は生業となり、死者は尊ばれ、救われ、祀られ、寺々は繁盛し、骨を預け、施餓鬼、法事と、人の一生を苦と捉え、そこからの離脱を、輪廻転生、因果応報と、イスラムの神の思し召し、キリストの原罪と同じ、人を規定することにおいて、そこからの脱出が教義となり、戒律となり、宗教、思想、哲学、あらゆる人間文化の根底には、人間の、価値の、規定にある、釈迦の無我であっても、無我という規定に外ならない、では絶望規定はどうなのか、絶望と規定しなければ、自在な、囚われない世界観になるのか、なる、絶望規定だけが、救済も、自由も、真実も、美も、正義も、必要とはしない、何より成立しない規定であるのだから、悪魔主義といえど、選民の再生を待望している、絶望という無我を超えた世界がこれからの世界、


ヴィトゲンシュタインからフッサール


安富歩


親鸞の独我論~

現象学と他者の認識~

方便論、教行信書~他力による自力

方便論的個人主義~個から全体へ

客観主義への批判~主観と客観の対立

個人主義で主観を主張すると批判になり、客観主義で主張すると受容が、

山本伸裕~真宗大谷派、「清沢万之」「他力の思想」、「植木等」

戯論寂滅~空なる真理は解体

私を世界の絶対的個としてとらえ、他人は私を世界へと導く存在として、矛盾なく認識しと、二律背反を親鸞の方便論で捉え、克服しようとしている、自力ではなく他力を強調、


植木等の「スーダラ節」~山本伸裕


父、植木哲哉~反戦主義者、何度も投獄、共産党員、平等から等と、

スーダラ節~青島幸男の作詞、

無責任と責任~わかっちゃいるけどやめらねないという無責任、他力の発想、運の自覚、


個人と全体、主観と客観、自由と責任、近代の思想における論争、対立問題、親鸞の本願思想で解消できるのか、人の救済はどの思想哲学にも在り、その中での対立である近代個人の問題、私と言う個人主義、私と言う独我論、シュティルナーの唯一者、私対世界としての、私の一回生、全ての対立矛盾は、絶望の認識においてしか超えられない、


失恋が創作の衝動であることの


ニィチェがザロメに、カフカがミレナに、

ウィトゲンシュタインがマルガリートに、キルケゴールがレギーネに、ハイデガーにしても、サルトルにしても、女性との係わりが影響している、若き日の創作意欲が、女性へ向けての、雄としての優秀さを見せんと、動物たちが角を突き合わすように、人間は知性、創造で競っている、恋愛は人生の秘鑰ひやくなりと、私に於いても、若き日の革命的ロマンチズムなどなど、


核を語ることの、語らないことの


核を語ることの、アウシュビッツ後のアウシュビッツを語るような、後ろめたさ、愚劣さを思う、有史以来の人の支配被支配、核の人知に及ばないことへの、その核を語ることの愚劣、ただ書き連ねているだけだが、アウシュビッツと核という、人間の底知れない悪魔性、アウシュビッツという大量殺人、核という大量殺人兵器、アウシュビッツを行う人間と、核を弄ぶ人間の共通性は、所有欲、支配欲、所有欲の延長に戦争があり、戦争という殺人の延長にアウシュビッツ、その延長に核はあり、大量殺人兵器としての、そのための原発であるのだから、核礼賛者にはアウシュビッツの血が流れているということ、


人は何故自殺に追い込まれるのか


自らの意思で死ぬ者も、そこに至る人間の属性の持つ力が働いている、人間以外は自殺などしない、人間の死に向かわせる力、生物の進化とはかけ離れている、ディスクミネーターという考え、生物は種の保存本能に支配されており、自殺も、戦争も、思想、芸術さえ、種の保存に有利に働いての結果であるとの説明、エマリエル・ドットの家族型からの、歴史、文明の説明、どれも核の絶望を捉えてはいない、核という絶対はすべてを無化する、どのような科学、文明であろうが、核の絶対を否定できないことに至るだけ、


健康に気を付けるなら、被ばくに気を付けねば


TVは24時間健康番組、そして料理番組、隠れ心臓病とか、何とか病とか、病名を様々につけて、放射能汚染地に住むことのリスクは言わず、汚染食品の内部被ばくは言わず、福島から230キロの東京で、100㏃の食品を食べて、健康が維持できるはずがない、核誕生からの死者6,500万人のECRRの計算、それでもこの地で、その食品を食べるしかないと、核汚染という絶望を見据えて、少しでも被ばくを避けて、生命という時間を生きていかなければ、


陰謀論の背景が、核利権を頂点として


世界を私物化している彼ら、核、軍事産業利権の分取り、談合集団、原発、核兵器を売り込み支配、国連、NATO、ユネスコ、CIA、NASA、外交問題評議会、日米欧三極委員会、ビルダーバーグ会議、300人委員会、サンヘドリン(司法)、13人評議会、これ等の組織の6000人位が世界を支配している、学校、町会、会社、役所、警察、ヤクザ、宗教団体、軍隊、政治家、裁判所、刑務所、マスコミ、学会、網の目に、ピラミッドに、作られ、隷属、依存している人間社会、王制、資本主義、金融システム、戦争、移民、全ての出来事がこのシステム護持のために行われている、それが人間社会のディスクミネーター、

全て意味なのであろう、いずれ自然においても、増えすぎた種は、絶滅、自然淘汰されるように、人間も生物全体のディスクミネーターによって、弁別されるのだろう、


3.11で絶望した人々


被災者でもない君が、絶望、絶望と言って欲しくない、彼らの絶望からすれば、君には何の絶望もないのだからと、3.11の核汚染、地震が島津論文にあるような、日本の核武装と、中国、ロシア封じ込めのための駆け引きの中で、演じられたものであることを、それらを追求しない、被災者を含めた日本人の天災意識、棄民、悪の凡庸、無知の罪、その結果の核罹災、核汚染、に絶望しているのだと、が、アポロから始まって、9.11、etcを陰謀論で片付ける者らに、絶望もなく、絆、頑張れ、美しい日本、しかないのだった、


放射能の危機を言うと人は何故


嫌がったり、無視したり、反対の意見を言うのかしらと、エミ、「安全だと思いたいとの感情もあるが、何より日本という国、しいては故郷を取り戻したいという、日常回帰、もう一度日本という、取り返しのつかない事態への拒否の感情」、「従軍慰安婦は無かったことに、出来るなら侵略戦争ではなく、大東亜共栄、防衛戦争であったと」したい感情に似る、「3.11で未曽有の危機を体験し、その衝撃からの反動」「政治の様々な反動法案は、隠蔽できない危機からの、国民の反抗を恐れての先読み、抑え込みのための施策」福島のものは食べないと言うと、それは差別だと

「放射能の内部被曝、生物濃縮を知らないわけではないが、直ちに影響があるわけではない、大したことではない」「人は死ぬときは死ぬのだし、年寄りは分裂が少ないのだから、食べて応援」「絆、連帯、共同行為を価値とし、それらに反する者には利己的とレッテルを張り、自らの正当性をアピール」「安全宣言」「帰村呼びかけ」「オリンピック招致」「長い物には巻かれろ」「仕方がない」「見ざる、言わざる、聞かざる」


核を弄ぶ者らの


広島長崎で実験済み、核汚染に大したことはない、核は戦略上も、実際上も、最高の武器であると権力者達、核実験もあれだけやったのに大した事はなかった、チェルノブイリ、そしてフクシマと事故はあったが、人間は核と共存していると、科学者、権力者、多数の国民も、核汚染を楽観視し、


原発をやることの人の邪悪


原爆を人の頭上に落とすこと、ロケットで攻撃すること、ガスで、細菌で、銃でと、何を使い、どのようであっても、人を殺すということと、原発をやることの、リスクではない、緩慢な殺人、戦争が利益の追求が背景にあり、原発利権と何ら変わらず、人の邪悪であることの、朝鮮特需、ベトナム特需と同じ、原発戦争の構図、


絶望を忘れたいために遣っているのかと


世界の核汚染、絶望から逃れたいために遣っているのか、汚れちまった悲しみに、自暴自棄になっているのか、只の無能からか、旧態依然の政治経済と、そこでの為政者たちと国民、絶望が目の前にあることが解っていて、どうしようもなく狂って、踊りを続けているのか、彼ら、自由からの逃避のように、絶望からの逃避、汚染水、トリチウムの放出、瓦礫焼却、汚染土のばらまきと、一億総被曝、もう一度にっぽんと、

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