中上健次
血族、風土への郷愁と拒絶のアンビバレンツが、出生が、家族が、土地のシガラミが存在感を持つが故に、拒絶、訣別が出来ないという、ノスタルジー、異邦人ではない、近代個人ではない、囚われ人としての、熊野新宮という、前近代の日本に、囚われる者としての、日本という国の、封建時代からの、閉鎖性、後進性、延々と続いている、片輪ではある路地という世界、何とも世界の片隅という文学ではある、核の時代にあって、ネット時代にあって、何程の有用性がと、日本的情念が、暴力とヤクザ、エロ、グロ、そこからの愛を描こうとモガイテきたが、旧態依然の前近代、人物の個我が、取り巻く世界が、井の中の蛙で、日本文学が本当に幼稚で、今となっては笑える出来事、現実が小説を超えてしまった今、どのような物語があるのかと、中上を読んではみたが、
中上健次
血族、風土への郷愁と拒絶のアンビバレンツが、出生が、家族が、土地のシガラミが存在感を持つが故に、拒絶、訣別が出来ないという、ノスタルジー、異邦人ではない、近代個人ではない、囚われ人としての、熊野新宮という、前近代の日本に、囚われる者としての、日本という国の、封建時代からの、閉鎖性、後進性、延々と続いている、片輪ではある路地という世界、何とも世界の片隅という文学ではある、核の時代にあって、ネット時代にあって、何程の有用性がと、日本的情念が、暴力とヤクザ、エロ、グロ、そこからの愛を描こうとモガイテきたが、旧態依然の前近代、人物の個我が、取り巻く世界が、井の中の蛙で、日本文学が本当に幼稚で、今となっては笑える出来事、現実が小説を超えてしまった今、どのような物語があるのかと、中上を読んではみたが、
CIA及び権力者たち
皆、一国の支配者になりたいのだった、中米担当、イラン担当、コンゴ担当と、陰で操る支配者としての、一国を任され、国王、政治家の上をいく者としての地位、この保持のために動いている彼ら、それはどの組織でも同じで、局長、隊長、社長、会長、委員長と、それを偉いこと、必要なことと、指導者、統率者を戴き、命令、服従で営まれている人間社会、法律とはそれを形にしただけのもの、世界はRF、RC、百人委員会、etcに支配されているといえど、組織という小世界でも同じこと、この人間動物の群れる、戴く属性は変えがたい、有史以来、この社会性といわれるものは、アリや、ハチと同じで、群れと、役割、群れの維持、発展、人間という、意味において、時間において存在する人の本性を喪失している、最早、はっきりとこの人間の圧倒的部分の無を確認しなければ、その上での私対世界を、
とてつもない悪の支配構造が
世界は有史以来、人本性とは別に、ヒエラルキーという支配服従のシステムで、群れる性情をコントロールしてきた、が、今やこのシステムは完成の域に達し、SF映画が現実のことに、陰謀論と揶揄されている事柄の、全てが可能な富と権力の集中が、
有名になるということは
現代思想が様々に展開され、革命、戦争を経て、民主主義が花開き、技術革新、運命共同体が形成され、その中でのリーダーであったり、権力者であったり、尊敬を得たり、誇りを持ったり、責任を持ったりと、人間の社会性における、群れ依存を掌握、担うということに、政治家、学者、実業家、どれもこの人間の群れ依存に依拠し、人を扇動し、人は有名を求め、が、現代の民主主義の無力、崩壊、ホモ・サケルでなくとも、人は生の政治、生の肉体を存在し始め、人の本来を生き始め、不条理などの実存、虚無さえ超え、これこそが核世界の持つホモ・サケルということ、核世界とは剥き出しの政治、剥き出しの生に外ならず、人はホロコーストを生かされ、
子どもが来れば
世界の核汚染、核戦争の絶望などは伏せ、孫の、暮らしのと、平常を、心配気に聞き、楽しみの、まだ続いている時を語り合い、TVの、映画の世界と何ら変わらず、世界は、日常は保たれていると、友と語れば、絶望感はあれど、直ちに訪れるものでもなく、酒を酌み交わし、余命の楽しみをと、人本来が、ホモ・サケルが見えず、子羊を生き終わることに、
ガンバルことに対して
昨日観た、フィッツジェラルド伝記、ゼルダ ~すべての始まり、流行作家への道のりと、その維持のために、人生を費やす物語、ロストジェネレーション世代であるのに、金と名誉に囚われ、妻は精神病、本人はアル中、心臓まひで44才の死、アメリカ文学が通俗、風俗化した典型、日本では芥川龍之介、ヨーロッパではカフカが、
本日は3.11、ベガルタ仙台がJ1復帰、優勝戦まで進んだと、その震災からのガンバリを映していた、又、相撲の日本人綱取り物語を、相撲マンガに重ねてやっていた、この6年、日本のTVはガンバル姿、助け合う、絆の姿、美しい日本、もう一度日本と、打ちひしがれた、失われた意味を再生しようと、躍起になってきた、片や原発はアンダーコントロールされていると、食べて応援、帰還促進と、デスペアー世代となる彼ら、ロスト世代にはない、絶望しても死ねない時代の、核の世界を生きていくことになる、ガンバレ、ガンバルと、核以上の虚無は無いのだから、ホロコーストを生きていくばかりと、
ロストジェネレーションの孫世代
私は人生でガンバッタ記憶がない、養護施設、母子寮、夜間高校、工場労働、民商、創作生活、どれもそれら生活の上に、私とは何かという、探求課題があって、それらの生活を送る私を考える私があった、そうした私を忘却するような、喪失するようなガンバルことには嫌悪感があり、道を決め、夢中、持続することはなかった、生まれ落ちた時から、私には人生は懐疑だった、母の家出、母の実家の冷遇、桶屋の家賃の督促、父の苦悩、父の実家へ居候、その前に新屋へと、ロストジェレーションの価値観の喪失や変更が、私には元々無かったのだった、生活は、生きることは、ガンバルようなものではなく、人生とは何かと、懐疑、探求するものであり、フィツッジェラルド、ヘミングウェイ、etcのロストジェレーションの文学には、馴染めなかったのだった、もっぱら自然主義、ロマン主義、ロシア文学が支えだった、
日本はすばらしいの番組
本日は鉄道物語、時間の正確さ、車輪作りの技術、車両の輸出など、モノ作りでの優秀さをやっていた、職人、スポーツ、etcの、職業、会社員の一芸に秀でている、又は専門馬鹿だからの技を、国として、人種として、自らの事のように、又、特別なことのように、喜び、誇りとする志向、意識、生きるための技術が、技術のために生きることに、スポーツ選手の、職人の、1秒、1点、1000分の1ミリのために生きることに、仕事として、プロとして、と、生きるためにが目的化した志向、芸術至上、観念論対唯物論、純文対通俗等々、美しい、素晴らしい、深い、広い、と人は賛意を贈り、歴史を作ってきた、エリートはそれに乗り、乗せられ、人生を費やし、
政治の反動化
テロ特措法、特定秘密保護法、共謀罪、安保関連法、マイナンバー制、原発再稼働、TPP、派遣法、残業代ゼロ法案、種子法、etc、etc、そして憲法改正を目論む政治、が、何も恐れることはない、政治のやることなど子どものママゴト、世界がどうであっても、私は私で守り、私を生きる、原発事故であっても、核戦争であっても、私対原発、私対世界ということ、かつて癌の日、世界は私が対するものでしかなかった、私で対していく以外にないという体験を通して、原発といえど、私で対する他にないと、政治ではない、私対原発、私の問題として、絶望し死んでいった者、希望のうちに死んでいった者、忘却のうちに死んでいった者、すべて私で引き受け、私対世界を生きなければならない、私は待っていたのかもしれない、この私対核の世界を、私対癌のように、私の世界に対す私の意味を、
辺見の狭小さ
高校での、もの食う人の講演で、「買春をしたことがあるか」と生徒に質問され、躊躇いはあったが「ある」と正直に答えたと、また最近の「1937」では、父親世代が、満州で、中国人に、母子相姦をさせて楽しんでいたと、これ等のことを同心円の核に据えて、世界を見たいと、辺見にはこうした性への狭小、矮化がある、悍ましい性なぞの問題ではない、731の人間の丸太扱い、人体実験、毒ガス実験、南京事件、100人切り、従軍慰安婦、etcの、今や戦争さえ成立しない、悪の凡庸でさえない、現代の金融世界支配は、ドローン攻撃、ロボット戦争、電磁波操作、100MT原爆、IT支配と、絶望が支配した人間世界の問題であるのだった、世界の絶望はすべての人間の責任の問題である、それだけ、人権でも、正義でも、真実でもない、責任と罪がある、そしてそれは償わねばならない、核の絶望は、それが頂点として在ることを教えている、核とは絶望の支配なのだと、誰であっても、責任さえ取れない、ただ絶望なだけ、
絶望との共存があるばかり、過去から学ぶことなど叶わず、まして未来にになぞ、そこには無限に広がる絶滅に至る世界があるばかり、
支配構造は太古より変わらず
部族支配、王族支配、植民地支配、金融支配、世界統一政府構想、と、切れ目なく支配構造は受け継がれ、国家は営まれ、現在に至っていることが、理解できれば、現在のあらゆる出来事が、仕組まれ、捏造された、愚民化のためのものであることが、彼らとは、嘗ての王、嘗ての権力者一族であるということ、彼らの意識とは、その国の歴史の上にあるということ、アポロも、9.11も3.11も、あらゆる戦争も、常にある反動、右傾化も、陰謀論などではなく、彼らの正統性を裏付けるもの、世界をどのように支配、維持するかということ、彼らが追求してきた歴史であるのだった、どの歴史的事件1つをとっても、権力の、権力者同士の抗争に他ならない、これらに対抗する方法とは、革命でも、キリストでも成しえなかったもの、支配構造の無化ということ、それが核というもの、核だけが、ただ核の誕生だけが、自らも首を絞めるものとして登場し、自らの死のように、この星の死を想定させ、支配できないことの自明、支配することの嫌悪を促し、核とはそうしたもの、
アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
「ビューテフル」
難民、移民、ヤク、売春、精神障害、etcの現代問題をコラージュ風に裁断しながらクローズアップさせていく、それらに当面している主人公が癌で余命2ケ月と宣告され、それまでの生きざまが、
「21g」
一つの心臓をめぐり、3人の男女が交差するという組み立て、死ぬとき人は21g軽くなるというが、その21gとは何か、いつ失うのかとのテーマを、プロット組みで表現している、うまい、そこに人間の日常の危うさがクローズアップされて、しかしこの作りこまれたストーリーは、イニャリトゥの常套で嫌になる、
「バベル」
現代がバベルの塔であるとするなら、そこは「言葉が通じない」「心が通じない」世界となっていると、日本人ハンターが贈ったライフルが殺人を呼び、その撃たれた女は、メキシコの国境で死にそうになる、2人の子の母でありと、3つの物語を交差させながら、不法入国者、武器輸出、貧困、家庭崩壊を描いているのだが、謎解きに重点が置かれ、
どれも社会問題をモチーフにしているのだが、
プロットに重点が置かれ、問題が矮小化されている、もしこれらを、ニュース以上の、ノンフィクション、ルポルタージュで構成したのなら、世界の陰謀論と片付けられているCIA、etcの犯罪は白日化され、でなければ映画は見るに耐えない、




