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絶望学

あらゆる視点に、絶望という基底があって、そこからの現代文明、過去、未来の思想にノンを突き付けるもの、世界に絶望していること、時を生きてはいるが、訪れる絶望を見据えているということ、理想主義観点が見えた時、それは発揮される、楽観や事なかれ、怠惰ではないのだった、死生学のように、絶望に対しての、絶望とは何かの、核という絶対に対しての見方であるのだった、人間の内なる神のように、内なる希望に対しての、内なる絶望であるのだった、

絶望学


あらゆる視点に、絶望という基底があって、そこからの現代文明、過去、未来の思想にノンを突き付けるもの、世界に絶望していること、時を生きてはいるが、訪れる絶望を見据えているということ、理想主義観点が見えた時、それは発揮される、楽観や事なかれ、怠惰ではないのだった、死生学のように、絶望に対しての、絶望とは何かの、核という絶対に対しての見方であるのだった、人間の内なる神のように、内なる希望に対しての、内なる絶望であるのだった、


差別とアウシュビッツ


障害者の、フクシマの、ヒロシマの、ミナマタの、部落民の、沖縄の、アイヌの、朝鮮人の、中国人の、女の、癩病の、黒人の、植民地のと、人間は有史以来、差別と迫害を重ねてきた、ユダヤ差別だけがクローズアップされているが、人間の歴史は差別と支配の歴史であり、民族、独立、革命を経ても、それらは止まず、それは人間の理想主義が根底にあり、良いもの、美しいもの、価値あるものを、意味や目的とする、人間の悲しい性、


癌治療が


最新抗がん剤が3千万円だと、しかし20%位が溶解状態になるだけで完治するわけではないと、いくら免疫細胞を強くしても、最先端の癌治療を行っても、癌細胞を完全に取り除けない限り、また再発するのが癌というもの、転移という全身に散らばった癌細胞を、分子単位で排除できない限り、にもかかわらず余命を、半年でも長くと、

すい臓がんは手術も、抗がん剤も効かないのにTもMも半年で、生存率には再発者も含まれてのこと、少しでも長くと家族は、そして副作用に苦しんで患者は、余命を縮める結果に、医者は抗がん剤の無意味さ、いや増癌剤であることを知っていて治療を施し、家族も諦めきれず、代替え医療にも踏み切れず、現代医療に飲み込まれ、悲惨を繰り返している、Kに、Hに、Oに、Sに、


オルテガの生の哲学


私の生身の意味と同じ、ここに今を在ること、

オイケン~道徳主義的精神主義、「人間と世界」

ジェームズ~科学的心理学、「信じる意思」

ショペンハウエル~世界とは意思の表象、「意思と表象としての世界」

ジンメル~質的個人主義、「哲学の根本問題」

ディルタイ~解釈学的哲学「体験と文学」

ヒューム~詩のイマジズム、「思索集」

ニィチェ~根源の生、悦ばしい知識

ベルグソン~実在論、「創造的進化」

体験、主観、生そのもの、感情、信仰、心情、意思、


核に対抗する核、癌に対抗する癌


邪悪な人間が核をもてあそぶ、結果が原発事故、地球汚染、DNA毀損、人間は癌に、核も癌も道づれ、が、人間が絶滅しても、生き残るのが核、癌のように死にはしないのだった、


絶望に打ち勝つ方法が


アウシュビッツであろうが、癌であろうが、生身の今という生命の本質に立てば、打ち勝てることはわかっているのだが、この今というものが、その生命の前も後ろも無い、今の只中にだけ存在するものだとの、普遍に至っていないなら、刹那主義の今となり、永遠、沈黙、全存在である今とは捉えられない、私の前に何があったか、何もありはしない、200万年の人類の歴史はあった、が、私個人においては、何万人かの親が居たであろうが私ではない、私の後にも前にも、親に繋がった全人類であっても、私ではない、まして大地、自然、芸術文化など、これらの自明が、今という地点の私であり、この今限りの、個としての捉えがない限り、生命の今を喜ぶことはできない、歴史、未来ではないのだった、今という私一個、この地点に立っての唯一者、私対世界であるのだった、この単体意識があって、初めて生命が生き始めるのだった、


70年を生き、


が、誰一人として、幸せという感情を生きている者はいなかった、私の幸せの定義とは、癌からの生還、そこから生き始めた者の、生命の賛歌、存在することの至上性、存在との一体、私と言う者の唯一性の自覚、いつ死んでもよいと今日限りを生きている、私対世界の感情、共生も、愛も、自由も、平等も良いだろう、が私の味わった幸せの感情が無いならば、ノスタルジアの、押し付けの、比べての、作られた、社会や他者のもの、幸せという感情は、明日死ぬとしても、今在ることが無上の喜び、一分一秒の中に、永遠を感じる喜び、本当にあの時、5年を経て、もうこれで再発はない、あっても悔いは無い、いつ死んでもいいかな、と、死が天国のように親しいものに思えた、あの死ぬときは一人、という感情の中にある、私と世界、私の世界という、再びあの感情に立ち帰り、世界の絶望を捉えなければ、


何度も人生を反芻して


何と素晴らしい人生であったのかと、スライド写真のように、一コマ一コマが思い浮かび、未だ何者でもなかった、人生への息吹がそこにはあり、


蒲田時代


二十歳、岐路、激動、母40歳、義父50歳、2度目の義父との暮らし、学園紛争真っ最中、進学貫けず、近所のラジオ工場へ、電子工学院に変更するも、義父の馴染みの和食屋へ見習いに、しかし3日で辞め、職安へ、職安の隣が民商で、再び活動家人生へと、

卒業証書が欲しかった訳ではなかった、夜間高校で、大学は昼間にと、夜間大学では満たされなかった、進学が無理と分かって、義父依存から決別へ、


養護施設のM君、施設から高校へ、後、寺の住職へ、母子寮のF君、新聞配達しながら高校へ、後、裁判所職員へ、

私、中学卒業後、住み込みで鉄工所、ラジオ工場、鉄工所、看板屋、製麺屋、と、自活しながら夜間高校、活動と、


林秀彦


3.11以降久しぶりに、絶望を声高に唱えるエッセイに出会った、9.11の世界支配を見据え、現代日本を3.11以前の日本を抉っていた、森有正のような本質追求はないものの、一般向けの物議を醸す書き方で、終わっている日本という視点で、が、2010年に亡くなっていた、この5年間私自身、深めてきた絶望論ではあるが、林秀彦等の情報に似るところが多々あり、もし林が生きていたら、どのような絶望論がと、「アリの街のマリア」の松居桃樓も「悪魔学入門」を予定していたという、が、1994年に亡くなっていた、終わっている日本が、10年後、20年後どうなっているのか、何も変わりはしないとは、放射能とも共存していくだろう、不思議の国日本、2000年来支配を受容して生きてきた、封建の、自然の、共存可能な支配、日本という風土の為せる、加藤周一の雑居文化、絶望も雑居していき、


映画「スノーデン」


知り得ている知識を超えてはいない、ネット情報以下の映画ではあったが、考えさせるところはあった、革命という問題と、第三次世界大戦という問題、個人の尊厳と、人間の自由の問題、自由と尊厳が損なわれるなら、国家機密であっても告発するという、命の危険をも顧みず、若干25歳のスノーデンという男が、悪魔崇拝、拝金主義、○○主義、○○宗教と、人の為と思う者と、自分の為と思う者と、殺人と非殺人と、それら全てを支えてきた科学というもの、70億人を生かしている、システムというもの、そこに悪魔や、神というものが有ろうが、無かろうが、間もなく100億人になろうとしている人間を生かしている、人間社会というものについて、戦争も良いだろう、人口削減も良いだろう、宇宙開発も、癌が災害が、それらが原因であるとして、それでも人には生と死があるという、誰の上にもそれらがあるという、生と死について、絶望にも勝る生命の連鎖、50億年の存在という現象への、科学とその危険を問う時、生命への、存在への大肯定の感情へと、


原罪


愛で生きることのできない、生存欲の生を原罪とする、が、自然界は愛によって営まれてはいない、適者生存、弱肉強食、全て生存欲である、では自然界に罪はあるのか、唯生存欲だけ、この自然と結ばれた人間の感情の底に、どのように愛が生まれたのか、では孤独者、唯一者において、世界は愛で結ばれているのか、否、唯在るで結ばれている、私も世界も唯在るである、

ルター~神への愛の不可能性からの原罪意識、

パスカル~欲望の原罪性

ドストエフスキー~善と悪の両面性としての原罪

愛されたい、愛しいたいとする人間の感情とは、それらが聖書を生み、キリスト教及び、各宗教、文化を生んできた、

愛とは何か、原始、外界に対し、助け合う行為であった、根底には生存欲、生存欲の合理的形態が愛である、

強者には愛無くとも生存は可能であった、

弱者の人間においては愛は生存方法であった、生存欲に愛が意味を持ったのは、全所有の神の意識の欠除から、

神との一体、世界との一体の感情の欠除から、

神は死んだは、私から神への、私が世界だの感情の欠除から、

その唯一者なる者が「さようなら、さようなら」と消えて行った、、自らの中へ、一体の中へ、200万年の意識の中へ、


近代の近代自我


近代が自我の確立であるのだが、何と越えがたい近代の枷であることか、神の問題、自由、平等、愛、といい、唯一者としての自我意識無くして、何の近代かと、絶望の意識無くして、何の近代かと、個人主義,合理主義,自由主義、どれもが神に変わって、封建性に変わって、資本に従属しただけ、


支配構造がどうであれ、


人間が作ってきたムシステム、知性、理性、愛、美、etcの、人間が理想としてきたものが、そのシテム自体が無と化したということ、正義の、美の、愛の、神の名の下にしてきたことが、無と化したということ、この無化こそが人間においては必要であったということ、何かの名の下にすることの無、無の自明さこそを、人は核によって思い知ったのだった、神を殺したから、科学も、知性も、理性も死んだのだと、無を前提としての有、生命、人間種の余命としての存在の肯定、癌患者同士の、アウシュビッツ囚人同士の、死刑囚同士の、宗教、文化、哲学が今や求められているのだった、闘っている癌患者に、闘わない癌患者が微笑んでいる、身代わりとなったコルベのように、お世話になりましたと、感謝して殺される死刑囚のように、犠牲ではない、生命の無化の哲学が、


林秀彦「この国の終わり」


ネット上の反原発、反権力の人間たちの物言い、限界が同じで、斜め読み、軍国少年の、環境、時代の中、矛盾と誤謬があり、拙い作品であった、世界の限界は、絶望の肯定と、そこにおいての実存、フクシマを生きる、私がミナマタのように、

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