生きたということは
もう読みたい本はない、
もう聴きたい音楽はない、
もう鑑たい絵はない、
もう行きたい所はない、
もう欲しいものはない、
もう遣りたいことはない、
世界が、核汚染の、テロの、格差貧困の、痛み、悲惨、絶望であっても、もう為すべきことはないと、座して死を待つこと、
結局人生の意味や目的は、ここに至ることであった、人生とは何ぞやとは、生きた、愛した、書いた、という私という記憶であるのだった、
生きたということは
もう読みたい本はない、
もう聴きたい音楽はない、
もう鑑たい絵はない、
もう行きたい所はない、
もう欲しいものはない、
もう遣りたいことはない、
世界が、核汚染の、テロの、格差貧困の、痛み、悲惨、絶望であっても、もう為すべきことはないと、座して死を待つこと、
結局人生の意味や目的は、ここに至ることであった、人生とは何ぞやとは、生きた、愛した、書いた、という私という記憶であるのだった、
所有について
養護施設にあって、自分の所有物は、父が買い、持たせてくれたパンツ、シャツ各2枚、穴の開いたズック靴、カバン、筆記用具、教科書、ノートくらい、畳一畳の押し入れ付き上下2段の2人で1台、その1段の寝台が居室、8畳ほどのスペースにそうした作り付けベッドが4ッ、学年も様々に8人が寝起き、中学3年の夏に施設を出るまでに、増えた自分の所有物は、母に買ってもらった望遠鏡、顕微鏡、理科クラブで作ったゲルマニュームラジオ、小学校の卒業アルバム、父や母からの手紙くらい、自分の肉体でさえ、税金で運営された施設費用で作られたもの、家も、畑も、山も、川も、何一つ私の物ではなかった、他国に侵略されようが、強盗に何かを盗られようが、生命さえ私のものではないことの、出生、生い立ちが私の所有観を形作っている、侵略されれば、住めなくなれば、逃げる、放棄するは、関係、所有の否定から、殴られた、言った、言わないも、沈黙、無視となる、戦争に対し、政治経済に対しても、70歳のこの歳まで関心を持ち続けているのは、私の所有観とは相容れない対極のことであったから、人は何故なのかと、何を所有するのか、それでどうなのかと、問い続けているのだった、ドスカリン、タルコフスキー、どちらも亡命、ノスタルジーの祖国、民族が根底にあり、それらが不条理、エレジーの感情を生み、映像を紡ぎだしている、日本において、侵略、難民、亡命もない歴史にあって、1編のタルコフスキーもないのは当然ではあるのだった、
ウクライナ問題に象徴される
世界覇権に利用される国民、ロシアとアメリカの利権争いに、ウクライナ政府と反政府の構図、ウクライナ政府にはロシアが、反政府にはアメリカがと、国民同士、警察軍隊が争い、イラン、アフガン、etcは内戦となり、難民が何百万人と、経済破綻を招き、IMFが貸付、国民は高い税金で何十年も支払うことに、いずれビットコインのような仮想通貨で世界を支配、その資本の背後にはエリート集団が、1000人程だという、その彼らが世界支配を目論んでいると、この支配が人間という動物の社会性、集団性であるのだった、アリやハチ、サルと同じように、リーダーの下にと、エジプト、黄河、インダス、メソポタミア、有史以来の人間の属性であるのだった、
憲法を変えようが
フクシマがある限り、人は愛国や、愛社などの扇動には乗れず、自衛隊といえど、他国の侵略、集団自衛などの行使はできず、ただ憲法だけが交戦権を持つだけの、誰も闘わないだろう、守るべき国が見えないのだから、格差がある限り、天皇がある限り、安保がある限り、農業破壊、男女差別がある限り、愛すべき人や社会を、国家が持たないのだから、何をも、誰をも、手が付けられないフクシマがある限り、侵略しようが、されようが、愛する国や、愛する人が成立せず、為すがままの無気力が人を覆うばかりの、政治の喧騒をよそに、フクシマはくすぶり続けている、
誰一人として
日常に於いて、文学、哲学などを語る者などいなくて、世間には文学、哲学など存在しないかのように、核、放射能汚染についても、どちらも考えても仕方のないことと、ただ考えないではいられないある者だけが、考え続け、文学、哲学が人生の意味や目的などではなく、生命に問いかけてくる核というものに、存在の謎として、考えないではいられないのだった、何故世界は、何故人は、何故、何故、と、
日記を読むと
二十歳といえど、恋愛に、共産党、民商に、文学への焦燥に懊悩している姿が、こんなに文学をやりたかったのかと、今、たっぷり時間のある中、その頃の思いでは書いていない、あと10年くらい、あっという間の時間、この10年のように、再びはない10年、これまでの70年、手帳も200冊余、日記、手帳を読み返しつつ、最期の日記に向かって、ラストスパートを、
死に方
Sの末期、気管に痰が詰まり、絶えず奥さんに吸引してもらっての、あの苦しさの死は、2度3度ある水に溺れた時の息苦しさ、助けがなければ間もなく意識が遠のき、数分の内には死に至ったのだろうが、それまでの苦しさの記憶、私の場合は胃全摘の低血糖による、意識喪失の死となるだろう、幾度も体験してきた低血糖症、死の予行演習はもう十分にしてきているのだ、
ネットに、PCに、
2日に渉ってPCの設定に係ずり、結局回復出来ず、アカウントを削除してしまったため、リカバリも出来ずピンチに、PC買い替えしかないかなと、30歳位から、子どものゲーム機として、MSXを買ったのが最初、FM7、コンパック、DELL、ドスパラ、と、PCの進化と共に買い替えてきた、PCとの付き合いも後何年かだろうが、個人誌もワープロからPCへと、カメラもフイルムからデジタルへ、音楽もレコードからブルーレイ、ネッット配信へと、あらゆるものをPCを介在させ、私の人生のツールとして果たしてきた、鉱石ラジオから始まって、今様々の電化製品に囲まれ、それらが無くとも、人生の味わいは変わらずあったことだが、結婚をしなかった、子どもを育てなかった、犬を飼わなかった位の、経験の差がそこにはあり、Hがワールドウォッチャーの人生を喜々として語っていたが、PCの世界にワールドウォッチは自明で、これからの余命何年か、世界を見届けるために、最期までPCに係ずらおうと、
ロスチャイルドの虚無
1000兆㌦の資産を持っていても、終わる世界にあっては、意味も、興味も失せてしまったと、その嘆きこそ世界の絶望であるのだった、チェルノブイリ、フクシマ、etcの核汚染地帯、大地を、海を汚染し続け、絶滅は想定済みの世界にあって、かつて戦争に投資してきたロスチャイルドが、戦争に投資しなくなる世界だけが、絶滅までのささやかな喜びに、
イランを、シリアを、北朝鮮を、中国、ロシアを
と、グローバル資本たちは敵視し、攻撃を繰り返しているが、労働者においては、いつの時代にあっても、インターナショナルという感覚があり、何ら敵対感情は無いのだと、
今や世界はインターナショナルを忘れ、あたかも、国家と私を一体化させ、階級、連帯を忘れてはいるが、資本がグローバルを顕在化すればする程、労働者のインターナショナルな意識は強まっていく、たとえ中国、北朝鮮が国家独占主義であっても、労働者というものの本質はインターナショナルであるのだった、労働というものの持つ共感意識、労働力を買ってではなく、労働力を売って生きているという、
人生終末旅行
あと少しで終わるのだと思うと、淋しい、昔の初々しい感覚も戻せないまま、絶望世界を想像しての3.11以降の人生は悲しい、世界には戻せないことが、やり直せないことがあることが、それらを肯定しなければならないことが、絶望感を、再びは戻ることのない人生終末旅行、末必の故意の現代文明、SFではなく、現実であることの、見ることだけ、受容することだけ、
バンジャマン・フォンダーヌ
姉と共にフランス警察に捕まり、釈放のチャンスがあったが、自分だけ助かることを拒み、姉と共にアウシュビッツで死んだ、聖書というものの持つ偽善、社会、人間がその聖書を隠れ蓑にしている社会というものへの、反抗と告発、詩が実は偽りに満ちた、美のマスクで無残な現実を単に覆い隠しているだけのものと、しかし、詩が己の中にある、やわらかで、微妙なものを補足するものであることも知っている、人類の記憶の中に発生している、原初的な「傷」を自らの生そのもので証しようとする存在としてのボードレーヌ、詩とは、人間が持つ有限性に対しての怒りと反抗心に満ちた、人間の思考である、と、フォンダーヌの激しい、高密度な生、
人間の文明が
人間を、国家、社会を守るために考え出されたものであり、世界はそれを相続している、それらから離れ、核に対峙する文明は、未だ発生していないのだった、フォンダーヌ、ボードレールといえど、文明へのペシミズム、共苦である、
フォンダーヌの殉教
ユダヤ人を守ることの、正義を守ることの、人間の高貴を守ることの、人の愚劣を打つことの、自らの存在を証明することの、ソクラテスも、ガリレオもやったところの事を為したということなのだが、現代にあって、核世界においては意味はないのだった、神は死んだと、そして癩病患者を、貧者を、不具者を、その場において、私を生きることだけ、人を生きずとも、動植物のように、生を生きることだけ、私においてもあと10万時間の生命を砂時計を眺めるように、この空間に置いているだけ、
喪失感とは
失って初めて知るもの、日常の平穏、病気、災害、そして人の死、再びは戻らないことの、が、生身の感情は、でも私は在るという、喪失を味わう位置に、彼はどこに行ったのか、人とはそれだけのものであるのか、と、自らの喪失は予感され、が、原発の、核の、世界の喪失は、それだけのものという、喪失感の決定的な感情を植え付け、物の喪失、山河の喪失ではなく、意味の喪失、神の喪失などの対真実概念ではない、絶滅以前に死んでいるという、それだけのものであったという、人というものへの、再びは戻れない感情、
懐かしい感情
50音順作曲家ブログをやっていて、ショスタコーヴィチの森の歌で、合唱団の記憶が、若き日の思い出を伴って蘇った、主義、思想、父、労働、夜学、如何に生くべきか、生きるとは何なのか、まだ訪れていない人生への不安を抱きながらも、何しろ生きなければという感情を生きていた、そんな中での、合唱団、歌声は、生きる快感があった、自尊の感情に満ちていた、一時の喜びの感情ではあっても、未だ所有していない時への、未知への期待がそこには、16歳の心に、誰もが恋への憧れは抱き、集いたい気持ちがあり、歌って踊っての民青と揶揄されながらも、準備し、呼びかけ、月一度の歌声喫茶を、思想への共感は深まらなくとも、合唱という共感しあう感情に充たされ、
第2次大戦
誰が何のために、どのように引き起こしたか、帝国主義者が、利益のために、愛国、大儀のプロパガンダを通して、様々な法律を作って、軍産学、帝国主義者どうしはお互い通じていて、上部は利益を分け合い、民族、国家などどうでもよく、戦争という一大消費をこそ、経済活動と考え、祖国とは、下流のヤクザの縄張りのようなもの、下流にドンパチやらせて、お互いから寺銭を取るシステム、それが現代では、グローバル企業という、国境なき収奪システム、
宮本百合子「貧しき人々の群れ」
同情心から、声をかけた子どもから、石を投げられ、自らの地主であることの罪を知った私が、慈善活動を始めるのだが、村人の真の豊かさとはならず、真の豊かさを求めて、1917年ロシア革命(17歳)の作品、祖父は米沢藩士、郡山市典事、父は辰野金吾の下、近代建築を作ってきた人間、母は思想家西山の長女、1918年15歳年上の男と結婚、1924年離婚、「伸子」、1931年9歳年下の宮本顕治と再婚、「12年の手紙」、戦後「風知草」「播州平野」「道標」1951年死去(51歳)




