2020年に向けて
東京特区、技術開発、都市開発、アスリート養成、と、放射能汚染、福島復興には目をつむり、オリンピックに向けと興じている東京、3.11以降の後の祭りが忘却へと、不安に打ちひしがれているよりは良いかと、終了している地にあって同じこと、せめてあと10年、生き延び、逃げ切りたいと団塊世代、オリンピック後の不況、箱物のツケが予測される中、被爆による疾病の増加は陰弊し、
2020年に向けて
東京特区、技術開発、都市開発、アスリート養成、と、放射能汚染、福島復興には目をつむり、オリンピックに向けと興じている東京、3.11以降の後の祭りが忘却へと、不安に打ちひしがれているよりは良いかと、終了している地にあって同じこと、せめてあと10年、生き延び、逃げ切りたいと団塊世代、オリンピック後の不況、箱物のツケが予測される中、被爆による疾病の増加は陰弊し、
TPPで
国家解体、グローバル資本が国家に変わり、世界支配を公然化、食料、金融、水道、医療、全産業をグローバル企業が私物化、資本の法律が世界の法律となり、個人を縛っていく、貿易、利権、戦争、全て国家、民族という人間のアイデンテティーを拠り所に為され、利用されきたが、これからは資本対人間、1%対99%、国家はただの代金徴収会社へと、
異邦人の映画
「無関心であることのしあわせ」、さらっと入れられているセリフだが、そこにはカミュの原作の真髄があり、そのことを実感を持って感じられる者は多くは居ない、癌の時、私が至った感情、存在の沈黙、私の死への世界の無関心、死とはこの沈黙との一体、そこへ帰っていくのだと、あの永遠、無限の世界へと、
父を知らなかったカミュ、父は農場労働者、母は聴覚障害者、教師グルニエの影響、44歳ノーベル賞、1960年(47歳)死去、「太陽の賛歌」、74年日本発行、(22歳〜29歳ノート)
不条理に対峙していくことが反抗、この反抗こそが生きることの力、文学の本質と、が、核の絶望の前には、いかなる思想も、哲学も、無力、無意味、ただ存在の沈黙があるばかり、絶望は何をも理想する必要が無い、只永遠という時があるばかり、
絶望というものが
これ程、人の枷を解放してくれるものだとは、かつて、社会主義に、文学に、人生そのものにと、理想と、意味とを求め生きた懊悩を、世界を絶望と規定、開眼したことによって、シュティルナーを超えて、自在に、時そのものに至らせるとは、癌体験がそうであったように、絶望が存在の全てを解き放ったのだった、絶望することの何と有意味なことか、絶望を通して沈黙に至る、宗教の救いはない、思想の理想は無い、芸術の価値は無い、ただ永遠の時があるばかりの、
絶望に対して
私の時、私の意味、私の味わいで充分であった、未踏の到達はそこにあった、死さえも私対世界で対するのだから、クラッシック音楽を聞いていると、人間の歴史の先端を、総体を生きているのだと感じる、それは有正や、リルケに戻った、生命の実感である、核に汚染され、初めて私は、この星を愛していた、この星は私のものだとの感情が湧いたような、
私の時、私の意味が、この星と一体となって、
アンドレ・ジイド1869〜1951(82歳)
何も読んでいない作家の一人、ヘッセも、ジイドも、ランボーも、ボードレールも、十代の私は読んでこなかった、モラルが問題ではなかったから、実存が問題であり、社会主義を理想していたから、ジイドはモラルを問題としていた、
地の糧〜1897〜病者を通して、生の意味を見出していく、
背徳者〜1902〜
狭き門〜1905〜アリサの日記を通して欺瞞と、誠実を、
法王庁の抜け穴〜1914〜偽法王事件、戯画、茶番劇、
一粒の麦死なずば〜1917〜同性愛の本性への目覚め、
田園交響楽〜1918
贋金つくり〜1921〜手法的には何ら変わらない、エドワールの日記として挿入、純粋小説の探求、
コンゴ紀行〜1927
女の学校〜1927
新しき糧〜1935
パリュウド〜1935
ソビエト紀行〜1937〜宮本百合子の批評
架空会見記〜1941
キリスト教的外圧、対立を軸に自らの内実を語る、
後年読んだのであろう、文学全集の中のジイド、地の糧の書き込み、貧しき者への視点が貴族的、一般からの乖離がジイドにはある、藤村の千曲川スケッチにあるような、人間の本質への視点がない、ロマン的、ヴェルレーヌ風、23歳の作品、この個人主義の目覚めを書きたかったのか、
ショペンハウエル「意思と表象としての世界」〜
自分の遺志を忘れた純粋精神、イディアの考察、イディアの確保こそ前提、
象徴の理論、
観照の論理、
私は美学、マラルメ的なものが嫌いだった、現実はそんな物ではないことを知っていた、水とは、田んぼの、清水の、etcの、私の現実感覚の中にあるものであった、
ジイドの、自らの生と死の法悦の書が「地の糧」なのであろう、
やはり読むに耐えられるものがない
森有正の音楽論にしても、精神、人格への至高性欲だし、ジイドにしても美学論、内部生命論だし、ショペンハウエルにしても、意思と表象という一般論だし、聖書といえどモラルに堕しているし、ドストエフスキーはこうした人間のどうしょうもなさを描いてはいるが、リルケもこれらをパトスを持って表わしてはいるが、この星を全的に、人間を全的に捉える、絶望を見据えた視点ではない、結局、私対世界で、私で答えていくしかないのだった、
絶望主義のレジメ
100以上の表題を決めてはあるが、書く必然と、衝動が乏しい、誰かに物申すことになる作品、本当に将来、この星を憂いてのことなのか、私の使命においてなのか、あと10年の余命の課題としてなのか、絶望からの救済、絶望の中の希望を、真に標榜してなのか、SFではない、思想、精神、哲学としての答えを自ら作り出す逼迫においてなのか、
女生徒が群れて
鎌倉の街中を20人ほどが、2列になって歩いていた、留まることのないおしゃべりが、塊となって駅への道を動いていく、まるでムクドリか、すずめの一群のような、観光で、レジャーで、絶望など与り知らぬ、変わらぬ鎌倉の街、英語が、中国語が、
文化、芸術も
世界の規格に沿って作られ、語られてきているのだった、自由も、平等も民主主義も、社会規範、世界のモラルに習って、新しき人間とは、これらを超えた、一人を生きる、一人において行われる、一人の為の文化、芸術へと、私を生きることのように、私の文化、私の芸術を創らねば、
明日は徴兵検査
その日を絶望と捉えた多くの学徒がいただろう、国家に人生を絡め取られることの、この絶望から比べれば、原発の絶望等まだ見ぬこと、直ちに命が取られるわけではない絶望、徴兵とは直ちに権利停止、自由の消滅という絶望、その経験のある彼等、カミュもサルトルも、その絶望の中から実存を定義、国家が、殺し合いが、無法が、癌宣告のように、個人に圧し掛かり、絶望は直ちに影響が現われ、有史以来、その絶望を人は生き、
明日は癌の手術
癌宣告で味わった絶望、時間を越えた絶対的絶望、初期か否かより、癌という絶対に対する絶望、死というものが、個人の思想信条を超えて迫る、人類の絶望と、個人の絶望、その両方があって、初めて人は絶望を超えていくのだろうか、そして、その絶望への共感があって、初めて人は希望するのだろうか、今在ることの喜びへと、共感は無くともその個人においては、永遠の一瞬が訪れるのだろうか、
エバ・キャシディー
皆死んでしまったということ、エバ自身も33歳で、歌の気分がノスタルジー、今は無き思い出、それらに共感する時、私自身の思い出がよみがえる、歌詞は、去った恋人への、別れの、思い出だろうか、淋し気、ハスキー、私においては出来事、記憶、過去の事柄、どれもが健気、幼い心の私が思い出され、エバを知ったのは、Kからだった、KはKの父親との関係から、一度も話したことはなかったが、ネットでKのブログを知り、そこでエバを知り、Kにも会うこととなり、Kの父との思い出、茅ヶ崎の借家の邸宅へ家族で遊びに行った、1917年生まれのKの父は私と30歳違い、当時65歳か、映画と、漆の世界と、種子島と、留まることなく話し続ける人生謳歌の人だった、そのKの父も死に、そしてK自身も数年前死に、累々たる死者との思い出ばかりの、エバのうた声が流れる風のように、我が家に、私の時へ、
夢を見た
母も友人たちも知らないようだったが、私が就職した先は明らかに軍隊だった、自由は奪われ、命令に従うという、視力の電話をするようにと言われていてTELしなかった者ら
が、苦言を言われ、誰か上級者が来る度に、気おつけ、敬礼をし、私はホテルかどこかの集合場所で、点呼を受けていた、これからは彼らと行動を共にすることに、胃無しの体で大丈夫かなーと、又、上官に対し、命令に従う者らに対して、和していけるかなーと心配している、サルトル、カミュも軍隊に行ったというが、どんな思いだったのかと考えている、
昨日ふと、西田幾太郎の「絶対矛盾的自己統一」という、死をアウへーベンすることのような、死して生きるという、国家、天皇のために死すことの、全肯定、放下の思想を若き学徒が抱いて、戦場に行ったと思い、運命に対する、困難に対する、人間の取り得る態度とはを考え、ハイデガーの「死の先駆的決意性」にしても、聖書の「一粒の麦死なずば」も、個人と世界の、生まれ落ちたその日より、自由を人生を売って生きている人間の、一体この世界は何なのかと、どうなっているのかと、




