人間だけが特別なように
自らの死を考えてはいるが、一匹の虫の死のように、自然の死と何ら変わらない、人の意識や感情が、他の生物と比べてどれだけのものか、物を作る能力といえど、不必要なものを作っているに過ぎず、自然は完璧、人間だけが飢えている、死の早い遅い、生の幸、不幸、自然は50億年を生きている、生死の問題は、自然に任せるで良いのだと、
人間だけが特別なように
自らの死を考えてはいるが、一匹の虫の死のように、自然の死と何ら変わらない、人の意識や感情が、他の生物と比べてどれだけのものか、物を作る能力といえど、不必要なものを作っているに過ぎず、自然は完璧、人間だけが飢えている、死の早い遅い、生の幸、不幸、自然は50億年を生きている、生死の問題は、自然に任せるで良いのだと、
負の世界遺産が
フクシマに新たに出来たということ、2万年に亘る世界遺産、ピラミッドも万里の長城も及ばない悠久の遺産、愛国を、伝統を、美しい日本を、どれだけ叫んだとしても、癌が転移し、頬に張り付いたように、この国を蝕み続けるフクシマ世界遺産、
時間の死
あの痛みをこらえ待った朝、1時間が、朝が来るのが、どれ程長いと感じたことか、もう転移は無いと、肝機能が戻った5年目からの、10年の何と短かったことか、楽しい天国の時間はあっという間、今フクシマを迎え、転移に怯えた5年のように、否、完治はない癌との共存の、再びの癌無き意識への回生は無く、時間の死が、癌を抱え生きることの、まだ生きていることには変わりが無いのに、奪われてしまった、決められてしまった、知ってしまった、時間の死という、
私と言えど
国家や社会文化から、自由には成りえてはいない、政治で、文学でと自己卑下、自己省察にと、日本を問うとはそういうこと、1%対99%、又は世界の絶望の先を考えてはいない、何故人は国家や社会、時に宗教を必要とするのか、国家や社会は、その国民を守ってくれるものと、心の拠り所、生活を築いていくものと、文化歴史をことさらのものに考え、その根底に流れているものは意味という、意味を人は必要とし、無意味は、異邦人では、耐えられないのだった、自由からの逃避のように、無意味からの逃避を続けているのだった、2万年前の無意味、100年後の無意味、誰にでも分ることなのに、意味を探し続けている、人間にとっての掟とは意味であるのだった、意味からの解放、意味の無化、これこそが絶望に対する答えであろう、これこそが実存というものであろう、
神社仏閣に
手を合わせるということの、感謝、尊敬、願い、等の習慣ではあるが、西洋の言う神でもない、哲学でもない、意味でもないものに、祈ることの、神聖化、神秘化、内なる隷属意識、自然万物に、神が存するとする、天変地異の、自然風土の日本において自然なことではあるが、広島、長崎の、人工地震の、原発の、人為の被害に祈ることの、今日もあちこちで祈られることの、
自衛隊って
人を殺す仕事でしょ、軍隊とは自衛であろうが、本質人を殺す仕事でしょ、そのような組織が許されている社会、国家、正義、自衛の名の下に、堂々と行われる戦争という殺人、死刑も同じこと、人を殺して良いとする制度、国家社会の名の下に、目には目をと、侵略から、騒乱、政府転覆から、守るべき土地、家、富、というが、軍隊の一人一人のものではない、それらは皆国家社会、権力者の物、国家社会を騙らねば、人は喧嘩恨みで復讐するだけ、が、何百万人が恨み、喧嘩する等ありえない、何百万人を駆り立てるシステム、考え方が問題、有史以来行われてきた戦争というもの、どのように駆り立てられ行われてきたのか、宗教戦争といえ同じこと、人が集団となって駆り立てられ、個人の忘却、国家の奴隷として、
キリスト教、イスラム教、仏教
その他の宗教のもつ、人間の意識への果たす役割、教会で、モスクで、寺社で手を合わせる人の精神、神秘化、崇敬するその心とは、自然への畏敬、感謝であったものが、権力への、社会国家への従属、掟として、人間、個人を失い、御利益の、神を見たことも無いのに、救いを信じて、核汚染に救いはないのだった、どんな神も救うことは出来ないのだった、そんな世界で手を合わせ、祈ることの、
社会主義の
生産、剰余価値、利潤という、経済が旧態依然ということは、管理が国家社会に集約されたというだけで、資本主義の経済と何ら変わらず、利潤分配をめぐる政治形態の違いなだけ、現代のデモクラシーというものが、国家社会、特権者の体制維持装置であり、社会主義はそれらを最大限に、国家管理するものであった、人民、労働者の政治とするのだが、国家の名の下に、全ての行為が正当化、独善化され、規範を超えること、個人を優先させることは、全体とは矛盾をするということ、
計画経済というものが、経済自体が旧態であるのだから、資本主義と同じこと、効率の違いなだけ、新しい経済こそが課題であるのだった、マルクス経済学、ケインズ経済学、マクロ、ミクロ経済学、etc、1%が世界を支配している時代にあって、新たな経済学とは分配の問題なだけ、そして核廃棄物処理の問題、世界は何百、何千兆円という永代債務をしょっている、
人間は本来孤独な存在
ではなく、自然と一体の喜びに満ちた存在であったはず、何故なら自然は恵みも、過酷も、一体のものとして人間と共にあったのだから、
動物が孤独存在ではないように、自然と一体の感情に孤独は無いのだった、自我の目覚めが人としての孤独を誕生はさせたが、同時に自然への畏敬、感謝、一体を生んだのだった、この自然との共感を通して、人への愛、共同、家族を育くんで来たのだった、核汚染による自然への毀損、一体は損なわれ、放棄、抹殺しかなく、人は初めて自然からの孤独を味わうのだった、
存在との一体とは
見る、聞く、飛ぶ、眠る、食べるといった、生命、動物としての人間の身体性の中にある感情への一体感である、それらが今存在していることの、私が在るという感情を自覚させている、こうした感情に心をゆだねているということ、見る事を見る、聞くことを聞くとなる、存在と一体であるのだから、生も死も一体、自然裡なものである、ブッシュマンのあの星は父の、あの星は母のというような、生命とはどのような環境にあっても、宇宙存在であるということ、
虚構が現実となった世界
どんな小説も、既視の事となった現実世界にあって、文学芸術が、再確認に過ぎず、ドラマ、物語の世界が、現実以下の嘘に成り下がった世界、ウィトゲンシュタインの言葉の限界以下の世界、核という超現実、20万年という虚構、3万年前に絶滅したネアンデルタール人、間もなく絶滅する現世人、わずか3万年という夢のような時間、
チンパンジーとボノボ
人間はチンパンジーである、ボノボのDNAは失われている、チンパンジーが進化して人となったのだ、知性と暴力、子殺し、上下関係、人間の歴史そのもの、ボノボの持つ女性優位、性のコミニケーション、チンパンジーは暴力の為に知性を発達させ、ボノボは平和の為には知性を必要とせず、性を発達させ、自然と遊離せず、協調しと、人間とはいかに異端であることかが、
最初の一行
マルテの手記
きょうママンが死んだ
人々は生きるためにこの都会に集まってくるらしい、しかし僕はむしろ、ここでは皆死んでゆくとしか思えないのだ、僕はいま外を歩いてきた、僕の目についたのは不思議に病院ばかりだった、
〜純粋な精神と魂の奥深い表現、
失われた時を求めて
長い間私はまだ早い時間から床に就いた、
1913年 528P スワン家 明治18年
意識の流れ、心の間歇、眠りに就くまで30P
〜死を予期し、書く事を生きた、1万枚
この5年7ケ月の速さ
2.3年しか経っていないような、否この10年がほんの4.5年であったような、この調子だと、あと4.5年で80歳になるような、年齢など問題ではなく、時の実感が薄れたような、こんなに時の流れが速かったとは、養護施設がたった4年のことであったのに、10年ほどにも思える、この嫌な感情の時こそ、時を長くさせるのだが、そこには刻まれた濃密な記憶がある、この3.11以降の5年7ケ月、情報収集ばかりで何もできなかった、作品は1000枚ほど書いたのだが、体験を伴った記憶ではない、体験のない記憶のなんと浅く速いものであったのかと、原発の爆発という未曾有の出来事の前に、時間は区切りを失って、ただ流れ続けているばかり、
唯一者で捉えるなら
人生は何ものでもない、表現も、証明も、確認も、どれも一人においてのもの、それも生命ある間のこと、植物、生物の営みと何ら変わらない、恐竜の時代がありました、哺乳類の時代がありましたというぐらいのこと、一方社会的に人生を捉えるなら、名声、地位、金、関係性と、あらゆることが必要価値とされ、核さえ意味、目的となってくる、多く人間はそうしたものとの戦いの内に生き死んできた、文学で、芸術、音楽で、それら一人ひとりの生きた証のように、プルーストを読み、意識の流れを味わってみる、様々な音楽に自分の体験、感情を重ねてみる、と、多く人は人文化の共感のうちに生き、が、唯一者の私で捉えるなら、唯一者とは現象学的な純粋意識(超越論的主観性)への超越論的還元などではなく、一人という、我在るという、私対世界という、絶対主観の意識ということなだけ、
アポロ、9.11、3.11
アポロを信じたい者、9.11をテロとしたい者、3.11を自然災害としたい者、原発を再稼動したい者、中国、ロシアを敵視したい者、生活保護者、障害者を蔑視したい者、ヘイトスピーチをしたい者、彼らの共通した容権力、容利権、人間はバンアレン帯を超えることは出来ない、今頃NASAが言いだした、9.11が自作自演であることをプーチンが暴露しだした、




